5

 旧タルシア男爵家の屋敷は、騎士団宿舎からほど近い、貴族街の外れに位置していた。


 その屋敷は、白を基調に建てられた綺麗な館だった。

 全体的に女性らしい装飾がされているのは、ティーナ嬢の趣味だったのかもしれない。

 けれど人がいなくなって久しい館は、ところどころが酷く荒れている。とくに庭は荒れ果てて、放置された花々が茶色くしおれていた。

 かつてここで妖精たちが舞い踊っていた面影は、微塵もない。


「……妖精の姿がない」


 屋敷の庭へ足を踏み入れるなり、ルードは険しい顔で呟いた


「ティーナさんがいなくなったからでは?」

 

「とはいえ、一羽もいないのは不自然だ」


 そこで言葉を切り、ルードは睨めつけるように館を見た。


「本来、妖精は長距離を移動できない。ティーナのように彼らの好む魔力を与えられる存在が連れてくるなら別だが。

 ……だから、領地から連れてきた妖精は、彼女なしではここから動けないはずなんだ」


 ……妖精の消えた館。そう思って館を見直すと、忌まわしさが増幅して見える。 

 ふと、視界の端に何かが映った気がして、視線を上げる。


「ひッ……!」


 館の二階、奥の部屋に。女が、いた。

金色の髪を振り乱し、窓ガラスを叩きながらこちらに向かって何やら叫んでいる。

 手のひらがガラスを叩くたび、そこが赤黒く染まる。……血、なのだろうか。話に聞いたとおりの忌まわしい姿が、そこにはあった。 

 私の様子に気づいたルードが背中に庇ってくれる。


「何が見える?」

 

「金髪の、女の……人が。窓を、叩いてます。窓が、赤く……汚れて」


 震える声で応えると、フッと女の姿が消えた。

 ルードは静まり返った窓辺を睨みつける。


「行こう」


 短く言うと、ルードは私に向かって手を差し伸べる。躊躇いつつ、私はその手を取った。

 

 そうして私達は、呪われた館へと足を踏み入れた。


*****

 


 玄関が、嫌な音をたてて開いた。

無人の館は、昼間でもなんだか薄暗い。そして埃っぽい、独特の匂いがする。

 ルードが指をぱちんと鳴らすと、その指先から小さな炎が生まれて中を照らす。



「……こっちに何かある」


 ルードはしばらく辺りを見回すと、そう言ってはぐれないようにと繋いだ私の手を引いた。足を進めるたびに床板がギイギイと嫌な音を立てる。

 

 ……たどり着いたのは大広間だった。広い天井にはきらびやかなシャンデリアがかかっていて、クロスのかかった丸テーブルが点在している。

 部屋の隅にはワインの空き瓶が積まれ、酒樽もいくつか残されていた。


「ここでパーティでもやっていたんでしょうか」

 

「そうかもしれないな。ティーナ嬢は派手好きなところがあったらしいし、妖精もそういった宴会を好みやすい」


 ルードはそう言うと、しばらく視線をさ迷わせた後、広間の床に目を止めた。しゃがみこんで指先で床をなぞり、そこについた何かを見つめている。

 ……キラキラした、細かい粉だ。灯りを反射して七色に光っている。よく見ると床や、壁にも、その粉はあちらこちらに付着していた。

 

 綺麗、なのだけど。

 ……その輝きを見ていると、言いようもない不安に襲われた。


「……これは、この量は。まさか」


 それを見つめるルードが発したのは、今まで聞いたことのない、驚きと怒りの入り混じった声だった。声をかけようとした、そのとき


バン、と


 突然頭上から、大きな音がして息を呑んだ。

ルードは立ち上がり、厳しい顔で天井をにらみつけた。


「……呼ばれてる。行こう」

 

「……は、はい」


 連れ立って、広間を出る。そこに広がっていた光景に、驚きで息を呑んだ。

 広間から続く廊下の床に、点々と赤黒い液体が落ちた跡が落ちている。


「さっきまで、こんなのなかったのに……」


 それは乾きかけの血の跡のように見えた。それを踏まないように気をつけながら辿っていく。その跡は、二階への階段を経て、その奥の部屋へと続いていた。

 

