7

 ティーナ・タルシアは美しい少女だった。


 元踊り子でその美貌を男爵に見初められた母によく似て、田舎町には珍しい美貌を持つ彼女は、幼い頃からタルシア領のお姫様だった。

 望めばなんでも叶えてもらえた。それは父にも、母にも、使用人や、領民たちにも。

 それは彼女にとって当然のことで、感謝の気持ちは特になかったが、すべてのお礼は彼女がにっこりと微笑んでみせるだけで事足りた。


 ティーナは人間だけでなく、妖精達からも愛されて育った。


 妖精達は美しいものが好きだ。お姫様の可憐な容姿と、ある意味純真な心は彼らの好むところで、いつも彼女の周りには妖精たちが美しい羽をきらめかせ、舞い踊っていた。


 そんなとき、領地で大きな火災が起こった。

 

 ティーナは男爵に次々と運び込まれる工員たちを目にしてしまった。彼らは一様にひどい火傷を負っていた。身体中の皮膚がどろどろに溶けている者がいた。顔面の皮膚が破れ、骨が露出している者もいた。

幸いというべきか、まだ息を引き取った者はいなかったが、それも時間の問題だった。


 ……ティーナは恐怖した。こんなものは一秒たりとも見ていたくなかった。

 彼女の世界に、こんな醜いものは必要なかった。


 ティーナは泣いて妖精に願った。「この人たちを治してほしい」と。美しい少女の願いに妖精はこぞって応えた。

 妖精達は彼らの涙を、唾液を、そして僅かばかりの血液を、怪我人に分け与えた。するとたちまち焼けた皮膚はもとに戻り、虫の息だった怪我人たちは起き上がった。

 ……それはまさしく、奇跡のような瞬間だった。 


 工員たちとその家族はティーナに泣いて感謝した。男爵夫妻も彼女を褒めた。翌朝には、噂を聞きつけた領民全てが彼女を崇め奉った。


 ティーナはみんなのお姫様から、女神様になったのだ。


 数日後、帝都から馬車で迎えが来た。白馬の美しい馬車だった。

 帝都に着くと、皆がティーナを褒め讃えた。そうして是非研究に力を貸してほしいと、偉そうな人たちに頭を下げられた

 ティーナは喜んで引き受けた。


 それでも難しいことは出来なかった。妖精達はティーナのお願いを叶えたり、叶えなかったりした。それでも偉い人たちは文句を言わなかった。少なくとも、表向きには。


 そんなことよりティーナは、生まれて初めての華やかな世界に夢中になった。

 お茶会に招かれて食べる流行りのお菓子は美味しいし、毎晩どこかで盛大な夜会が繰り広げられていた。


 帝都に来てから恋もした。それはとても綺麗な男の人で、ティーナにはぴったりの王子様だと思った。


 ある時、ティーナがその人の婚約者に選ばれるかもしれない、という話を聞いた。

 本来男爵家からは嫁ぐことのできない身分の人だけど、聖女になればもしかして、と。


 だから、父にお願いして怪我人を作ってもらった。たくさん怪我人を治したら、聖女になれる。あの人と、結婚できる。

 怪我人を作るのも治すのも簡単だった。一度だけ、間に合わなくて死なせてしまったことがあったけど、相手は貧しそうな子どもだったので、ティーナはすぐに忘れることにした。

 今回もやっぱりティーナの願いは叶って、彼女は聖女に認定された。


 それでもまだ、王子様との婚約は決まらなかった。あとは何が足りないのだろう。そんなとき、妖精達が不満の声を上げ始めた。働かせ過ぎだ、休ませろ、と口々に、美しい顔を歪ませる。ティーナは焦り始めた。


 そんなとき、ひとりの女が近づいてきた。燃えるような赤い髪をしたその女は、レイディと名乗った。レイディはティーナほどではないがとても綺麗な顔をしていた。ティーナは綺麗なものが好きなので、お友だちになってあげることにした。

 レイディも他の人たちと同じように彼女を褒めて、持ち上げた。そして、ある提案を持ちかけた。


「国中の妖精を、ありったけこの屋敷に呼び集めて、大きなパーティをやりましょう。妖精達に感謝すれば、彼らももっと働いてくれるに違いないわ」


 ティーナはそのアイデアに喜んで賛成した。華やかなパーティは魅力的だったし、妖精達がもっと働いてくれれば、王子様と結婚できるに違いない。


 ティーナは父に宴の準備をねだり、妖精達に呼びあつめた。妖精達は次々と同胞に呼びかけて、その晩はタルシア家の屋敷におびただしい数の妖精が集まった。

 たくさんの葡萄酒や、美しい花の蜜に妖精達は夢中だった。広間にはレイディの連れてきた楽隊の鳴らす軽快な音楽が流れ、ティーナも有頂天だった。


 そんなとき、レイディに連れられて、数人の男たちがやってきた。彼らは人が数人入れるくらいの檻のような箱を担いでいた。

 パーティの余興が始まるのだろうか。小首をかしげるティーナに向かって、レイディはにっこりと微笑んで。

 

