第10話 閑話・3つの夜 現代世界編、羽崎ヒロは天使様に憧れる



 午後6時。


 短パンにTシャツ姿でリビングのソファーに寝転んで、テレビから流れる音を耳に流しつつスマホをいじっていると――。


「ねえ、ヒロ。何か聞いていない?」


 2階から戻ってきたお母さんが、困惑した顔で私にたずねてきた。


「何を?」


 私が興味なく適当に返事をすると――。


「カナタがね、部屋にいなくって。しかも、動画の撮影に出かけるから探さなくてもいいって置き手紙があったんだけど……」

「え?」

「ヒロは、お姉ちゃんからその話は聞いていない?」

「聞いてないわよ」


 なにしろ私はいつも通りに過ごしていた。

 学校から帰ってきて、部屋で着替えて、あとはリビングでゴロゴロ。

 姉の部屋になんて、当然、行っていない。


 私は羽崎陽路。


 高校1年生。


 特に変わったところなんてない、いたって普通の学生だ。


 変わったところと言えば、引きこもりの姉が動画配信で生計を立てようとしている――。

 それくらいのことだ。


「はぁ……。どうしようかしら……。警察に相談するべきよねえ……。ようやく72時間配信がおわるかと思ったら、次は家出なんて……」


 部屋でカナタが脱ぎ散らかしていたらしきシャツと短パンを脱衣所に持っていきつつ、お母さんはため息をついた。

 その衣服を見て私は、「ああ、そうか」と思い――。

 手に持っていたスマホに視線を戻した。


 スマホに表示させたSNSには、こんなカキコミがあった。


『天使様と出会った! 今夜、証拠の動画アップ予定! 全裸待機よろしく!』


 投稿主はパラディン北川さんだ。


 添えられた写真には、転んだ私の背中が写っている。


 その先にいるのは――。


 陽射しよりも眩しく銀色の髪をきらめかせて――。


 なんと手でトラックを押さえている――。


 短パンにTシャツ姿の、10代半ばの外国人の女の子だった。


 私は、その短パンとTシャツに、なんとなく見覚えがあるなぁと思っていたけど……。

 どうやら奇しくも姉と同じものだったようだ。


「すごい偶然ね……」


 思わず私は声に出してつぶやいてしまった。


 コメント欄は荒れていた。


 AI乙。

 自作自演ばかりして恥ずかしくないの?

 氏ね。

 きえろ。

 カスカスカスカス。

 AI画像かよwパラディンもついに猿から進化を始めたのかw


 大半がいつものようにアンチコメだった。

 中には、

 これはガチに見えるけど。

 というコメントもあったけど、完全にスルーされていた。


「ホント、バカばっかりよね……。パラディンさんは嘘なんてつかないのに。本音だけで生きている人なんだから」


 テレビでは、タイミングよく今日の出来事がニュースで流れていた。

 本日、トラックの横転事故が発生。

 原因はドライバーの体調不良。

 幸いにも被害者はなし。

 という内容がアナウンサーの口からさらりと告げられて、運送業界の抱える様々な問題へと焦点は移されていった。

 銀髪美少女の話題は、まったくなかった。


 そりゃあ、ね、そうだとは思う。


 銀髪美少女が、なんとトラックを手で止めて歩行者を助けたようです!

 なんてこと……。

 リアルのニュースで流せるわけがない。


 たとえ証拠の写真があっても、ね。


 今は写真なんて、AIで簡単に捏造できちゃう時代だし。


 夜。


 夕食になった。


 お父さんも帰ってきて、家族3人で食事を取る。

 今夜はトンカツ定食だった。

 ご馳走だ。


「しかし、カナタにも困ったものだな」


 お父さんはぼやいた。


「ねえ、貴方……。警察はどうする?」

「置き手紙があったんだろう? もう少し様子を見てからでいいんじゃないか? あの子が動画で頑張っているのなら、警察沙汰にするのは可哀想だろう」

「そうねえ……」


 基本、お父さんはカナタに甘い。

 PCを買ってあげたり、72時間配信を許したり。

 私も最新のスマートフォンを買ってもらっているから、姉のことは言えないけど。


「2人とも心配ないと思うよ。何を撮りに行ったのかはわかるし」

「そうなのか?」

「うん。今日ね、トラックの横転事故があったでしょ。そのことがネットで少しだけ話題になっているから便乗しようとしているのよ、きっと」

「それくらいのことならいいが……」

「よくはないわよ、貴方。そんな不謹慎なこと……」


 食事の後、歯を磨いて、シャワーを浴びて、パジャマに着替えて――。

 私は2階の自分の部屋に入った。


 時間を確かめる。


 パラディン北川さんの動画公表まで、あと少しだ。


 私は、ワクワクする気持ちを抑えきれないでベッドにうつ伏せに寝転んだ。


 スマホで再びパラディンさんのSNSを見る。


「カッコいいなぁ、天使様」


 写真に映る輝く銀色の髪を見るだけで、私の胸は高鳴ってしまう。

 あの人――。

 突然に現れて、私の目の前で、暴走するトラックを止めてくれた、あの女の子――。

 パラディンさんが言うように――。

 まさに天使。

 天使様。

 そうとしか思えなかった。

 氷を削って精巧に作られた完璧な人形のような子だった。

 冷たくて、透明で、何の感情も見えなくて――。

 かと思いきや……。

 しゃべれば急に愛嬌が生まれて、それどころか、まるでうちのダメ姉みたいに挙動不審な態度まで見せて、親しみやすい雰囲気に変わったけど。


 夢でないことはわかる。

 幻でもない。

 ましてAI生成のフェイクなんかでは、絶対にない。

 だって、私は見た。

 それに助けてもらったのだ。


 パラディンさんはあの時、撮影の最中だった。

 パラディンさんは大手の配信者だ。

 動画を撮る時には自撮りに加えて、アシスタントの人も脇から動画を撮っている。


 あのトラックの事故の時――。

 パラディンさんはパニックを起こして撮影どころではなかったけど――。

 アシスタントの人は動じずに撮影を続けていた。

 そして、バッチリ――。

 あの時の瞬間を動画に収めたらしい。


 それを緊急で編集して投稿するというのだ。


 これはもう!


