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 初めてその姿を見たのは、近所に住む商人の息子だった、らしい。


 彼は帝都中心街の商工ギルドで働いており、仕事の行き帰りにタルシア男爵家の前を通る。


 ティーナ嬢の父親であるタルシア男爵とは面識があった。男爵とその家族は、しばしば領地とその屋敷を行き来していており、会えば挨拶くらいはする仲だったという。

 しかし、ティーナ嬢とは顔を合わせる機会はほとんどなかった。それは、彼女が聖女認定され王帝都に招聘された後もそうだった。

 当時ティーナ嬢はお茶会、夜会に引っ張りだこで、たまの空き時間には観劇や買い物など、ひっきりなしに予定を入れていたそうだから、無理もない。

 もちろん、会話をしたこともなかった。


 それでも彼女が存命のころ一度だけ、庭で花の世話をしながら一人で歌ったり、踊ったりする姿を見かけたらしい。

 『妖精姫』の噂は聞いていたから、きっと自分の目には見えない妖精と交流しているのだろう、と特に不思議には思っていなかった。

 バラの生け垣の間から見える彼女の姿は、神秘的で美しかった、とのことだ。


 ところがある日突然、聖女急逝の噂を聞いた。


 流行り病が原因であると噂されていたが、近所で命にかかわる程の病が流行っているとは聞いたことがなかったので、違和感を感じたことを覚えているそうだ。

 また、聖女という立場のある人間が亡くなったにも関わらず、葬儀が行われた様子がなく、墓の場所もわからないことにも首を傾げた。


 とはいえ、日々の仕事に忙殺され、また、直接交流があったわけでもない少女の死に関する疑問は、すぐに彼の頭からかき消えてしまって、そのうち考えるのを止めてしまった。


 それから、しばらく経った頃である。


 仕事を終えて帰宅を急ぐ彼は、タルシア男爵家の屋敷の二階に、灯りがついていることに気がついたそうだ。

 彼は不思議に思ったそうである。ティーナ嬢の死後、タルシア男爵は領地に戻り、使用人達も解雇されたと聞いていた。

 屋敷は売りに出されたという噂もあったので、誰か新たな住人でもいるのかと思い、なんとなしに、生け垣越しの屋敷を眺めた。


 すると、灯りのついた窓辺で、何かが動いているのが見て取れた。


 それは長い金髪を振り乱した、どうやら女性のようである。両手を広げて窓硝子を叩いている。

 遠目ではっきりとは見えなかったが、口を大きく上げて、何やら叫んでいる様子でもあった。

 ……そして、何やら赤いものが窓に付着している。血、のようだった。



 尋常ならざる様子に、なにか犯罪に巻き込まれているのではないかと焦った男性は、驚いて近くの騎士詰め所まで走り、待機していた警邏の騎士に助けを求めた。

 

 ――しかし、男性と騎士達が屋敷の前に戻ると、灯りはすでに消えていて、女の姿も見えなかった。


 念の為にと数名の騎士が屋敷の中を捜索を行った。しかし、男性が見たという女の姿はどこにもなかった。

 通報した男性の見間違いだろうと結論付け、騎士たちが引き上げようとしたとき、仲間の一人の姿が見えなくなっていることに気づいた。

 

 ……騎士たちは慌て、仲間を探すために再度屋敷の中に踏み込んだ。

 屋敷の中からは、先程はなかった濃い異臭がた立ち込めていた。それは、男性が女を見たという部屋からのようである。

 騎士たちは経験上、それがなんの匂いであるか知っていた。こみ上げる吐き気を堪えながら、仲間の無事を祈るような気持ちでその部屋へ続く扉を開く。


 そこには、女がいた。


 薄汚れた長い金髪が顔を覆って、俯いた顔は見えない。両手をだらりと下げ、元は白かったであろう茶色く汚れた服をまとい、微動だにせずそこに『いた』。

 服の汚れが、その茶色が、血の色であると。騎士たちが理解した瞬間。女の姿が掻き消えるように、消えた。


 静まり返った部屋の中、残された騎士たちが見たものは変わり果てた仲間の姿だった。


 先程消えるようにいなくなった騎士の遺体は、見る影もなくバラバラになっていたそうだ。


******


「正確には、すり潰されたような感じ、らしいです」


 おどろおどろしい経緯書を読み終えた後、無言で口元を押さえる私に、ユルゲンスさんが追い打ちをかけてくる。


「頭はわりと無事だったみたいなんで、その遺体がいなくなった騎士であるのは間違いないんですけど。

他の部分はほぼ肉片だったらしいですね。着ていた鎧も破片になっちゃって。それらが部屋中に飛び散って、そりゃあーもうエライことに」 

「……ユルゲンス」


 相変わらずの笑顔のまま続けるユルゲンスさんをルードが制した。助かる。そして申し訳ない。


「あれ?アリーさん……もしかしてこういう話に耐性ない感じでした……?」 

「……大丈夫です。今、想像力のスイッチをオフにしようとしてます……」 

「それは大丈夫とは言わないんだよ……」


 ユルゲンスさんは、バツが悪そうに頭をかきながらも、先を続けた。


「とにかく、その女が死んだはずの妖精姫だって噂になっちゃって。周辺の住民は怯えてるみたいですね。

 更にその事件の後、一度は自領に戻ってたタルシア男爵が屋敷の庭で倒れてたんです。心臓発作だったかな。こちらは病院に担ぎ込まれて助かったんですが、これは完全に呪いだと」


 そこまで話すとユルゲンスさんは少し声のトーンを落として続けた。


「……実は、ティーナ嬢の死は、うちのボスにも事後報告だったんですよ。病で死んだ。遺体は埋葬済み、の一点張りで。その当時から不審には思ってました」 

「……それは妙だな」 

「はい。それでいて今回の幽霊騒ぎ。おまけに人死にが出ちゃってます。これはほっとくわけにはいかないと」


 ルードは真剣な顔でしばらく考え、口を開いた。


「……事件のとき館に踏み込んだ騎士たちと、タルシア男爵に話を聞きたい。可能か?」 

「騎士の方は、三人いたうち二人はショックで郷里に帰っちゃいました。残りの一人ならすぐに呼べますよ。タルシア男爵は……助けられはしたんですが、まだ意識が戻らないみたいで」 

「ではその騎士に約束を取り付けてくれ。明日には王都に向かう」 

「お安い御用ですー。すぐ手配します。あ、報酬は今回こんなもんで」


 ユルゲンスさんが机の上に小切手を差し出す。ちらりと見えた金額は、割ととんでもないものだった。

 ゼロの数の見間違いかと思って何度か数えてしまった。

 ……ユルゲンスさんのボスって、一体何者なんだろう。


 ルードは小切手の金額を確認し、つまみ上げる。


「依頼内容は、『妖精姫』の死の真相。更に呪いの拡散防止。それでいいか?」


 ユルゲンスさんは目を細めて、口の端を釣り上げた。


「はい。お引き受けありがとうございます。ボスも喜びます」

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