幕間

 それは紛れもなく、少年の初恋だった。


 アリエッタ・フィエステ。隣国カリウス王国の貴族の娘で、エドガー・カリウス第二王子の婚約者。少年が調べた彼女の素性だ。婚約者の性格まではわからなかったが、剣の才に溢れる将来有望な若者であるらしい。

 少年は自分の気持ちに蓋をすることにした。その代わり、遠く離れても彼女を守ることに決めた。


 そう決めたのは少女と出会ってすぐの頃、足を引きずりながら待ち合わせ場所に現れた彼女を見たときだった。聞けば霊と目が合い、追いかけられて転んだという。

 たちの悪いものには少年にも覚えがあった。彼らは自分の存在に気づいてほしいので見えたり聞こえたりする人間につきまとう。

 頭を掻きながら、「日常茶飯事だよね」と笑う彼女に、少年の胸は痛んだ。

 

 そしてそんなときでさえ明るく振る舞っていた彼女が見せた涙に少年の決意は揺るがないものになった。彼女は何があったかは語らなかったがその力がその笑顔を奪っていることは確かだった。 

 交わした会話の端々から、彼女が他人から疑われ続けてきたことは察していた。そしてそれに何度も傷ついていたことも。

 それでも初めて出会ったあの日、彼女は少年に声をかけた。また拒絶される可能性があるのに、「寂しそうだったから」なんていう理由で。

 そんな優しい人が理不尽に傷ついていいわけがない。そう、強く思った。


 少年の家には、代々伝わる不思議な道具がいくつかあった。そのうちの一つ能力盗りスキルスティールと呼ばれる箱があれば、彼女は普通の少女になれる。その力に関する記憶全てを捨てることで。それはその力を通じて出会った少年のことも、全て忘れることを意味していた。

 それでいいと思った。彼女のことだから少年の記憶は負担になるだろう。忘れて、光あふれる世界で幸せになってほしい。少年はそう願った。

  

 箱を開けた後、力と記憶を無くして眠ってしまった彼女を抱きかかえ、少年は歩いた。空は少しずつその色を変え、人の居ない裏通りを街頭が照らし始める。静かな夕暮れだった。

 彼女の滞在先の前までやってくると、門の前に自分の上着を敷いてそこに少女を下ろす。

 しゃがんで顔を覗き込む。よく眠っていた。長い睫毛がまだ幼い頬に影を落としている。顔にかかった髪を払ってやり、少年の指は彼女から離れた。


 呼び鈴を鳴らして物陰に隠れる。少しして慌てた侍女らしき声がした。少女が家に入ったことを見届けると少年は一人帰路についた。生ぬるい風が冷たくなった頬を撫でていく。

  

 少年は決意していた。彼女からもらった力は人のために使う。彼女ならきっとそうするからだ。それには準備が必要だった。困難もあるだろうが、やり遂げてみせる。

 

 少年は立ち止まって、振り返る。少女が眠る屋敷の背後は淡いオレンジと夜の色に染まり、建物は黒々とした影になりはじめていた。 

 この日のことを忘れないようにしよう、と少年は決めた。この――薄明りの夕暮れのことを。 

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