 楽しみにせざるを得ない!


 もう一度、ちゃんと動いている彼女の姿が見えるなんて夢のようだった。


「あー! 早く時間にならないかなー!」


 私はベッドの上を転がる。


 転がりつつ、ベッドの脇にある置き時計に目を向けた。


 時刻は午後7時50分。


 あと10分だ。


 だけど私は、ここでため息をついた。


 お姉ちゃん……カナタはいったい、どこで何をしているのか。

 正直、心配ではある。

 だって引きこもりなのに、夜に出歩くなんて……。

 悪い人に声をかけられた時、お姉ちゃんは、ちゃんと断れるんだろうか……。

 断れずに連れて行かれちゃう気がする。


「まったく……。バカなんだから……」


 姉のことを心配する内に時間は過ぎて――。


 午後8時になる。


 動画公開の時間が来たーっ!


 私は光の速さでスマホを操作して再生する。


「ひゃあ!?」


 私は、いきなり変な声を出してしまった!


 だって動画の冒頭から、いきなり私が出ているんだから!

 握手をしてもらった後――。

 撮影がおわったら遊ぼうよ、と、胸を揉むみたいなエッチな仕草でパラディンさんから誘われていた時の場面だ。

 アシスタントの人が脇から撮った映像だから映っているのは背中だし……。

 しゃべっているのはパラディンさんだけだから、私だとわからないとは思うけど……。


 テロップには「今日もウッキー! 黄猿のパラディン!」とあった。


 私は笑ってしまう。


 パラディンさんは自分を偽らない。

 思うままに生きている。

 批判されようが罵倒されようが、お構いなしの人だ。

 そこが好きなところだった。


 私は、自由に生きている強い人が好きだ。


 憧れる。


 私もそうしてみたいけど、できそうにはないから、尚更。


 だから今日、クルミからパラディンさんが来ているとメッセージをもらった時には――。

 思わず2人して体調不良を理由に学校を抜けて――。

 会いに行ってしまった。

 私、これでも、学校では成績優秀な優等生で通っているのにね。


 さあ、そして……。


 その後……。


 軌道から逸れたトラックがこちらに迫ってきて――。

 クラクションが鳴り響く中――。

 恐慌したパラディンさんが私を押し倒して、自分だけ逃げて――。

 私が言うのも何だけど、この場面を隠さずそのまま使うところは、さすがはパラディンさんだと尊敬できてしまう。

 普通なら隠すところだろう。


 そして……。


 次の瞬間だった。


 いきなり現れた天使様が、減速なしで突っ込んできたトラックを手で止めて――。

 横に倒した。


 今見ても信じられない光景だった。


 この後、場面が変わって、部屋の中でパラディンさんは語った。


「言っとくけどおまえら、これはAIじゃねーからな! ニュースも見ろよ? これは今日の出来事だからな? 速報だからな? いやー、俺はよー、感動したぜー。この俺のために天使様が天より現れて助けてくれたんだぜ? 手でトラックを止めてだぞ! できるかそんなこと? できるわけねえよなニンゲンに! ああ、俺は決めたぜ……。俺の愛は、生涯、誓って天使様だけに捧げることをよ……。今まで付き合ってきた女たち、ごめんな……。で、だ。天使様については、気合と根性でどこの誰かを探すから! 続報、待ってろよ!」


 それで短く動画はおわった。


「はぁ。よかったぁ」


 私は大いに満足した。


 そうしていると、SNSに通信があった。


 誰かと思ったら、なんと、パラディン北川さんだった。

 SNSのアドレスは交換したのだ。

 なので連絡は取れるけど、まさか向こうから来るとは思わなかった。


 メッセージはこうだった。


『次の日曜日、暇? 会おうぜ。そっち行くから』


 …………。

 ……。


 いったい、天使様に誓った生涯の愛はどこに行ったんだろう。

 私はそう思ったけど。


「いいですよ」


 と、返した。


 ただ、うん。


 同じメッセージはクルミにも届いていて、どうしよう!とクルミから相談が来た。

 パラディンさんに確認を取ってみると――。


『おう。アシスタントも行くから、関係者で天使様会議しようぜ」


 とのことだった。

 なぜか仲間扱いされているのかな、これ。

 悪い気はしないけど。

 その旨を含めて、私も誘われたことをクルミに伝えると、クルミはホッとして、それなら2人で行こうということになった。


 私は正直、残念だった。

 大人になりそびれた気持ちだった。



 ちなみにお姉ちゃんは、夜9時を過ぎて帰ってきた。

 水を飲みに部屋を出て1階に下りたら、リビングでお母さんに叱られていた。


「で、でもね、私、いい動画が撮れたから……。これで私、きっと人気者だから……。高級車は期待していてね……?」

「高級車なんていいから、夜まで出歩くのはやめなさい! いいですね!」

「でもぉ……」

「でもじゃありません!」

「わかったよぉ……」


 私はもちろん無視した。

 お母さんの言っていることは全面的に正しい。


 ただ、うん。


 いい動画かぁ……。


 ちょっと気にはなったけど。

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