第3話 同じ顔

 今回の、

「死刑廃止論」

 が論じられたのは、実は別の側面からの圧力があったということを知っている人は少ないだろう。

 これこそ、実は、

「国家の最高機密」

 であり、他の最高機密が、この国で多いのは、

「本当の再興国家機密を隠すため」

 という意味もあったという。

「木を隠すには森の中」

 という言葉があるが、まさにその通りであり、実際に、この国には、

「最高国家機密」

 としなければいけないことが、山ほどあったのだ。

 昔の軍国主義の時代から、最高国家機密というのは、数多く存在していた。

 それは、あくまでも、

「最終的には、国民のためになる」

 ということで、それが途中でバレてしまうと、国家としての威信や、他国に漏れてはいけない戦略的なことがあったからだ。

 それは、軍国主義ということで、当たり前のことだったと言っても、それは当然のことであろう。

 だが、時代が変わり、占領下ということになると。今度は、

「占領軍」

 が行うことが、最高国家機密ということになるのだ。

 だが、これが却って功を奏することがある。

 というのは、

「最高国家機密というものを、占領軍が作ってくれるおかげで、我々政府や、その一部での最高国家機密をまるで、占領軍によるものとすることもでき、逆に国民には、占領軍に対してのものとして、ごまかすことができる」

 という発想で、それこそ、イソップ寓話の中にある、

「卑怯なコウモリ」

 の話のようではないだろうか?

 この、

「卑怯なコウモリ」

 という話は、

「鳥と獣が戦争をしていたのだが、そこに通りかかったコウモリは、巻き込まれるのが嫌で、鳥に向かっては、羽根が生えているから、自分は鳥だといい、獣に向かって、自分には、体毛が生えているから、獣だといって、逃げ回っていた」

 という逸話である。

 結果としては、戦が終わったことで、コウモリが話題になり、

「卑怯なやつだ」

 ということで、

「けっして、人がいるところには出てこれなくなり、湿気の多い、暗い洞窟のようなところでしか暮らせなくなってしまった」

 ということであった。

 この話は、

「コウモリが卑怯だ」

 ということなのか、

「コウモリは、頭がよく、その場での判断力に優れていた」

 ということも言えるだろう。

 時と場合によるのだろうが、

「本当に卑怯だから、悪い」

 ということなのかどうか、誰もいないところでも、たくましく生きることができているコウモリというのが、

「卑怯だから、孤立してしまった」

 ということに直結っしているようには、思えないのであった。

 コウモリの話ではないが、

「最高国家機密」

 というものは、どうしても、

「国民に隠したい」

 という発想から、

「政府であったり、軍による、不透明さ」

 というものが表に出ることで、特に戦時中などのよくあったと言われる、

「情報操作」

 というものが、問題になってくるということになるだろう。

 しかし、

「情報操作」

 と言われるものが、すべて悪いのだろうか?

 確かに、戦時中というと、

「挙国一致」

 で、戦争というものを遂行するということが、戦争を始めた以上、問題になるのだ。

 もちろん、誰もが、

「戦争というのは、よくないことだ」

 ということも分かっているし、

「相手が侵略してくるのだから、それを排除しようとして戦争を行う」

 ということも、確かに仕方がないことだ。

 だとすると、

「何が悪いのか?」

 ということを考えると、

「侵略してきた相手が悪い」

 ということになる。

 しかし、そんな単純な見方でいいのだろうか?

