8

 ――思い出した。

 私は子供の頃、ずっと誰にも見えない人が見えていた。その姿に怯えて恐怖を訴えても誰も信じてくれない。それどころか皆が私を変な目で見た。

 

 私が触れた人には、私と同じものが見える。そう気づいたのは、婚約者になって間もない頃のエドガー殿下の手を握った時だった。彼との何度目かの顔合わせの時、目の前に立つ首のない男に怯えた私は、思わず彼の手を握ってしまった。

 結果、同じものを見た彼は悲鳴を上げ、「気持ち悪い」と手を振り払った。お前に触ると気味の悪い幻覚を見るのだと、まるで不衛生なゴミを投げ捨てるみたいに。

 

 それからは何も見えないふりをして心を殺し続けた。

 そんな私に、ルードは涙を流して御礼を言ってくれたのだった。

 

 ――嬉しかった。


 私とルードの距離はすぐに縮んだ。私はデルセンベルクに滞在している間、毎日のようにルードのところに遊びに行った。

 私は目で、彼は耳。その違いはあったけれど、私の世界は、初めて他人と繋がったのだ。


 二人でいるとわかることもあった。私が見る恐ろしい姿をした霊は、声を聞いてみたらただ遺してきたペットの心配をしているだけだったり、優しげにこちらへおいでと呼ぶ声の主が、恐ろしく禍々しい姿をしていたりもした。

 

 それでも、やはり。私を取り巻く世界は厳しかったみたいだ。


 その日、私はお父様の用事に着いて、とある貴族の邸宅に招かれていた。大人は大人の話をし、子どもは庭でお茶会をする。ルードに会うほうがよっぽど楽しいので私は乗り気ではなかったけれど、社交は貴族の義務でもある。渋々ながら着いていった。

 

 その邸宅の庭園には、両手と両脚のない男が横たわっていた。体中の肌の色がまだらに変色した彼は、歯のない口を大きく開けて何やら喚いていた。音は聞こえないけれど、骨が露出した傷口も、なにやら怒っているような様子も怖かった。必死に見えていないふりをしながら一人でいる私に、女の子が話しかけてきたのだ。


「ねぇ、あなたも不思議なものが見えるの?」

「……え?」


 金色の髪に、薔薇色の頬の美少女だった。私と同じく招かれたどこかの貴族の娘のようで、にこにこと微笑みながら少女らしく小首を傾げている。

 

「別の子に聞いたの。ねぇ、不思議なものが見えるんでしょう?」 

「……う、うん……あなたも?」

「ええ!ティーナはね、妖精達とお友達なの!とっても綺麗な子たちなのよ。……あなたは、どんなものが見えるの?」

「……わたし、は……今は、庭の隅に……」


 その時、私は嬉しかったのだと思う。もしかしたら、彼女ともルードと同じように仲良くなれるかもしれない。そんな期待を込めて、男のことを説明した。けれど――そんな私の話を聞いた彼女は、可憐な顔を歪め、吐き捨てた。


「……やだ。きもちわるい」

「……え」

「あなたには、そんなに気持ち悪いものが見えてるの?」


 少女の冷たい視線に、私は怯えた。彼女は口元を小さな手で隠し、蔑みを隠そうともせずに続ける。

 

「皆ね、綺麗な妖精が見えるのはティーナの心がキレイだからだよって言うの。……だったら、醜いものが見えるあなたは……心が醜いのかしら?」


 彼女の背後で、別の少女達が私の方を見ながらくすくすと笑っていた。

 私はその場から、走って逃げ出した。空模様は真っ黒で、ポツポツと、雨が降り出していた。


*****


 走って、走って。たどり着いたのはやはりと言うべきか、ルードの住む屋敷の前だった。濡れねずみになって訪れた私にルードは驚いて、でもすぐに招き入れてくれた。


「……どうしたの?」


 彼の部屋に入るなり、隅で膝を抱えてしまった私に、ルードは戸惑いを見せながら温かい飲み物を差し出してくれた。ぼうっとしながら受け取って口をつけると、鼻の奥のほうがツンと痛んで、視界がじわじわと歪んでいく。


「……わたし、領地に戻るの……嫌だなぁ……」

「……なんで?」

「……だって、ルードがいないもん……」


 ルードは答えない。私はまるで独り言のように話し続ける。

 

「ずっとね、一人で見てたの、怖いもの。どうせ誰も信じてくれないし、信じた人も気持ち悪いって顔で私を見る。だったら、黙ってるほうが……一人のほうがよかった。でも……」


 暖かいミルクの表面に生暖かい液体がぽたぽたと落ちて、小さな王冠をいくつか作った。

 

「ルードと一緒にいて……もう、一人でいたときのこと、思い出せないの。今まで、なんで平気だったのかな……。もう、ひとりで、怖いもの……見たくないよぅ……」


 ルードは黙って、私の隣にいてくれた。私が泣き止んで、その泣き言を冗談にできるようになるまで。

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