5:「友人」であり、心を許せる存在ならば

あれから一ヶ月


あの時足を捻挫してしまった私は少しの休みを頂いてから、ラトリアさんの文字書き取り練習に付き合い続けた

ラトリアさんの提案で「私への負担が少ないものから取り組もう」ということになり、座って行えるものを集中して取り組んでいく

他にも食事の作法や対人関係に関わるマナー等、覚えていること、忘れていることを細かく割り出し…


「そして今ではここまで。忘れていたとは思えないぐらい完璧です」

「ふう。よかった…」


ここ最近はラトリアさんの資料室へ私が立ち入れないので王立図書館内で知識の履修を行い続けていた

人通りがほぼない上に談話が許可されている端の席に腰掛けた私は今日もまた、ラトリアさんに出していた課題の確認を終える

今日も完璧だ。これ以上のレベルとなると…私は教えられそうにないところまで来てくれた


「君の教えがいいからだよ。君は本当に賢い人だ。質問をしたら全て完璧に返してくれる」

「そんなことは…」


所詮私は平民以下の出。平民のフリこそしているが、受けた教育や過ごしてきた境遇も全て目の前にいる彼とは違う

宮廷にいる人間に広げたとしても、同じ境遇を歩いた者はいないだろう


ラトリアさんは元々地頭がいいし、それに努力家だ

私が知らないところで調べ物をしていたことはユピテル様から伺っている

ここまで戻れたのは、私の教えなんて役立っていないというのは言い過ぎだと思う

しかし与えた影響は微々たる程度だ

彼自身の努力が、彼に在るべきものを取り戻させた。ただそれだけの話なのだ


「謙遜することはないぞ。君は立派だ。どうしてそこまで萎縮する?」

「以前お伝えしたとおり、平民と貴族の教育環境というものは大きく異なりますので。学校だって、貴族用の学校と平民用の学校で分かれているのですよ」

「ああ、そう伺っている」

「私は平民学校…公立学校の出身なので、ラトリアさんが受けた教育がいかなるものなのか、知る余地もありません。正直、貴方の問いに完璧に答えられているか、わかりません」

「それでいいじゃないか。完璧でなくていい。間違いはあっていい。間違った事を教えられても怒ることは決してないぞ?知識は覚えることも楽しいが、何よりも共有することの方が楽しい」

「しかし、私としては」

「人間誰しも完璧ではない。完璧であろうとしなくていいさ。間違いがあれば指摘をする。けれど怒ることはない。覚えておいてくれ」

「…はい」


ラトリアさんは貴族の枠組みにいる人間としては、とても変わった人だ

彼やアステル君、ユピテル様という例外ばかりと関わっているので忘れそうになるが、基本的に貴族は平民に高圧的な態度を取る傾向がある

平民が貴族のものに触れようとすると罰する。間違いを伝えたら殴られる等、当たり前のように格差の暴力は行われている

けれどこの人は…そんなことをしない


「…変わった人ですね」

「よく言われる。それに、私も貴族と言う枠組みにいるが…半分だけなんだ」

「半分、ですか」

「君はアルフの民という存在を君は知っているだろうか」

「ええ。勿論」


アルフの民

銀髪と青目。この世のものとは思えない絶世の美貌を持った羽根のない妖精一族

異様な程の記憶力を保持し、頭の回転が速いのが特徴

世間からは「知識の幼精」と呼ばれ、アルグステイン王国ではその性質を重宝され、宮廷でも上位の仕事を…法務や内政に携わる仕事を任されたりしていると聞く

確かにラトリアさんも同じ銀髪青目。アルフの民の特徴を持っているが…


「私は貴族の父親と、アルフの民の母親から産まれた存在なんだ」

「しかし、カルディシネマ家の奥方は普通の…あ」

「私は所謂妾の子でね。ユピテルの同い年で友達だからカルディシネマの子として認知はされているが、使用人は王宮に出入りする時…体裁を保つ時以外は付かなかったし、成人した瞬間家を追い出された。勿論、兄弟仲もよくはない」


