8

 ルードの言葉に、ナハトは怪訝な顔をして振り返る。……やっぱり、見えないみたいだ。


「若者達の前に現れたのは、君だね」

 

 少女は頷く。


「君は兄を助けたかった。このままじゃジェラルドに良いように使い捨てられる。だから、地下室への隠し扉の存在を教えたかった。薬の瓶が見つかれば、兄は捕まるかもしれないが……命まで取られることはない」


 ネルは頷いた。


「しかし……なぜ彼らを無駄に怖がらせるようなことをした?ぬいぐるみを動かして、お前はじきに死ぬ、なんて占いをすれば、地下室捜索どころじゃなくなるのはわかるだろう」


 ネルは、少し思案して、小さな声で答えた。今度は私にも聞こえた。


『……本当のことだから』

「何が?」  

『……みんな、しんじゃう。あれのせいで』

「なぜ?どういうことだ?」

『……わからない。でも、あの人だけじゃない。他の三人も……この村の人ぜんぶ。もしかしたら、もっと多くの人……みんな、死んじゃう。どうしてかわからないけど……』


 ここでネルは言い淀み、目を閉じた。


『一年後の、未来。それが、みえるの……』


 ネルは辿々しく、泣きそうな声で言う。

 どういうことだろう。あの薬には、まだ呪いの力があると言うのだろうか。

 

「なあ、なんだよ。さっきからあの兄ちゃん、一人で何喋ってんだ?」


 ナハトが私の腕を引っ張って、我に返った。不安げな瞳が私を見上げてる。

 この子を……ネルに、たった一人の家族に、会わせてあげたい。

 

「……えっとね、驚かないで、聞いてね。……ここに、ネルちゃんがいるの」

「……何言ってんだよ。ネルは死んでるのに」


 駄目だ。どうしたら信じてもらえるだろう。少し迷って、少女を見た。


「……茶色い髪で、前髪は眉毛のちょっと上で揃えてる。肩の上の方で、おかっぱに切りそろえてて、黄色い……ひまわりかな、の髪飾りをしてる」


 見えたまま、その容姿を言葉にしていく。ナハトの瞳が不審げに震えた。 


「お顔にそばかすがあって、目はきれいな紫色。黄色のワンピースを着てる……ワンピースの裾には……赤いお花が刺繍されてて……自分で縫ったの?」


 ネルは、私の言葉にこくりと頷いた。


「そう、上手だね。そして右腕と、……首筋に、傷がある」

「そんな……そんなの!誰かに聞けば、すぐわかる……からかうんじゃねぇ!ネルは、ネルはもう……!」 

「ナハト……!」 

「アリー、任せて」


 背後から、私の耳元でルードが囁いた。

 

 ルードは一歩、私たちの前に出ると、右耳の耳飾りを外した。それを床に放り投げて……何やら呟く。すると柔らかい光が辺りを包んだ。

 キラキラと光る粒子が耳飾りから立ちのぼる。その中に――小さな人影が現れた。


『兄ちゃん……』 

「……ネル……?」


 そこにいたのは、私が見た通りの女の子だった。ただし、腕にも首にも痛々しい傷はない。利発そうな丸い目が、驚いたようにこちらを見ている。

 生きている人間と変わらないように見えた。うっすらと、背後の壁が透けて見えなければ。


「ネル……なの、か」


 ネルは頷いた。ナハトはよろよろとネルに近づくと、その肩に触れようとする。けれどその手は虚しく宙を切った。……触れられないのだ。

 ――生者と死者の間には、明確に壁が存在する。 

 ネルはさみしげに微笑んだ。呆然と自分の手を見つめたナハトの双眸から、大粒の涙がぼろぼろ溢れ出す。

 

「ごめん……。ごめん、オレ、オレがあの日、熱なんか出さなきゃ」

『……兄ちゃんのせいじゃないよ』

「母さんに、オレ、ネルのこと守ってやれって、言われてた。オレが、兄貴なのに……なのに……!」

『……馬鹿だなぁ。そんなのアタシだって言われてたよ』


 ネルはいたずらっぽく言うと、ナハトに向かって人差し指を突きつけた。

  

『兄ちゃんは、抜けてるトコあるからネルがしっかりしてね、……って』

「……はは、母さん、らしい、な……」


 ネルは歯を見せてにっかりと笑う。ナハトもつられたように少しだけ笑った。その笑顔を見て、ネルは優しく微笑むと目を伏せた。

 

『……あのね、兄ちゃん。ずっと言いたかったの』


 そう言って、手を伸ばす。触れられない指先が、涙に濡れたナハトの頬を撫でるように動いた。


『いつもありがとう。私のこと、守ってくれてありがとう。私のために、頑張って仕事してくれてありがとう。頑張ってる兄ちゃんのこと、いつも見てた。……見てた、よ』


 ネルの声が、震えている。


『……変な女に騙されちゃってさ。心配してたんだよ?でももう、大丈夫だよね』

 

 そう言ってネルは、私とルードを見ると、ペコリとお辞儀をした。


『お兄ちゃんのこと、よろしくお願いします』

「……うん。大丈夫だよ。任せて」


 滲んでしまった視界の向こうで、ネルはにっこりと笑う。そうして再び、兄を見た。


『兄ちゃん、……大好き。先にお母さんのところ行ってるね。じゃあね』


 ネルはそう言って、小さく手を振る。

 そうして、かき消えるように薄くなり――消えた。


 朝日の差し込んだ部屋の中、ナハトの泣き声がいつまでも。響き続けた。

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