7

 刃は、金属音をたてて弾かれた。血は出ない、痛みもない。驚愕するフィミラの手を掴み、そのナイフをもぎ取る。フィミラの顔に、初めて驚愕の表情が浮かんだ。


「なんで……?」


 私の服の首元――デルシュタイン風の立て襟は無残に切り裂かれてしまっている。そしてそこからは、鋼の首輪が露出しているはずだ。――例によって、ナハトの「なんとなく」による防御策だった。

 私が故郷カリウスのドレスではなく、デルシュタイン風のドレスを着ていたのもこのためだ。――首元にこんな装備なんて、めちゃくちゃ危険な目に合うのがわかるから、ルードはものすごく渋い顔してたけど!


 呆然とするフィミラの腕を掴み、床に引き倒す。うつ伏せになった彼女の腕を後ろ手に拘束し、馬乗りになって押さえつけた。フィミラが消えることはない。姿が見えなくなるだけならば拘束から抜けることはできないはずだ。

 部屋の隅を見る。人形は女の体の横に落ちていた。

  

「アリー!」


 地下室にルード達がなだれ込んでくる。ルードからもらった指輪の力で、私の位置は皆に伝わっていた。ナハトの協力もあったかもしれない。外から機会を伺ってくれていたみたいだ。


「彼女は自在に姿を消せます!……拘束してください。逃げられないように」


 ユルゲンスさんはどこから出したのかわからない縄で、フィミラの体を手際よく縛りあげる。

 ルードは私の手を取って立たせると、無言で強く抱きしめた。声にはなっていなかったけど何を言いたいのかは理解できたので、そっと広い背中に腕を回し返す。

 

「フィミラ……?」

「姉さま……」


 ヘデラが、よろよろとフィミラに近づく。

 

「ごめんなさい。……お母さまを……お返ししたかったのに……」

「馬鹿……ばかっ!なんで……なんで……ッ!バカぁあ!!」


 ヘデラは妹に駆け寄ると、拘束された体を抱きしめた。両目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出し、フィミラの服を濃い色に染める。


「ごめん……ごめんな……アタシたちが悪いんだ。あんたと……もっと、ちゃんと……話したり……家族、すればよかったのに……」

「えへへ……ねえさま、あったかい」


 抱きしめられたフィミラは、ゆっくりと目を閉じた。そうして、幸せそうに微笑む。


「……おかあさまも……こんな感じ、だったのかな……」

「……居るよ。そこに」

「……え?」


 私はルードの腕の中から言う。肖像画と、姉妹に寄り添う――女性の霊を見比べながら。

 

「フィミラさんの近くに……ずっといる。女神像で見た時は、他にもたくさんいたからわからなかったけど。……この人、だったんだね」

「うそ」


 フィミラは表情の抜け落ちた顔で、呟く。

  

「居るなら……。なんでフィミラには見えないの?なんで出てきてくれないの?あの家で、一人で、フィミラは誰にも見えなくて!さみしかったのに……なんで、なんで……他人の……あんたなんかが見えるのに!!」

「フィミラ……!」


 フィミラは癇癪を起こした子どもみたいに喚いた。唇を噛んだ私を守るようにルードが前に出る。

  

「生者と死者は、住む世界が違う。死霊術だって、せいぜい器だった肉体に干渉して無理矢理動かすだけの魔法だ。……だから、今からすることは……そのことわりを……逸脱することになる。……それでも」


 ルードは静かに言うと、耳飾りを外し、姉妹の傍にほうり投げた。金具が石の床にぶつかる硬い音が響き、そこから光が溢れ出す。

 柔らかな光の中に人影が見えた。その人は、姉妹によく似た顔をしてそこにいた。


『……フィミラ、……ヘデラ』

「母さん……?」

「おかあ、さま……?」


 彼女は泣きそう顔で、それでもなんとか微笑むと姉妹を抱きしめるように腕を伸ばす。――触れられない。

 

『ごめんなさい……ごめん、ごめんね。あなたたちを、置いて逝ってしまって。ずっと……会いたかった。話をしたかった……つたえたかった。フィミラ、あなたに。ヘデラにも』


 大粒の涙を流しながら、彼女はヘデラを見る。


『ヘデラ。あなたが生まれたとき、とても嬉しかった。小さいあなたが、少しずつ成長していく毎日は、とても幸せで……輝いてた。私はあなたにたくさんの幸せをもらったわ。なのに……小さいあなたを置いていって……本当にごめんなさい』


 ヘデラは声を出さない。そのかわり、必死に首を振ってその謝罪を否定した。両目からはとめどなく涙が溢れ出して、止まらない。


『……フィミラ。あなたがお腹の中にいるとわかったとき、とっても嬉しかった。お腹の中で、あなたはとっても暴れん坊でね。よく蹴られたけど、それも……幸せだった。私は死んでしまったけど、あなたが無事に生まれて、本当に嬉しかった。私の分まで……生きてくれるのが。でも』


 フィミラの目から涙が溢れ落ちる。


『ごめんね……一人にして、一度も抱いてあげられなくて……。寂しい思いをさせて……ごめんなさい』

「お……かあさま……かあさまぁ!!」


 今やフィミラはその感情をむき出しにして、号泣していた。触れられない手のひらが彼女達の頰に触れ、頭を撫でる。

 

『皆で……家族に……なりたかったなぁ』

 

 彼女はそう言うと涙に濡れた顔で、にっこりと笑った。


『……お父さんと、アグラと仲良くね。フィミラ、ヘデラ……。私は、ずっとずっと、あなたたちを愛してるわ』


 彼女が消えた後には、姉妹が泣く声だけが聞こえていた。  

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