 戦争が、いいことではないということは、戦争を仕掛ける方にだって分かっているはずだ。

 だからこそ、戦争を始めえれば、

「いかに早く終わらせるか?」

 ということを模索するのが政府だった。

 もし、戦争というものを始めたきっかけが、

「戦争によって、特需を得ることができる連中が、暗躍した」

 ということであれば、逆に、

「戦争を長引かせよう」

 と考えるはずだ。

 これは、フィクションではなく、

「実際に、国内問題を解決するために、侵略を行う」

 ということが考えられることもある。

 他の世界のある国は、

「国家が変革している時、そのあおりで、それまでは特権階級だった人たちが、彼らの不満を外に逸らす」

 ということd、侵略戦争を起こそうとしたという事実もある。

 ただ、実際には、国力のなさから、

「まずは、国家の強化を行うことがたいということが問題だ」

 ということで、

「他国制服論」

 というものは、実行されなかったのだ。

 つまり、戦争というものは、いかに、

「国家の都合によって行われるか?」

 ということになるので、

「表に出ている単純なことだけが戦争ではない」

 ということになれば、

「正当な大義名分であっても、欺瞞に満ちていたり、理不尽な侵略にしか見えていないことも、侵略される方にはたまったものではないが。侵略する方だけが、一方的に悪いわけではない」

 ということだ。

「侵略される国にはそれなりの理由があるというもので、水面下では、侵略された国が、本当は、極悪国家ではないのか?」

 といえるのではないだろうか?

 戦争というものには、

「大義名分」

 というものがあり、そうでなければ、いくら強くても、そちらに義というものがないということで、もし勝ったとしても、その国家を世の中が、その勝利を承認してくれるかどうかということは分からない。

 というのは、

「基本、国家は、平和を望んでいるもので、理想は、平和な社会を作る」

 ということであろう。

 しかし、国内の平和が乱れてきたり、たとえば、

「国内で平和に暮らせる人が減ってきた」

 それこそ、

「異常気象によって、農作物が育たなかったいして、国家の食糧問題が深刻になってきた」

 ということで、他の国に、援助を頼んだりしたとして、その時は貸してくれたのだが、その借金が実は、法外なものであったり、本来であれば、

「急いで返す必要がないはずなのに、急に、急いで返せといってきたりして」

 その話を聞いてみると、

「借用書には、期限を書いている」

 ということで、実際に、小さな文字で書いてあったりという、

「国家間の協定」

 と言ったことに遵守するはずの国際法に、ギリギリ抵触しないような、まるで、

「詐欺同然」

 とも思えるようなやり方で、国家の行く末を他から迫られた時、

「こうなってしまっては、背に腹は代えられない」

 ということで、戦争を仕掛けることだってあるだろう。

 そういう意味では、

「相手を故意に追い詰める」

 というやり方は、平気にどこの世界でも、行われている。

 特に、

「経済制裁」

 などという、

「大義名分となりそうなことで相手を追い詰め。戦争に引きずり出す」

 というやり方は、日常茶飯事である。

「先に先制攻撃をさせて、本来であれば、その少し前に、宣戦布告をしようと思っていた国の通信妨害にて、わざと宣戦布告を遅らせて、先制攻撃をまんまと、騙し討ちということにして、自分たちがやりたい戦争に、引きずりこむ」

 というやり方である。

 特に議会が承認しないと戦争をできない国は、それくらいの策を弄するなど、普通にあることだろう。

 そうなってしまうと、

「大義名分など、あってないようなものではないか?」

 ということで、

 敗戦国の大義名分を、戦争の名称とした相手に、

「別の名前の戦争とする」

 ということを押し付けることで、

「自分たちには、大義名分があるんだ」

 ということにして、敗戦国の戦争責任者を裁くことができるということになるのであった。

 そんなことを考えていると、

「私たちの戦争というのは、何が正しいのか、分からない」

 ということになる。

 その理由は。それぞれの立場の人には、それなりの大義名分があり、立場にいない人すべてが、

「戦争の犠牲者となる」

 ということである。

 それを思うと、

「戦争というものは、政府や、軍というものにおける、大義名分の応酬ではないだろうか?」

 ということになるのだ。

「そもそも、戦争で善悪という感情のマヒした状況で、個人の責任を問うということ自体が間違っているのではないか?」

 といえるのではないだろうか?

 以前に見たドラマだったが、映画だったか、何やら大将であったり、君主の人は、

「命を絶えず狙われている」

 ということで、

「顔のよく似た人間を、配置しておく」

 という話を聞いたことがある。

 何やら、

「影武者」

 というらしいのだが、この国では、その言葉はあまり使われていないようだった。

 特にこの国では、

「君主が、誰かを身代わりにする」

 という発想はなかったのだという。

 というのは、

「そもそも、そんな発想はなかったのだ」

 というのだ。

 それは、君主を暗殺するなどという、

「卑怯な方法は使われなかった」

 ということではない。

 むしろ、その作戦は、卑怯でも何でもなく、まるで、

「正攻法」

 として、当たり前のように行われていたのだという。

「じゃあ、どうして、影武者を仕立てなかったのか?」

 というと、

「この国において、大切なのは、君主その人ではなく、この国家のために、必要あ人間えあるか」

 ということであり、

「その君主の側近でさえ、君主に見切りをつけたなら、逆らったり、クーデターを起こすのは、当たり前だ」

 ということになっていたのだっだ。

 自分たちにとって、必要かどうかというのが君主であり、元々、軍国主義になる前、世界中で行われていた、

「封建制度」

 という、いわゆる、

「ご恩と奉公」

 という考え方はあるにはあったが、その関係は、あくまでも、

「お互いの理解関係:

 ということであり、

「利害関係が一致していなければ、何も国家を救うものではない」

 ということで、

「君主」

 といっても、絶対君主ではなく、

「国民の代表」

 という意味合いが強い。

 ある意味これが、民主主義の元祖であり、だから、代表といっても、自分たちの代表なのだから、結局、代表のために、

「労力や、場合によっては命も惜しまない」

 と言われるようになり、国家というものが、いかに人間と結びつくかということを、知っていたという意味で、この国は、封建制度から、一歩先を進んでいたのかも知れないと言われていたのだ。

 しかし、時代が進むうちに、主君がうまく機能しなくなった。

 それまでの主君は、

「そんな国民の気持ちを分かっていて、うまく、主従関係が回っていた」

 ということなのだが、その理由として、

「世襲は行わない」

 という法律ではないが、暗黙の了解があったからだ。

 それまでに一度、世襲を行おうとした時があったという。しかし、その時は民衆の力が強く、世襲を行おうとした君主に対し、配下のものが、クーデターを起こしたことで、成立しなかったのだ。

 そんなこともあって、

「世襲というのは、成功しない」

 という、伝説まで作るようになったのだった。

 世襲というのは何かというと、

「君主が、自分の息子にその職を譲る」

 というものだ。

 そもそも、この国の次世代君主は、選挙のようなもので決められていた。

 もちろん、今の時代のような、民主主義選挙ではなく、選挙に参加できるのは、

「政治にそれまで参加できると言われた、納税者」

 であった。

 基本的にこの国は、

「納税」

 というのは、義務ではなかった。

 収めたくなければ納めなくてもいい、ただし、政治には一切参加できないし、決まった法律に逆らうこともできない。国家から見れば、それこそ、

「非国民」

 と呼ばれる人たちで、

「とりあえず、戸籍というものは与えるが、一切の権利も義務も化さない」

 ということであった。

 だから、下手をすれば、

「非納税者というのは、奴隷以下」

 といってもいいだろう。

 平時にはいいかも知れないが、有事になった時は、軍も兵も、誰も守ってはくれない。だから、この国に攻めてきた侵略軍があれば、真っ先に狙われるのが、この

「非納税者」

 だった。

「やつらは、この国の民ではない。何があっても助けたりはしない」

 ということで虐殺されても、誰も何も言わないのだ。

 特に、戦争ということになると、そのひどさというのは、

「精神的に異常になっているから、何をされても、仕方がない」

 ということであるが、さすがに、自国民が受けている残虐に対し手は、兵が助けてくれるはずだ。

 だが、

「非納税者には、そんなことはしない」

 ということになると、

「納税をしない」

 ということと、

「奴隷以下として暮らす」

 ことと、どっちがいいかと聞かれれば、答えは決まっているはずである。

 だから、逆にこの村では、率先して税を納める。それが身に染みているので、

「最初から当たり前だった」

 と思っているのだろうが、世襲に関しては、そうはいかない。

 ただ、

「人民が、率先して税を収めてくれているのだから、君主となる方も、国も決まりを守らないというわけにはいかない」

 ということで、

「世襲を行わないのは、こちらも、当たり前のこととされた」

 のだった。

 しかし、時代も進み、この世界の封建制度が崩壊し、国民が中心の国家ができてはきたが、その中でも、まだまだ

「皇帝が君臨し、その皇帝というものが、わが国ではタブーとされる、世襲を行っているのだ」

 ということになると、今度は、外国で、国同士の戦争が起こってくるようになる。

 それは、同盟国同士が戦争を行うのだから、どんどん、その規模は大きくなる。その波に、わが国も飲み込まれるというようなことになってきたのであった。

 何も、

「我が国も、民主国家にも、帝国主義国家のどちらにもなろうという意識があったわけではない」

 ただ、

「民主主義で、国家は守れない」

 ということ、

「帝国主義のような世襲は、最初からありえない」

 という状態になっていたのだった。

 世襲のなかった時代が、急に世襲を始めたのは、どこからかというと、その国は、元々から封建制度をとっていなかったので、税は定期的に入っていたが、それだけではうまくいかない。

 それを補っていたのは、

「貿易」

 だったのだ、

 貿易を行うには、いくつかの方法がある、

「鎖国」

 ということにして、一部の国とだけ貿易をするという形だ。

 実際に、封建制度を行っているところで、鎖国を敷いて、一部の国を貿易をしている国もないわけではなかった。

 しかし、その方法というのは、あくまでも、

「対等貿易」

 という形ではない。

 その貿易の方法というのは、

「自国が属国として、遣えるという形で、表向きには、平等貿易であるが、何かあった時には、助けてもらうための、上納金は、別に頂くことになる」

 というわけであった。」

 一種の、

「宗属関係」

 ということになるのだった。

 しかし、この国は、そういう関係を結んだわけではない。基本的に、

「属国は嫌だ」

 というのが、昔からの考えであった。

 ただ、それまで、

「植民地」

 ということにもならず、何とかここまでやってこれたのは、

「対等外交」

 を行っていたからだった。

「もし、どこかの国が、我が国を属国として、植民地にしようとしても、その考えはうまくいかない。なぜなら、それぞれの国がけん制し合って、お互いに利害関係のある同志の国とも平等に付き合っているので、どこかのバランスが崩れれば、宗主国同士の、戦争に発展しかねない」

 ということだったからだ。

「それぞれの国に対してのけん制」

 というのも、

「対等外交」

 というものの裏に隠されている言葉のようなものだった。

 だが、ある国が、この国に対して、

「抜け駆け」

 をするようになった。 

 どうやら、その国にとって、この国は、

「航海において、武器弾薬や、食料などの補給に、どうしても、不可欠なところにあるようだったのだ」

 しかも、その国が、

「この国の近くにある国と、最近、緊張状態に陥っている」

 というウワサが流れたことで、他の国に先駆けて、有利な条約を結ばせなければいけない。

 ということになったのだ。

 そこで、特務機関を送り込み、諜報活動や、破壊工作などを露骨に行うことで、国内の内乱に乗じて、

「居留民保護」

 という名目で、他の国に先駆けて、兵を送り込んだのだ。

 もちろん、自分たちの自作自演なのだから、そのスピードは速く、電光石火のごとく、あれよあれよという間に、

「修好通商条約」

 というものを、

「自分の国に都合のいい形」

 で結ばせることに成功したのだった。

 それによって、それぞれの国の緊張が崩れ、最初は様子を見ていた国も、この国に干渉するようになる、

 そのうちに、戦争状態になってきたことで、

「帝国主義」

 となるか、

「民主主義」

 となるかということが、この国の命運を分けることになるというのが、問題だったのだ。

 結局、

「民主主義では戦争に勝てない」

 ということで、誰かを君主として仰ぎ、その人を中心に、戦争に乗り出すという、

「帝国主義」

 というものに近い形になった。

 だが、この国には、そんな君主となるような力の強い家系は存在しなかった。

 そこで彼らが考えたのが、

「同じ顔の人間を作れば、性格が似てくるのではないか?」

 という発想だった。

 そのヒントにあったのが、動物だった。

 というのは、

「動物は、同じ種類の種族の単位まで落とし込めば、顔の見分けはつかない。その行動は、皆同じに見えて、その本能が、考えを凌駕するのではないか?」

 ということであった。

 さすがに、国民を同じ顔にすることはできないが、

「君主となる人物が、どのような顔になればいいのか?」

 ということが、その発想の現れではないか?

 と感じるようになったのである。

 それを考えた博士が、

「大門博士」

 といい、彼は元々、動物の研究をする学者だったが、それは、ひいては、

「人間の研究に繋がる」

 ということが考えられたことで、博士は、最初、

「動物研究の先駆者」

 と言われる大学が海外にあるので、そちらに留学していたのだが、そちらで、師と仰いでいた先生が、

「条件反射」

 の研究を発表し、一気に注目を浴びることになったので、師である博士の研究を横でサポートしていたこともあって、条件反射などの研究に関しては、結構精通していたのであった。

「我が国も、この条件反射ということに関しては、ある程度まで把握をしていたのだけど、今まで、あちらの国で、博士についていたことで、分かったことがあれば、我が国の発展のため、君には協力してほしいんだ」

 ということで、大門博士は、母国に呼び戻された。

 留学先の大学は、世界でも有数の大学であり、特に、

「生理学」

「医学」

 の部門では、群を抜いていたのだ。

 その大学の中でも、

「一、二を争う」

 という実力者である教授の一人が、今回の、

「条件反射の研究」

 というもので、世界的な賞をもらった博士を、黒岩博士という、

 黒岩博士には、100人近い助手であったり、弟子がいた。大門博士もその一人で、元々、国家を挙げての研究室要因ということで、この大学への留学を推薦したのが、国家だったのだ。

 大げさにいうと、大門博士は、

「国の代表」

 ということで、世界的な権威のある大学に留学していたというわけだ。

 こちらの世界では、大学の留学は、普通に行なわれていた。

 そのかわり、

「スポーツ留学」

 というものは、かつてはあったが、今では、

「禁止」

 としている国が多い。

 というのは、

「そんなスポーツ留学というのは、選手がそのスポーツをできなくなったら、学校側だけではなく、その生徒が、

「天国から地獄」

 に叩き落される・

 ということは分かり切っていることである。

 というのは、建前であり。

「スポーツごときに、金を払うのが、本当にいいことなのか?」

 ということであった。

 確かに、こちらの世界では、

「スポーツというのは、戦争中でも、停戦に持ち込めるだけの力のあるものだ」

 と昔から言われてきた。

 そういう意味での、

「スポーツの祭典」

 ということで、各競技を一つにした世界大会が開かれている。

 それは、他の世界にも存在していて、ほぼ同じ趣旨で存在している、

「オリンピック」

 というものが、その代表であった。

 ただ、その

「オリンピック」

 というものにおいて、向こうの国では、次第に、

「化けの皮」

 というものが剥げていったのだ。

 どういうことなのかというと、

「オリンピックというものが、政治色が強く、政治利用されるようになっていったことで、腐敗したものとなった」

 ということからであった。


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