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 かつてお父様から聞いた人喰い女神の話は、こんなものである。

 

 その女神像が、いつから何のためにあるのかははっきりしないという。一説にはとある彫刻家が亡き妻を偲んで作った像だというが、真偽の程は分からない。人々の噂など素知らぬ顔で、像は山の頂上にひっそりと佇んでいた。

 

 しかしいつからか、その女神像に祈ると自分が会いたい人間に会える、という噂が囁かれるようになった。例え、その相手が既に亡くなっているとしても。


 噂を聞いた人々が連日、女神像に祈りを捧げに訪れた。目当ての人物が見えたという人間、見えないという人間、様々だった。中には話が出来たと言う人間もおり、人々はこぞって女神像の前に押しかけた。

 

 人々の間には暗黙の了解があった。例え目当ての人間が現れても、決してその姿に触れてはならない。

 誰が言い出したことかはわからない。しかし、集まった人々は本能的に察知していたのだろう。もうどこにも居るはずのない人間に触れることがどのような意味を持つのか。


 女神像を崇める人々は日に日に増えていった。そんなある日、子どもを亡くした若い母親が女神像に祈った。しばらくの礼拝の後、母親は顔を上げ涙を溢れさせて我が子の名前を呼んだという。そうして、母親は女神像に駆け寄り、両腕を伸ばした。他人には見えない我が子を抱きしるように、両腕は女神像を抱きしめていた。

 ――禁を破ったのだ。


 人々の眼前で、母親の両腕がボロボロと崩れ落ちた。


 騒然とする人々の前で、母親の体は少しずつ茶色の土塊となっていき、最後には全て崩れて、なくなった。

 なくなる直前まで、彼女は女神像に優しく語りかけ、幸せそうな微笑みを浮かべたままだったという。後には、彼女が身にまとっていた洋服が抜け殻のように残されていた。


 女神像を訪れる人は減ったものの、完全に居なくなることはなかった。子を亡くした親、恋人を亡くした若者、親を亡くした幼子、命と引き換えにしてでも誰かに会いたいと願う人間は後を絶たない。

 そのうちの幾人かが土塊になり、そうなった人間が百を超えた頃、人々は女神像を『人喰い女神』と呼び始めた。

 

 事態を重く見たカリウス、デルシュタイン両国は協議の上、女神像のある山の所有権を曖昧にしたままその一帯を封鎖し、女神像にまつわる噂を厳しく取り締まることにしたのだった。


「……私も一度、人が消えるところを見たことがある」 


 お父様はかつてそう言って、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

 数年前、お父様はとある貴族の要請で、道案内役としてその女神像に同行したらしい。

 名目は人喰い女神を罪人の処刑に役立てられる否かの検証、であった。その内容に大いに抵抗はあったが、国王陛下直筆の書状を持ってこられては否応もなかった。

 

 やってきた貴族は、数人の部下と手縄で拘束した一人の男を伴ってきた。詳細は知らされなかったが、女神像に食われることになっても問題ないほどの重罪人なのだろう、と思ったとのことだ。


 お父様はその一行を伴って山頂へ向かった。緑が多く鬱蒼とはしているが急な山ではない。実のところ女神はその体に近づかなければ無害なので、お父様にとっては気楽な道中だったという。

 一方、縛られた男は終始不安そうにキョロキョロとしていた。おそらく何も聞かされていないのだろう、そんな様子だった。


 山頂に着くとそこは色とりどりの花が咲き乱れる美しい場所だった。その中央に人喰い女神がひっそりと佇んでいる。手を胸の前で組み、美しい顔で天を仰ぎ祈りを捧げている。

 部下の一人が罪人の手縄を解き、女神像の前に突き飛ばした。男はか細い悲鳴を上げ、倒れ込むように転び、その顔を上げて女神像を見た。


 その男は驚愕したように女神像を見ると、女性の名前を呼んだ。そしてすぐに像に向かって駆け出し、その体をまるで愛おしい女性を抱きしめるように両腕で抱きしめた。

 

 お父様達の目の前で、男の体がボロボロと崩れていった。

 女神に触れた場所からすぐに色が変わり始めた。まるで体中の水分が吸い取られるかのように変色し、先の方から崩れていく。

 異常な光景とは相反し、男は恍惚と女の名前を呼び続け、むせび泣いた。貴族一行はそれを黙って見つめていた。

 数分の時間を掛けて、男の体は完全に土塊になった。あとに残った衣服の他には血の跡も、骨の一欠片も残っていなかった。


 ――その時男が呼んだ名前は、彼を連れてきた貴族の妻の名前であった。――彼女が先日病で亡くなったことは知っていた。


 お父様は、その男が犯した罪というのは化け物に土塊にされてしまうほどのことなのかと、疑うと同時に、初めて……恐ろしくなったという。

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