 ……おそらく、この部屋が、女の霊が目撃された場所なのだろう。

 ルードは真っ直ぐその部屋の前に向かう。そして、その扉を開けた。


 ――私の目の前で、真っ白な足が揺れていた。


 ……それは天井からぶら下がっている。そして風もないのにわずかに揺れていた。……まるで先程まで動いていた名残のように。

 見たくない。そう思っているのに視線が逸らせない。それどころか、勝手にその足の、上を辿ってしまう。

 少し乱れた、美しいフリルのついたドレス。爪に薄紅の塗られた、だらりと垂れた両手。

 首元には真珠の首飾りが飾られており、そしてその首は天井から伸びた赤黒い紐のようなものにひっかかり、不自然に長く伸びてしまっていた。

 長い金髪は褪せていて、青い瞳は濁っていたけれど。かつての美少女の面影は色濃かった。


 私たちの前で、ティーナ・タルシアが首を吊っていた。


 衝撃的な光景に体が凍りつく。呼吸がうまくできない。繋いだ左手に、力がこもった。


「……大丈夫。実体じゃない。……今度は俺も見えている」


  ルードはそう囁いて、手を握り返してくれる。そのまま、眼前に揺れる彼女へと声をかけた。


「君はどうしてここに居る?」


 ティーナは答えない。


「自分で命を絶ったのか?妖精達はどこへ行った」


 『妖精』という単語に、力なく揺れるティーナの体がびくりと震えた。


『………さい』

 

「なんだ?」

 

『ご……め、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい』


 蚊の鳴くような、音だった。

 吊られた少女は、繰り返し謝っていた。


『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』

 

「何を謝る?」

 

『ゆるしてくれない。わたしじゃない。わたしはわるくない。わたしじゃないのに』

 

「騎士を殺したのは君か?」

 

『ちがう!!!!』


 その質問にティーナは大きく反応し、否定をする。吊り下がった体がガタガタと揺れる。

 顔を上げ、落ちくぼんだ瞳がこちらを捉える。大きく口を開け、金切り声を上げた。


キイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア


 空いた手で耳を防ぐ。脳髄に突き刺さるような酷い音だ。

 ルードがダン!と床を踏み鳴らすと、途端に彼女の動きがピタリと止まった。


『……なんで』


 その口が、まるで瀕死の魚のようにパクパクと動く。泣いているような、怒っているような、悲痛な声だった。


 その声に呼応するように、部屋中のものが振動し始めた。棚から本がバラバラと落ち、宙を舞う。

 バン!という音とともに、ティーナの背後の窓ガラスが赤黒く染まる。

 

 ……それは、無数の手のひらの跡だった。 

 サイズが普通の人間のものよりも極端に小さい。妖精のものだろう、と思い至る頃には、それが壁中を埋め尽していた。


『なんでなんでなんでなんでああああおまえがいるのなんでええええええてぃーなはこんなところにいるのになんでおまえはおまえはああああきたないものしかみえないくせにてぃーなはおおおおおおひめさまなのになんで』


 絶叫が部屋に反響する。彼女の体は、再び激しく揺れ始めた。

 そしてその目は涙を流しながら、私を見据えている、気がした。


「アリー!」


 ルードは私を半身で庇うと、懐から小さな瓶を取り出し、蓋を外して投げつけた。

 中から溢れた液体に触れると、暴れる体は酸に当たったように溶けて流れる。つんざくような悲鳴とともに、溶けた姿が少しずつ零れ落ちていく。

 

 溶けていく彼女に、無数の手が絡みついた。その手は彼女の頭を、目を、首を憎々しげに引っ掻き、捕まえる。苦痛に身を捩るティーナは数秒の後に、身悶えながら溶けて、……消えた。

 

消える直前、白い手がこちらに伸ばされた、気がした。


「……消え、た?」

 

「聖水だ。一時的に無力化するけど、消え去ったわけじゃない」


 部屋の中は静まり返っていて、部屋の中央に転がった聖水の瓶がなければ、先程までの光景は白昼夢だったのではないかと思うほどだ。

 

 ……いつのまにか奥の壁を覆っていた赤黒い跡も消えている。

 恐怖と安堵でへたり込みそうになるも、ルードに支えてもらってなんとか留まった。


「さっきのは……」

 

「ティーナ嬢だ。死後、何らかの理由でこの場に留まっている。……どういうわけか、今回は俺にもはっきりと見えた」

 

「……あの姿は」

 

「ああ。……彼女は、病死なんかじゃない」


 ティーナ、美しき妖精姫。……彼女の身に、一体何があったのだろう。


 重苦しい沈黙の中。どこからか、白い小鳥が舞い降りてルードの肩に止まった。脚に小さい紙切れがくくりつけられている。


「ユルゲンスからの連絡だ」


 ルードは素早く目を走らせと、形の良い眉を顰めて振り返った。


「タルシア男爵の意識が戻ったそうだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る