第一章 妖精姫と呪いの屋敷
第一章 妖精姫と呪いの屋敷 1
ギルド『薄明の夕暮れ』の従業員、兼、居候になってから、あっという間に一週間が経過した。
働くのなんて生まれて初めてだし、覚えることが多くて忙しい過ぎる毎日だけど、周りの人に助けられながらなんとか仕事をこなしている。
私の仕事はギルドの受付だ。基本的にはカウンターの中で待機して、依頼者や冒険者の対応をする。
カウンター横の掲示板には、多種多様な依頼票が貼り出されていて、そのほとんどがいわゆる「幽霊」的な存在に関するものらしい。
そういった案件が得意な冒険者が依頼を受け、ギルドが仲介して報酬を払う……という仕組みだ。
……なお、私自身は初日以来、怖いものは見ていない。
このギルドハウスには結界が張ってあり、あまりそういうものは入ってこないようだ。
あの男の子は元からこの屋敷にいたものなので例外なんだとか。彼は見た目に反して悪いものじゃなかったらしく、純粋に遊びたかっただけらしい。
あれ以来見かけないけど、遊んであげればよかったかな……。
今日はよく晴れた日だ。こんな良い天気の日に、おどろおどろしい話をしたい人は少ないのだろう。比較的暇である。
冒険者も依頼者も来客は途切れ、依頼票の整理も一段落ついたので、私はカウンターの中で一息ついていた。
……ふと視線をあげ、受付の外を盗み見る。ギルドの受付周りはいくつか机と長椅子が置かれているだけで殺風景だ。
その風景の中に、異彩を放つ美形が座っている。
ルードは簡素な椅子の上で長い脚を組み、なにやら書類を読んでいる。陽の光を浴びた銀髪がとても綺麗だ。
人類で初めて絵画を描こうと思った人は、きっとこういう光景を永遠に留めたかったんだろうなぁ……などと壮大なことを考えてしまった。
ちなみに、ルード『さん』呼びは本人から強く拒否されたので、やむなく呼び捨てにしている。……ルードのほうが二歳だけとはいえ年上なのに。
ふと、絵画が視線を上げて、私の視線とかち合った。
「どうかした?アリー」
先程まで鋭く文字を追っていた瞳が私と目があったとたん。柔らかく弧を描く。
「……ッ、眩しいです……」
「え?カーテン閉めようか?」
「いえ、そういうわけではなく……。えと、カーテンは閉めなくて大丈夫です……」
……初めて会ったときから、ルードはものすごく私に優しい。もはや優しいを通り越して、甘いのである。
溶けたキャラメルを砂糖漬けにしてさらに蜂蜜をぶっかけたくらい、甘い。
仕事のほとんどはルード自ら教えてくれるし、なんだか常に近くにいるし、隙あらば困ったことはないか必要なものはあるかと構ってくれる。初日のあれこれを負い目に思っていたにしても、度が過ぎてる。
それはもう、手取り足取り至れり尽くせりの好待遇なのだ。
……誰よ。ルードが女嫌いとか言い出したの。正反対なんですけど!?
もしかしてこの優しさを勘違いして好きになると、手酷く振られる、とかそういうことなんだろうか。……それはありえる。くれぐれも、勘違いしないように気をつけよう。
輝くスマイルに暴れる心臓を落ち着けていると、どこからともなく一羽の小鳥が飛んできて、ルードの肩に止まった。
ルードはキュルキュルという鳴き声に小さく頷いて、私に向き直る。
「少し、出かけてくるよ」
「あ、はい」
そう言うと、ルードはなぜか出入り口とは逆にいる私の方へと近づいてきた。
彼は背が高いので、私が少し見上げる形になる。
「この後、ユルゲンスという男が来る予定なんだ。俺が戻るのが間に合わなければ応接に通して、適当に待たせておいて」
「わかりました」
「うん、ありがとう」
ルードはまた、柔らかく微笑む。と。
……私の左手に暖かいものが触れた。数秒遅れて、それが彼の指先なのだと理解した。
……優しい指が、私の小指に、その形を確かめるように触れる。控えめに爪の先を撫で、名残りおしげに離れていった。
「じゃあ、いってくる」
……そんなことをされてしまった私は、来客が到着するまでの小一時間……たっぷりフリーズすることになるのだった。
******
「はじめまして。ユルゲンスと申します。ルードさんにはいつもお世話になっています」
訪ねてきたユルゲンスさんは、なんだか猫に似た顔の男の人だった。目が細く、ずっとにこにこしているので、ついつられて微笑んでしまう。
「いやいやいや、ルードさんもまさかこんなにお綺麗なお嬢さんを雇うとはねぇ。いやー羨ましい」
「あはは……」
あ、チャラいな、この人。曖昧に笑う私に、ユルゲンスさんは急に真剣な表情を作る。
「でも大丈夫ですか?ルードさんから冷たくされてません?女性には厳しいでしょ、あの人」
……まただ。斡旋所で聞いた話と似た評価に、私は眉を顰める。
「……ルードは、優しいですよ?」
「え?というか、呼び捨てしてるんです?」
「ええ、本人がそう呼んで欲しいと言うので」
ユルゲンスさんは、しばらくぽかんとした後、細いはずの目を限界まで丸くした。……なんだか毛を逆立てた猫みたい。
「ルードさんが、優しい……!?」
「は、はぁ……」
「あの、見た目に騙されて近づいてくるご令嬢すべてに天使みたいな笑顔のままトラウマを植え付けてきたルードさんが、優しい…!?」
「トラウマ!?」
ルード、一体何したっていうの。
私の知ってる彼とは違いすぎて、もはや別人だ。
「本当ですよ!ココだけの話、つい先日も……って、痛ッたぁ!!!」
ユルゲンスさんが声を潜め、身を乗り出したと思ったら、急に大声を上げた。
驚いて見上げると、渦中の人物がユルゲンスさんの後頭部を鷲掴みにしているところだった。
「……ユルゲンス。あまりうちの従業員に変な話を吹き込むんじゃない」
俯いていて見えない顔から、地を這うような声が発せられる。ユルゲンスさんの後頭部を掴んでる手には太い血管が盛り上がっていた。
……めちゃくちゃ怒ってる。
「こんなルード……初めて見ました」
「え、これが通常運転じゃないんですか!?」
「ユルゲンス!」
ルードが離した手を手刀にして後頭部に叩き込むと、ユルゲンスさんがいてっ、と声をあげる。それでようやく黙ることにしたらしい。
「……今日はどんな用件だ?」
ルードは苛々した様子で、私の隣に腰掛ける。話が始まるなら退出しようかなと思ったが、なんとなくタイミングを逃してしまった。依頼者の対応なら私の仕事の範疇だしな。
ユルゲンスさんは頭を撫でながら何か言いたそうにしていたけれど、その気迫には逆らえなかったらしい。小さくため息をつきながら、鞄から紙の束を取り出した。
「はいはい……。無駄口は慎ませていただきますぅ……。今回もね、うちのボスから特別不穏な案件をお届けですよー」
「不穏!?今回、も!?」
聞き捨てならない単語が飛び出てきた。
驚く私の横で、ルードは再びユルゲンスさんを睨みつける。
「あはは。すいません。まぁ、いつもどおりの感じですよ。ええと、ああこれだ」
そう言いながらこちらに向けられた書類には、一人の女性の写し絵が描かれていた。
「アリーさんは少し前に話題になった『妖精姫』のことはご存知で?」
……とても綺麗な女の子だ。
柔らかい金髪を緩く編み込んで、赤いリボンでまとめてある。伏し目がちの蒼い目は長い睫毛で縁取られ、白い頬は、仄かに赤く色づいている。私と同じ位の年に見える彼女は、絵の中ではにかんだように微笑んでいた。
「……あぁ、知ってます」
少し考えて、思い出した。
「妖精たちに愛され、その力を借りることができる、と噂の聖女様ですね。妖精の力を借りてたくさんの怪我人を治したと聞いています」
彼女の噂は、国境を越えてカリウス王国にも伝わっていた。たしかこの写し絵は、彼女の功績を讃え、帝国の正教会から聖女に認定された様子を描いたものだ。
見ての通りの美少女で、その功績から王族との婚約の話も持ち上がっていたらしい。
「そのとおり。さすがアリーさん、優秀でいらっしゃいますね」
ユルゲンスさんが手を叩いて私を褒める。ルードが私の後を引き取って続けた。
「ティーナ・タルシア。片田舎の男爵家の生まれで、幼い頃から妖精と心を通じ合わせる事が出来たという。大火事で怪我をした自領民のために妖精へ助力を願い……結果、一名の死者をも出すことなく事態を収束させた。そこからついた異名が『妖精姫』だ」
ルードは、指で写真をなぞりながら、淡々と述べる。何故だろう。その写真を見る目が妙に冷たい。
「その後、王都に召し上げられ、妖精の研究に助力。この後も事件や事故で怪我をした民間人を多数治療した。その度重なる貢献により教会は彼女を聖女に認定……だが」
ルードは一息つく。少しの間のあと、こう続けた。
「……一ヶ月前、流行り病で亡くなった」
年若い少女を襲った悲劇に、重苦しい空気が場を満たす。そんな空気をものともせず、ユルゲンスさんは相変わらずの笑顔を貼り付けて話を続けた。
「その通りです。さすがさすが。で……今回、僕がお願いしたいのは」
ユルゲンスさんは私たちを交互に見ると、両手を胸の前でだらりと垂らした。
「出るんらしいんですよ。聖女の霊が。その理由を調査していただきたい」
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