5

 ……わたし?どうして。 

 

「ふざけるな……何が目的か知らないが、アリーは絶対に行かせない」


 ルードは私を守るように前に進み出ると、剣の柄に手をかける。ユルゲンスさんも無言で臨戦態勢に入ったようだ。

 

「ルード様ならそう言うと思ってましたわ。王太子程度では人質には役不足ですわよね。……では、アリエッタ様ご自身が人質、ならどうでしょうか?」


 フィミラは懐から人形を取り出した。それは少女が遊ぶような、片手に収まる大きさのお人形だ。長い黒髪をたたえて微笑むその顔は――私?

 

「……っ……!」

「アリー!?」


 突然、呼吸ができなくなる。まるで喉を力いっぱい押さえつけられているかのように、息が吸えない。首を押さえて陸にあげられた魚のように口をパクパクとさせる。驚いたルードが私の肩を抱いた。

 

「……駄目ですわよアリエッタ様。髪なんて、女の命に等しいですのに……そんなもの簡単に、他人が拾えるところに捨てていくなんて……それも、あんなに大量に」

 

 フィミラは、握りしめた人形の首をゆっくりと解放した。途端に私の呼吸が戻る。咳き込んで、酸素を取り込もうと大きく息を吸う私の肩を抱いたまま、ルードはその目を見開いた。それは――初めて見る恐怖の表情だった。


「……それは……アリーの、髪か……?」

「ええ、正解です。こんなこともあろうかと卒業パーティで切り落とされたものを保存しておりましたの。長くて綺麗な御髪でしたので……こういうのも作れました。……可愛いでしょう?私特製の身代わりアリエッタ人形です」


 ルードが息を呑み、私を抱きしめる腕に力がこもる。

 

 「そういうわけですのでルード様。アリエッタ様から離れてくださいね。そしてもうその場から動くのは禁止です。……この人形の首を掻き切ってしまえばどうなるか、おわかりでしょう?」


 フィミラは王太子を突き飛ばすと、人形に奇妙な動きをさせる。すると私の体が勝手に動きはじめた。ルードの腕を振り払ってフィミラの元へと。


「アリー!」


 ルード、ユルゲンスさん、ヘデラ、ナハトが、口々に私の名前を呼ぶ。私の腕は意思に反して勝手に持ち上がると、こちらに差し出されたフィミラの手を取った。


「参りましょう。アリエッタ様」


 そういうと美しい少女は、とても嬉しそうに――にっこりと笑った。


*****


 フィミラの手に触れた瞬間、私の周りから景色が消えた。王城の豪奢な装飾も、兵士達も、もちろん皆も……なにもない。

 物音ひとつ聞こえない、どこまでも真っ白い空間だ。


「どこ……?この、白い場所は……」

「あら、アリエッタ様にはそう見えますのね」


 私の手を取ったフィミラは踊るような足取りですいすいと進んでいく。


「……私ね、見えなくなれるみたいなのですよ。自分の好きなタイミングで」

「え?」

「物心がついたころから、私は透明人間みたいでした。お父さまに褒めてもらいたくてお勉強しても、曖昧に目をそらされる。兄さまと一緒に遊びたくても、私に気づかないふりをする。姉さまは優しかったですよ。けど、私よりも夢中になるものがあった。

 家に使用人はたくさんいました。けどみんな私のことは知らんぷり。

 幼心に寂しかったし、疑問でした。でも、仕方なかったんですよね。大きくなってから知りました。私は……お母さまの命と引換えに生まれてきたんだって」


 フィミラは微笑みを絶やさない。


「お母さまはとっても素敵な人だったって、姉さまに教えてもらいました。綺麗で、優しくて、みんなから好かれてた。……そんな人を奪ってしまったんだから、みんなから無視されても仕方ない。そう思っていたら……気づいたとき、本当に私の姿は人から見えなくなっていたんです」


 ほんものの透明人間の完成です。そう言ってフィミラは笑う。


「見えるか見えないか、コントロールできるようになるまでは早かったです。私がいなくても、家の人達は誰も気にしませんでしたから。そうして、消えたり、現れたり……してるときに公爵様にお会いしたんですわ。死んだふりをして、『ヒルデ』という名前をもらって……後は、ご想像のとおりです」

「……なんで、エールリヒ公爵なんかに……協力したの?」

「……先程も言いましたが、公爵アレがあそこまでの屑だとは、本当に知りませんでしたの。ただ……逃げ出さなかったのは確かです。私の……目的のために」


 そう言うと、フィミラは私の手を離す。――すると突然、周りに色と音が戻ってきた。

 王城ではない。石造りの階段の下――じめりとした空気は地下室のようだ。壁には松明が燃えて、私達の影を伸ばしている。

 

「……着きました。ここです」


 フィミラは私の人形をひと撫ですると、重々しい扉にその手をかけて、そっと開く。不愉快な音を立てながら扉が開いた。


「いらっしゃいませ、アリエッタ様。さっそく紹介しますわね。……私の、お母さまですわ」

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