5
「人喰い女神?なんだそれは。子供騙しの怪談に決まっているだろう。馬鹿らしい」
フンと鼻を鳴らすエドガーは、器用にも枝を杖にして私達にひょこひょことついてきていた。そういえばこの人、運動神経だけはいいんだった。馬鹿だけど。
「知らないのか?では何のためにこんなところまで来たんだ」
「ヒルデが来たいと言ったんだ。女のワガママを叶えてやるのは男の甲斐性だろう?」
ルードはエドガーに敬語を使うのを放棄したようだけど、それも仕方ないような気がする。一国の顔に近しい立場の人間として……あまりにも、浅い。
呆れながら山道を登る。道を踏み外した可能性も考慮して斜面の下も見ながら歩くが、そんなに急な角度でもない。女性の足でも転げ落ちるなんてことはありえなさそうだ。
そうしてしばらく歩き、じき山頂にたどり着くというとき、見張りの兵士と行き合った。
「……アリエッタお嬢様!?」
「グレッグおじさん!」
それは小さい頃からよく知っている警備隊の小隊長だった。エドガーの顔を見ると大慌てで捜索者発見の照明弾を打ち上げてくれた。これで直に応援が来るだろう。
「ここを女性が登っていきませんでしたか?」
「いいえ?皆さんが来るまで、誰も」
おかしい。エドガーがいた場所からここまでは一本道だ。助けを求めに行ったのなら、絶対にここに辿り着くはずなのに。
「……ヒルデ……まさか、魔物に……?」
エドガーが青い顔で道の脇を見た。そのとき、
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン
山頂から大音量の何か――音のようなものが、聞こえた。あまりのうるささに両手で耳を防ぐが、グレッグおじさんとエドガーは不審げに私を見るだけだ。……聞こえていない。
ルードは煩そうに顔を歪めると、登山道の先を見つめて言った。
「……女神が鳴いている」
そして地を蹴って駆け出した。慌ててその後を追う。山道を走り、黒々と茂る木のトンネルを抜けて山頂にたどり着いた。
――ここまで来るのは初めてだ。
山頂に木はなく、代わりに色とりどりの花が咲き乱れている。――子供の頃、ここの花々は土塊になった人間の養分を吸って咲いてるから綺麗なのだ、なんて怪談をされて怖かったけど、その時に想像したとおりの光景が広がっていた。天国のようだけど、どこか恐ろしい。
その話を裏付けるかのように地面には持ち主を失った衣服が点々と散らばって、風がそれをバタバタと閃かせていた。中には土塊が服を着ているかのような状態のものもある。きっとまだ新しい犠牲者のものだろう。
女神像は散らばった服の中央で祈りを捧げるように手を組んで、天を仰いでいた。そして、その前に佇む少女が一人。
――ヒルデ・エールリヒ公爵令嬢だ。
エドガーの恋人。私に虐められたと彼に告げ、大勢の前で断罪させた彼女は、卒業パーティの日のままの華やかさで、そこにいた。
「……危ない!それに近づくな!」
大声を上げたルードを、ヒルデはゆっくりと振り返る。薄桃色の髪が風に吹かれて、花とともに揺れた。どこか虚ろな瞳が私を捉える。
「あら……アリエッタ様、お久しぶりですわね」
彼女は場の緊迫感にそぐわないにこやかな微笑みを浮かべ、私に挨拶をする。なぜだか、ゾクリと背筋が震えた。
「何を聞いてきたかは知らないが、それは君の大切な人に会わせてなんてくれない。目に映るのは、君を食うために女神が見せる……疑似餌に過ぎない!」
「知ってますわ」
「……え?」
「それでいいのです。私は忘れてしまったものを、思い出したいだけなのですから」
そう言ってヒルデは、戸惑う私達を無視して女神像に一歩近づく。女神はまた大きな音を出しながら、ガタガタと痙攣するような動きを見せた。ヒルデはしばらく虚空を眺めると、うっとりと言った。
「そう……こんな声だったのね……」
「ヒルデ!無事だったのか!」
その時、背後から安心したようなエドガーの声がした。足を引きずりながらようやく追いついたようだ。彼の姿を見たヒルデは、可愛らしく小首をかしげる。
「あら、エドガー殿下。まだ生きてらしたんですか?」
「……は?」
「あの大怪我をした状態で魔物を倒したんですか?剣の腕だけは一流ですのね」
ヒルデはコロコロと笑う。――その表情が、知っている誰かに似てる気がした。
「でも困りましたね……。侯爵様からは確実に殺すようにと言われていたのですが……」
「ヒルデ、お前、なに」
「まぁ、もう……いっか」
ヒルデは悪戯っぽく笑う。やっぱりだ。化粧と髪の色で誤魔化しているけど、あれは、あの顔は。
私の友達、ヘデラにそっくりだ。
「……もしかして、あなたが……フィミラ……!?」
声を上げる。私の友達によく似た顔をした少女、ヒルデ……いや、フィミラは目を丸くして、薔薇色の頬に両手を当てる。
「まぁ、まぁまぁ、アリエッタ様、とても素敵な声をなさってるのね!そうです、わたくし……ヒルデ・エールリヒ、こと、レイディ、こと……フィミラ・イリーネですわ!」
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