5

 ……わからない。


 錯乱した青年を母親と医者に任せた私達は、彼の家を辞した後、村の宿屋に落ち着いていた。

 夜になってから例の小屋へ行くのは危険だと判断したためである。当然、ルードとは別部屋だ。

 

 かつて小屋で亡くなったのは病気の母親。しかし青年が目撃したのはその娘。――名前は、『ネル』というらしい。

 少女が引っ越し先で亡くなっていたとして、何故、以前住んでいた家なんかに出てくるのだろう。


 ただでさえヨナス氏の死についてもわからないのに、余計にこんがらがってきてしまった。


「いま、あれこれ考えても、意味ないかなぁ……」


 独り言を言いながら、ごろごろと寝返りをうつ。


 転がりながら、左手の薬指に視線をやった。

 そこには、ルードにもらった指輪が光っている。……お守り、か。なら、つけたまま寝ちゃっても大丈夫……だよね?

 赤い宝石が、照明の光を拾ってキラリと輝いた。その色を見ていると、不思議と落ち着いてくる。

 

「……おやすみ。ルード」


 目を閉じる。疲れた体はすぐに眠りの世界へと引きずり込まれていった。


*****


 ……身体の痛みで、目が覚めた。 


「……ッ!?」


 声が出ない。目も見えない。……起き上がろうにも、身体が動かない。どうやら両手両足を縛られて転がされているようだ。と、なると……目隠しと猿ぐつわもされているのだろうか。


「おや、起きてしまいましたか」


 すぐ近くから声がした。……聞き覚えのある、粘着質で、嫌な声だ。高級そうな葉巻の残り香が漂ってくる。どこかで嗅いだことのある匂いだ。


「いえね、万が一にでも、真実に辿り着かれたら困るんですよ。なので、貴女にはここで退場してもらおうかと。……そうすればあの男も調査どころじゃなくなるでしょう」


 足音が、私から離れていく。コツ、コツと、階段を登る音と、扉か何かを開ける音。そして


「お嬢さんは美人さんですからなぁ。大金払ってでも欲しい人は沢山おるでしょう。……しばらく、ここで待っていてくださいねぇ」


それを最後に、声は消えた。


*****

 

「ンンンんんん!!!!」


 声の主が去った後、私はどうにかして縄を抜けられないか身を捩っていた。……抜けない。

 途方にくれ始めたとき、控えめな声が聞こえてきた。


「……大丈夫か……?」


 少年。男の子の声だ。コクコクと頷くと、躊躇うような間の後、拘束が解かれる。……助かった。ぷは、と深呼吸をして、起き上がる。


「……あなた、誰?……ここは……どこ……?」


 そこには一人の少年がいた。十二、三歳くらいだろうか。少年は私を見下ろすと「ナハト」と名乗った。


「ここは……俺んち。の、地下。今は……さっき姉ちゃんを運んできたオッサンに閉じ込められてる」


 周りを見渡してみる。ひとつだけランプの光が灯っていて、辛うじて周囲の様子が見て取れた。ナハトの言を信じるなら、石造りの地下室のようだ。 

 ナハトは忌々しそうに天井を睨みつける。


「地上への蓋に、重しかなんか置かれてんだ。いくら押しても開かない」

「そうなんだ……。ねぇ、なんであなたは閉じ込められたの?」 

「……言いたくない。そっちこそ何やったんだ?」

「悪いことはしてないわ。むしろさっきのオッサンが悪の親玉なのよ」 

「……ふは、なんだよ、悪の親玉って」


 私の言葉に、ナハトは初めて笑うと、再び真顔になる。

 

「ここに閉じ込められて三日になるんだ。水と食料はまだあるけど、姉ちゃんの分も考えるとちょっと怪しい。それにあのオッサンがいつ戻ってくるかもわかんねえし、早く脱出しないと」

「そうなの……わかった。協力するわ」


 ナハトに右手を差し出す。少し戸惑ったようだったが、すぐに頷いて私の手を握り返した。……しっかりした子だけど、手の大きさはやっぱり年下だ。私がなんとかしないと。


 そう思いながら、視線を上げて息を呑む。

 部屋の隅、ナハトの肩越しに。少女が一人立っていた。

 

 幼い女の子だ。ナハトより少し年下だろう。シンプルなワンピースを身にまとい、おかっぱにした前髪の下から虚ろな瞳がこちらを見ている。

 少し傾げて、あらわになった細い首筋から……おびただしいほどの血を流しながら。


「……?なんだ?何かあるのか?」


 ナハトが振り向く。しかし彼には何も見えていないらしい。だとすれば……彼女は、この世のものではない。


 ナハトの問いかけを無視して、少女を観察する。首の他に、右腕にも刺し傷が見て取れた。……痛々しい姿に眉をひそめる。少女は口を動かして……何かを言っている?

 ――聞こえない。どうしてだろう。


 ……もしかして、ルードがいないから?


 私が聞こえていないことを察したのだろう。少女は少し悲しそうに顔を歪める。そうして、地下室の奥の……床を指さして、消えた。


「なあ!なんなんだよ、アリー姉ちゃん、どうしたの?」 

「……うん。奥に、何かあるかも」 


 暗い中、躓かないように注意しながら、少女が消えた部屋の奥へと歩みを進める。膝をつき、床の上を見回す。


「……これ……!」


 部屋の隅、一段と暗がりになっている場所に何かが落ちていた。……小さな瓶だ。中には赤色のドロリとした液体が満ちている。

 

 そしてその瓶には、七色に光る粉が付着していた。

  

 私の手元を覗き込んだナハトが、その瓶を見て息を呑んだ。


「……なんでまだ、それがここに」

「ナハト、あなた……、これが何か知ってるの?」


 ナハトは答えない。でも、顔面蒼白で震えている。……怯えてる。これが何か……どれだけ忌まわしいものか。知ってるのは、間違いない。

 

 ――この……妖精を使ってすり潰して作った奇跡の薬のことを。


「……困りますなあ。勝手に動き回られては」


 背後から、嫌味ったらしい声がした。

 いつのまにか、天井の蓋が開いている。


 階段の下にいたのは予想通り――騎士団の、ジェラルドだった。

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