7
ナハトとネルは仲の良い兄妹だった。
しっかりものの妹は兄の世話を焼き、正義感の強い兄は妹をいじめる相手には年上だろうと構わず向かっていく。二人はそんな兄妹だった。
ナハトが十二歳、ネルが十歳になったとき、母が肺炎で亡くなった。涙が枯れるまで泣いた後、二人は都会に住む伯父の家に引き取られることになった。
伯父夫婦は優しかったが、経済的にあまり裕福ではなかった。だから、ナハトは自分たちの食い扶持を稼ぐために働くことにした。
伯父の知り合いの商人の元で修行することになった。力仕事は大変だったが、妹は学校に行かせてやりたかった。読み書きができた方が、将来まともな職に就ける可能性が高い。
毎日ヘトヘトになるまで働いた。その間、ネルは伯母を手伝いながら、兄のために家事を覚えていた。
楽な暮らしではなかった。けれど、二人は決して不幸ではなかった。この時までは。
ある冬の日、ナハトは風邪を引いた。彼には珍しい体調不良で午後からずっと臥せっていた。ネルは心配で仕方なかった。風邪から肺炎を拗らせた母親のことを思い出していたのだろう。付きっ切りで看病をした。
夕方になると、ナハトの熱が上がり始めた。ネルは思案した。この時間なら、まだ薬屋が開いている。一日分の解熱剤なら、これまでコツコツ貯めていた小遣いで買える。
ここしばらく街の治安が悪いことは知っていた。しかし伯父夫婦に頼むのは気が引けたし、薬屋までは走れば数分程度の距離だ。少し迷ったが、兄のためにと思えば勇気が湧いてきた。
ネルは財布を握りしめて、家を出た。眠っていたナハトは、それに気づかなかった。
――近所に住むよろず屋の店主が血相を変えてやってきて、ナハトは目を覚ました。
ネルちゃんが。
いい歳をした大人が涙を流しながら、言葉を詰まらせる。ナハトは伯父の静止を振り切って、裸足のまま家を飛び出した。外にはちらほらと、粉雪が降っていた。
走って、走って。――その場所は、人だかりができていたからすぐわかった。ナハトはざわめく人々をかき分けて、その中央に躍り出た。
そこには、真っ赤になったネルが横たわっていた。
その首からは真っ赤な血が溢れ出し、積もった雪を染めていた。――光を失った、虚ろな目が、虚空を見つめていた。
そのままナハトは気を失い、三日三晩高熱にうなされた。
ようやく起き上がれるようになったときにはささやかな葬儀は終わっていて、ネルの遺体も埋葬された後だった。――通り魔に刺された、と。伯父からは聞いた。
ようやく訪れることができたネルの墓の前で、ナハトは慟哭した。あの日、ネルの傍に落ちていた解熱剤が入った袋を抱きしめて。
その時、一人の女が声をかけてきた。
女は、レイディと名乗った。
彼女は、ネルの事件の真相を語った。……曰く、妹は、手違いで殺されたのだと。
巷の噂になっている『
本来は腕を狙って軽い怪我をさせる手口だった。しかし右腕に斬りつけて、抵抗された拍子に手元が狂って首を切りつけてしまったのではないかと言う。
位置的に、即死だっただろうとのことだ。――妖精の力も、死んだ人間には届かない。
ナハトは全身の血が凍りつくのを感じた。――そんなくだらないことのために、妹は殺されたのかと。
「悪いことをしたなら、罰を受けなきゃね。そうでしょう?」
レイディはナハトに優しく囁くと、そのための協力を求めてきた。
断る理由は、なかった。
*****
「それで……
タルシア男爵家で開かれた狂気のパーティで、ナハトはティーナの逃走防止に手を貸した。その後の惨劇を目撃して、協力したことを後悔したが後の祭りだった。
ティーナに与していたジェラルドが、ナハトを脅したのだ。伯父夫婦の事を考えると、自首することは出来なかった。
ジェラルドは大量の小瓶の隠し場所を探すよう、ナハトに指示した。
ナハトは少し考えて、かつて自分が住んでいた小屋には、広い地下室があったことを思い出した。小屋が既に人手に渡っていたことは知らなかった。
ナハトは夜中に小屋へ忍び込み、地下室にそれを隠した。人口も少ない、勝手知ったる村である。見つかるおそれは少ない、と思っていた。
想定外の事態が発生した。夜中に村の若者が忍び込んだのだ。
地下室と小瓶は発見されなかったが、ジェラルドはナハトをひどく叱責した。
そうして安全のため、小瓶を別の場所に移動させようとしたその日に、ヨナスがやってきたのだった。
小屋に入ろうとするヨナスを、ジェラルドは躊躇なく刺し殺した。
ナハトは驚いて、ジェラルドを責めた。罪のない一般人を殺した彼に、一欠片の正義もなかった。
ジェラルドはうるさそうにナハトを見下ろし、彼を殴りつけた。ナハトは抵抗したが、相手は騎士である。かなうはずがない。
気絶したナハトが目を覚ますと、そこは小屋の地下室だった。
「その後は、三日間くらい。備蓄してた水と食料で過ごしてた。……ごめんなさい」
「……辛かったね」
俯いたナハトの肩を抱く。触れた肩は華奢だった。……まだ、子どもだ。こんな辛いことを、一人で乗り越えてきたのか。
「……君は、兄を助けたかったんだな」
ルードは、部屋の奥に視線をやり、ぽつりと呟いた。視線の先に、少女、『ネル』が、立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます