8

「おはよう。アリー」


 柘榴色の瞳に微笑まれ、寝起きでぼうっとした頭が、急速に覚醒していく。


「え!?すいません、私……眠って!?」


 ……いつのまにやら、ギルドの長椅子の上ですやすやと眠ってしまっていたようだった。窓の外はすっかり暗くなり、上弦の月が覗いている。


「……本当は部屋に運びたかったけど、許可なしに女性の寝室に入るのはどうかと思って」

「いやいやいやいや、十分です!すいませんあぁぁもう何て言ったらいいのか……!」


 うんうん唸りながら最後の記憶を辿ると、タルシア男爵を見送った後、馬車に乗ったところが最後だった。……ということはもしかして、馬車からここまで運んでくれたのって……。


「軽かったよ」

  

 まるで王子様のような完璧な笑顔だった。顔から火が出そうである。私これから、ルードの事どんな顔で見ればいいの……!


「……すまなかった」


 マグマみたいに熱い頬を押さえたままもんどり打っていると、沈んだ声に現実へと戻された。

 ……何のことを言っているのかは、何となく分かる。


「やっぱり君を巻き込むべきじゃなかった。あんな……人間の醜悪さを煮詰めたような事件、君には……見せたくなかった……」


 寝ていた長椅子から降りて、ルードの隣に腰掛ける。俯いたその表情は見えなかったけど、きっと捨てられた子犬みたいな顔してるんだろうな。

 ……なんでこんなに、私のこと気遣ってくれるんだろう。

 

「……あの屋敷はどうなるんでしょうか」 

「周りに慰霊碑をたてて封鎖する。気休めくらいにはなるだろう。……呪いの力は外にまでは届かない。屋敷の中に入らなければ安全だ」 

「……ティーナさんは?」

「男爵に言ったとおりだよ。妖精達に許されるまではあの中だ。……俺の力じゃ、あの呪いを完全に鎮めるのは不可能だ。俺は……」


 ルードはそこで言葉を止めて、しばしの間の後、絞り出すように続けた。


「……無力だよ。本当に」


 そうして黙り込んでしまう。暗い部屋の中、ランプの炎が私達を照らしていた。


 整理された言葉じゃ伝わらない気がして、問わず語りに話し出してみる。

 

「私ね。ここにくる前、『幽霊令嬢』なんてあだ名で呼ばれてたんです」

「は!?何だそのあだ名は!」


 案の定ルードは憤ってくれる。

  

「あはは、酷いですよね。……だから、本当に幽霊が見えるなんてことになって、いっそ面白いなー、なんて思ってたんです」


 そう、笑いながら続ける。

 

「……あのお屋敷で、ティーナさんの姿が見えました。声も、聞こえました。……正直、すごく怖かったです。見た目もですけど……恨みの言葉も、襲われそうになるのも」


『怖い』という単語に、ルードの肩がぴくりと震える。でも、私は彼を責めたかったわけじゃない。

 

「……でも、ルードはそんなのを、ずっと見て、聞いてきたんですよね」 

「…………」


 ルードは動かない。けど、じっとこちらの声に耳を傾けているのは、わかる。

 

「私、良かったです。怖いものが見えても一人じゃない。……もし、私が一緒にいて、ルードの背負ってる荷物が少しでも軽くなるのなら……それはやっぱり良かったなって、思うんです。だから……」


 それはまごうことなく本心だった。

 

 私は大したことはできないけど、きっと一人きりよりマシだろう。少なくともこのやるせなさを、二人で分け合うことはできる。

 ……だからきっと、私がルードの目をもらって、正解だったのだ。


「アリー……」 

「はい、なんですか?」 

「……今すぐ君を抱きしめたいよ」 

「へ!?」


 ルードは顔を上げ、私の顔を見て少し笑う。それは少なくとも、本心からの笑顔に見えた。

 

「……冗談だ。いや、本当に冗談というわけでもないけど……。とにかく、ありがとう」 

「ど、どういたしまして?」


 しばらく顔を見合わせて、どちらともなくふふっと笑う。その後はとりとめもなく話をしながら、二人での夜は更けていくのであった。 

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