6
薄暗い部屋の中、まず目に入ったのは正面の壁に掛けられた女性の肖像画だった。少し左に体を傾けて座った彼女は、燃えるような赤毛を緩く編んで、はにかんだように微笑んでいる。――その顔は、ヘデラとフィミラの姉妹によく似ていた。
次に――部屋の異様さに気づく。まるで牢獄のような部屋の中央には長細い机が鎮座している。椅子はない。それはまるで調理台のように、血にまみれていた。――ひどい匂いだ。イリーネ領で嗅いだ、血と……死の匂い。
その奥――部屋の隅に一人の女性が座り込んでいる。俯いた顔は見えないが、肖像画と同じ赤い髪をしていた。
「……お母、さま?」
「ええ。そっくりでしょう?」
フィミラは、座り込んだ女性の近くまで小走りで近寄るとその俯いた顔を持ち上げる。細首ががくんと揺れ、その顔が露わになった。
絵によく似ている。フィミラとヘデラにも。けれど、どこかチグハグな印象を受ける顔だった。その顔色はひどく白いけど、虚ろに開いた瞳は、ぱちりと瞬きをした。――生きてる?
「この目は、娼婦から奴隷に落ちた女からもらいました。鼻と、口はもう少し若い女のものでしたわ。顔の土台と、髪は……ええと、どんな人だったかしら?……体は一人分だけですの。服の下は肖像画に描かれてないからわからないので、身長だけ調べてから似たようなものを探しました」
「それ……それは……あなたが……?」
「ええ、妖精の薬で作ったんです。何人もの体を組み合わせて、お母さまそっくりの体を!」
膝をつく。胸から何かにが込み上げてきて、口を押さえ――嘔吐した。ゲホゲホと咳き込んで、体を抱きしめる。寒い。怖い。――悲しい。
「……なん、で……こんな……ッ!酷い……!」
「なんで……?」
フィミラはまるで甘えるように女の体にすり寄ると、こてりと首を傾げる。
「私は……生まれたときから罪の子でした。みんなから優しいお母さまを奪ってしまった。……だから、私は、皆に返さなきゃ。きれいでやさしい……お母さまを」
フィミラは狂気に満ち溢れた目を潤ませて、語る。その焦点はどこにもあっていなかった。
「でもね。本当は……私のわがままなの。一度でいいから、名前を呼んで欲しい。……そして、愛してるって言われたい。抱きしめてほしい。頭を撫でてほしい。お母さまに……お母さまの、声で」
その口調はまるで幼い子どものようだった。母に寄り添い、甘える。それはきっと、彼女が幼い頃から本当に欲しかったもの。
「でも、私はお母さまの声を、生まれたその日にしか聞いたことがない。だから、どんな声をつけたらいいのかわからなかった……。そのために人喰い女神の元に行きました。幻のお母さまは優しかったけど……体は女神像だから、冷たくて固かった。死霊術で動かす死体もやっぱり冷たいんです。お母さまは、柔らかくて、温かくなきゃいけないのに。……この体は、半分は生きてるから温かいんです。でも半分は死んでいるみたいで、死霊術でも操れます。こんな風に」
フィミラが言うと、女の体が傾いで、腕を持ち上げる。ぎこちなくフィミラの体を抱きしめて――唇の端を持ち上げた。フィミラは、この上なく幸せそうな顔で、その胸に頰を擦り寄せている。
「……でもね。女神像まで行った甲斐はありましたのよ。どんな声だったかはわかりました。びっくりしました。アリエッタ様。あなたの声……お母さまにそっくりなんだもの!……だから」
フィミラの姿が消える。女の腕が床に落ち。一瞬の間の後――可憐な顔が、私の直ぐ目の前にあった。
「あなたの喉を、私にちょうだい」
そう言うとフィミラは、血塗れのナイフを私の喉に押し当て、その刃を、引いた。
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