「どうして、そんなことを…こんなこと、貴方からしたら隠したい事のはずでは」

「私も君と同じで、この格差が嫌いだから。それにこういう境遇だから家名どころか貴族と言われるのも好きではないんだ。だから、話しておこうと思って」

「それだけで、出生に関わる秘密をこんな他人に伝えるのですか?」

「もう他人ではないだろう?」

「他人ではありませんか」

「少なくとも私は、君のことを「心を許せる友」だと思っているのだが、君はそうではないのか」


確かに、言われてみれば私達の間柄を示す単語として「友人」というのは最適なのかもしれない

流石に、ラトリアさんのいう「心を許せる」というのは、行きすぎだと思うが…


私達の間柄を示す言葉としては「仕事仲間」でもいいだろう

しかし、少なくともただの仕事仲間とは好きな本の話をしたり、今日は何があったとかどうでもいい会話はしないだろう


ユピテル様の言うとおり、私達は趣味が全く同じだ

甘い物が大好きで、無糖珈琲は飲めず、角砂糖を必ず三つ入れる

大好物はフレンチトースト。オレンジ入りのものが特に好ましい

味覚も同じであれば、好みも同じ

何から何まで似たもの同士。最初こそ気まずかったが、一ヶ月も経過したら一緒にいるのがむしろ楽どころか、しっくりくるぐらい

かなり気を許せる間柄になっていると個人的には思っている

やはり友人という言葉が最適と言えるのかもしれない


「…そうですね。確かに友人の定義に当てはめたのならば、私達は友人であるのでしょう」

「だろう?」

「けれど友人ならば、君とかではなく名前で呼ぶのが筋ではないでしょうか」

「…あ」


そう、この一ヶ月、彼は私の名前を一度たりとも呼んだことがない

強いて言うなら初対面の愛称呼びと苗字呼びのみ

それ以外はずっと「君」だけ


「無自覚でしたか?」

「あー。うん。すまない。名前を呼ぶタイミングを見計らってはいたんだが、なかなか言い出せなくて」

「流れで呼ぶとか」

「流石にその、失礼かと思っていて。最初が最初だから、ちゃんと許可を取ってから呼ぼうと思っていたら、今日指摘されるまでずるずると…」


確かに最初、彼は私の事を愛称呼びしてユピテル様に窘められていた

名前呼びの移行へ慎重になるのも、それが原因だろうか


「私はもう既にラトリアさんのことを名前で呼ばせて頂いている身です。どうぞ、私も名前で」

「で、では…すぅ」


何度か深呼吸を行い、目を伏せる


「…ステラ」

「…はい」


絞り出すように告げられた名前が小さく心に響く

頬が少しだけ持ち上がった。名前呼びで、喜んでいるのだろうか

小さな子供じゃあるまいし、この程度で喜ぶなんて…


「嬉しそうだな」

「そんなことは」

「でも、顔がにんまりと」

「そんな顔してません」

「している。窓を見てみるといい。反射した笑顔の君が映るから」

「じゃあ絶対に見ません」

「ではこれでどうだろう」


窓の反対へ顔を向けると、そこには口元が笑っている私がいる

鮮明に私の姿を映したのは小さな鏡


「身なりに気をつけろと言ってくれた君の助言で、私は最近手鏡を持ち歩いているんだ」

「…ずるい」

「ほら、嬉しそうに笑っていただろう?」

「そう、ですね。貴方の言うとおりです」

「やっぱりステラは、笑った顔が一番可愛い」

「ふぇっ!?」


淡々と言われたその言葉は、彼にしては少し弾んだ声をしていた

可愛い。そう言われたのは生きている中で初めてのことだ

まさかこんな流れのように言われるとは思っていなかった


「なぜ驚く」

「だ…えっ、可愛いとか、言われたことがなかったものですから。驚いてしまいまして」

「…今まで君の周囲は君の何を見ていたんだ?」

「…まあ、貴方と出会う前の私は笑顔が可愛いとかそういう次元にいませんでしたので」

「そういう次元?」

「私は親が怖くて、家を逃げ出しているんです」


話すつもりは一切なかった

けれど、彼が家庭環境を「心を許せる友だから」と教えてくれたのならば

私もまた彼の信頼に応えたいと感じた


「…虐待?」

「そんなところです。飲んだくれの父親と、ヒステリックな母親。二人の言動に耐えかねて、命の危険も覚え…四歳の頃に逃げ、十歳まで浮浪児をやっていました」

「…」

「全身ボロボロで、主食は野草。たまに見かける動物を殴り殺して肉にして…火をおこし、食事にありつきました。夜は屋根のない廃屋を家にして、ボロ布を纏って寒さに震える生活です。とてもじゃないですが、笑顔を浮かべる余裕なんてなかったんです」

「…けれど、それが君の選んだ道であり」

「…生き延びるために必要な道でした」


「今、こうして笑えるようになったのは?」

「学生という身分ではありましたが、王都で安定した生活を送れるようになってからですね。四年前なので…ちょうど、貴方と出会った頃です」


「そうか。その話を聞くと…私は凄く貴重なものを君に見せて貰っていたんだな」

「私の笑顔が貴重かどうかは分かりませんが…しかし、そのラトリアさん」

「なんだろうか」

「やっぱりとは、どういう意味なのでしょうか」

「…いいじゃないか。そんなことより、どうして君は私にそのことを?言いたくないような話ではないか?」


やっぱりの部分は無視されて、そのまま自分の質問へ話が変わってしまう

…この流れで質問に答えてくれとは言いがたい

大人しく、先に彼の質問へ答えを述べよう


「私を、心を許せる友と言ってくださったから」

「それだけの理由で?」

「貴方だってそうだから、私にアルフの民であるお母様のことを伝えてくれたのでしょう?」

「それも、そうだが」

「私は、私をそうだと言ってくれる貴方を信頼したいと感じたので…同じように、隠していたかったことを伝えました」

「そうか」

「…引きましたか?」

「いいや。改めて、君の信頼に応えないといけないなと考えていたところだよ、ステラ。ここまで話してくれた君にとってこれからも「信頼できる人間」で在り続けなければと」


「そうですね。私も、同じです。ところで、やっぱりとは」

「そういえばステラ。そろそろお昼時だな。今日はどこで食べようか」

「そろそろ質問に答えてください、ラトリアさん」


結局、最後まで「やっぱり」の意味ははぐらかされたまま

食事を終えても、午後のフィールドワークに出かけている最中でも彼は質問に答えず…最終的には「二ヶ月後に話す」で逃げてくれた


何もかも、答えは全て…報告書を提出した後に分かる


そういえば、そろそろ「あれ」に取り組む時期になったな

ユピテル様は上手く交渉をしてくれているだろうか

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