そこからは、地獄だった。


 レイディが何やら呟くと、妖精達は次々とその檻の中に吸い込まれていった。檻の中では大きな刃が歯車のように動き始めて、吸い込まれた妖精達を切り刻んだ。

 ……絶叫。そして、肉の、骨の、千切れる音。

 切り刻まれた妖精達は、どろりとした赤い液体になって、男たちの持つ小瓶の中に収まっていく。妖精一人につき一本の小瓶が出来上がって、あっという間に数十、数百が積み重なっていく。

 妖精達が暴れて、その羽についた粉が飛び散った。レイディはそれを手に受けて恍惚と微笑みながら男たちの作業を見守っていた。


 ティーナは唖然として、それから恐怖した。このままでは、自分の身も危ない。そう思って広間から逃げ出した。ティーナの後を、檻から逃れた数羽が追いかける。

 ティーナは逃げた。

 玄関へ行くと、一人の少年が扉を塞いでいたから、仕方なく二階へ向かった。どの部屋の窓も開かなかったので、一番奥の部屋に逃げ込んだ。その部屋に入ったところで、レイディがやってきた。


「怒ってるわね。妖精さんたち」


 レイディは相変わらず優雅に微笑んで、鈴の鳴るような声でころころと笑った。妖精の返り血を浴びたその顔は、異常で、壮絶だった。

 

「……ティーナの、せいじゃない。あなたたちが、やったことでしょう……?」

「そうね。……確かにそうなのだけど」


レイディは小首を傾げて考える。まるで出来の悪い生徒に言い含めるように、ゆっくりと、説明した。

 

「……その羽虫共はね、私のことが見えないの」


 そう言って、また、笑う。レイディが指を動かすと、檻から逃れた妖精のうちの一羽が、絶叫しながらぷち、と音を立てて、潰れた。

 他の数羽が狂乱して窓から出ようとする。しかし窓は開かず、同胞たちの血で濡れた無数の手の跡が窓ガラスに、壁中にへばりついた。

 その数羽も一羽ずつ潰されて、穢らわしい液体になっていく。それを瓶に詰めながら、レイディは鼻唄でも歌うようにティーナに話し続ける。

  

「……だから、こいつら貴女にとっても怒ってる。よくも騙したなって。聞こえるでしょう?呪いの声が」


 ティーナの耳には、ずっと前から怨嗟の声が聞こえ続けていた。これまで優しくしてくれた妖精達が、なんでもお願いを聞いてくれた彼らが。怒りと苦痛に絶叫する声が。

 ティーナは謝った。何が悪かったのかはわからなかったけど、生まれて初めて謝罪した。しかし妖精達は彼女を許さなかった。息絶えた妖精は恨みと呪いが入り混じった『何か』に形を変え、彼女の首を締め上げた。

 

 ティーナの意識は、ここで一度途切れる。


 次に目覚めたのは、暗い部屋の中だった。起き上がると、身体中が軋んだように痛んだ。至る所に妖精達が噛みついていた。息が苦しい。喉に妖精の手が絡みついているからだ。

 ドアは開けない。助けを求め、窓ガラスをたたいた。

 しばらくすると、見知らぬ青年達が屋敷の中に入ってきた。そのうち一人の顔には見覚えがあった。男爵が雇っていた、屋敷の警備兵だ。聖女になるための怪我人を作ってもらったこともあった。

 ティーナは助かった、と安堵して。しかし部屋に入ってきたその男は、ティーナに気づかず出ていった。

 また静寂に包まれた部屋の中、絶望するティーナの後ろで、バラバラと何かが落ちてくる音が聞こえた。

 ……男の首だった。

 ティーナは絶叫し、そうしてまた意識は途切れる。


 次に目覚めたとき、屋敷の前にティーナの王子様がいた。

 これこそ運命だ、と。ティーナは喜んだ。


 けれど王子様は、ティーナによくわからない質問をするばかりで、彼女を助けてはくれなかった。

 よくよく見ると、王子様の隣に何処かで見たことのある女が立っていた。

 はるか昔、一度だけ会ったことがある、いけ好かない、女。

 ティーナは怒った。王子様が彼女を助けないのはこの女のせいだと思った。だから怒った。だけど、王子様はティーナに何かをぶつけると、女を背にかばってこちらを睨んでいた。

 とても怒った顔だった。ティーナは声を手を伸ばした。どちらに向かって伸ばしたものかはもはやわからなかったけど、振り絞った声は、二人には届いていないようだった。

 

わたしの、

 

  おうじ

       さ

         ま


 次に目覚めたとき、ティーナは本当に一人だった。

 身体中が痛い。手も足もずっと小さな歯で齧られている。目には小さな指が入り込み、抉り出さんばかりに蠢いている。舌はとっくになくなって、謝罪の言葉を口に出すことすらできない。

 

 妖精の恨みの声が絶え間なく耳に響く。

 ティーナはうっすらと気づいていた。この苦痛はいつまでも続くのだ。彼らに許される日まで、ずっと。

 

 その日がいつになるのか、ティーナは知らない。

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