3:残滓の反応
「…最後に、公用語の書き取り。自覚しているのは以上となる」
「130件近くありますね」
「そんなに奪われていたのか」
「どうしてこんな。略奪の霧に奪われるのは一つだけと聞きます。何度も飛び込んだことはお伺いしていますが、あまりにも多過ぎです!」
一ヶ月の一件として単純な計算で十年前
彼は十二歳の頃から略奪の霧へ飛び込んでいることになる
「いつから、略奪の霧に?」
「十二歳の時。一月に一回、飛び込んでいる」
「なぜそんなことを」
「必要な事だから。君には、関係ない」
「関係あります。私は貴方が奪われたものを取り戻す手伝いをするためにやってきました。今月は飛び込んだが分かりませんが、貴方は決まった時期に霧へ飛び込み、何かを奪われて帰ってくるでしょう?」
「そうだな」
「やめる気は、ないのですね」
「申し訳ないが、やめる気は無い。やめられない」
まっすぐと、はっきりと…そう言葉を紡がれると、複雑な心境ではある
しかしやめられない。か
奪われることが癖になっているという考えたくない可能性もあるが
奪われなければいけないという、それを上回る最悪な可能性も浮上してきた
とりあえず、前者の可能性は潰しておくか。潰せそうだし
「奪われることが癖になっているとか、そういう事では」
「断じてない」
「それならば安心です。ただ、貴方が飛び込まなければならないと考える理由には興味があります。これに関しての情報開示は行って頂けるのでしょうか」
「多くは求めないでくれると」
「少なからずとも、表面的な事は話してくれるという考えで動いても?」
「それで構わない」
ふむ。やはり多くは話さないか
三ヶ月後を待つのもいいだろう。それを迎えたら答えは自然と提示される
けれど、ここで「じゃあ三ヶ月後に発表される答えを待ちます」というのは、違う気がするんだよな
…私個人としても興味があるが、なによりも不思議な感覚で
私は知らなければいけない。そんな気がするのだ
この疑問に対し、多くのことを彼から聞くことはできないだろう
自分で探っていかなければならない
その為には、目の前にいる学者と時間と会話…そして実績を積み、信頼を得るべきだろう
「では、カルディシ」
「…名前でいい。苗字呼びは好きではないし、それに長いだろう?」
「しかし」
「私が構わないと言っている」
「では…ラトリアさ…」
「……」
「…ん」
「ん」
なんだろう。苗字や様付けで呼んでいた時よりも表情があるような、生き生きしているような
ユピテル様の言うとおり、私の存在が何かあるのだろうか
「と、とりあえずですね…略奪されたものの一覧の中で、生活必需と言えるものが数点存在します。まずはそこから取り戻していきましょう」
「まずは、何から」
「公用語の書き取りから。文字を書く機会はこれからも沢山ありますから」
「君が代筆してくれたらいいだろう」
「私が関わるのは仕事中のみ。貴方の私生活サポートは業務外です」
「……それは、大変だ」
「露骨に不安がらないでください。大丈夫です。公用語、簡単ですから。読みと会話ができているのなら、短期間で再習得可能です。私もお手伝いしますから、基礎から取り組んでいきましょう」
「…うん」
話が一纏まりしたので、私達は部屋を出て国立図書館へ向かうことにする
流石に専門分野の書物や論文が集まる宮廷図書館の方に公用語の基礎教本は置いていない
一般開放されている国立図書館の方が、今回の目的に沿ったものが置いてあるだろう
「ラトリアさん、やはり出入りにここまで体力を使うのは非効率的です。せめて整理整頓を…って、これもやり方を忘れているんでしたね」
「すまない」
「いえ。少しずつでいいので片付けていきましょう。ちゃんとお手伝いしますから」
「ありがとう」
「それから、その白衣。今から外に出るのですから、みっともない着用方法は下の者に示しがつきません。宮廷学者として、貴族としてきちんとした身なりを心がけてください」
「…申し訳ないが、こればかりは無理だ。きちんと着られない」
「着せてあげますよ」
「そういう、問題ではないんだ。だから、これは放っておいてくれ」
白衣をきちんと身につけるのを拒絶しつつ、白衣の袖で隠している両手を守りながら彼は外に出てくる
「…もしかしなくても、両手に傷等何か見せたくないものでも?」
「…そんなところ」
「それは申し訳ないことを。見せたくないものを見せろと強要してしまいました」
「いや、その…君が謝ることじゃない。私個人の問題だから、顔を上げて欲しい」
ラトリアさんは下がり続ける私の顔を両手で挟み込み、負担にならないように持ち上げる
普段話している距離から更に下
そこから見ると、前髪に覆われた彼の顔がよく見えた
白銀の糸から覗く青い目を細め、安心させるような声音で語りかける彼は…
「ほら、君は顔を上げて笑っている方がいい」
「…貴方こそ」
自分が笑えていることに、気がついているのだろうか
どこか幼さを感じさせる朗らかな笑みはすぐに失せ、先程と同じ無表情
一瞬だけど、その変化はしっかりと私の中に刻まれる
「しかし、私は笑っていたところを貴方に見せたことはないと思うのですが」
「四年前、アステルが君を紹介してくれた時に」
「そんな事、覚えて」
「覚えている。印象的だったからな」
「そうなのですか?」
「この国には太陽がない。今でこそ当たり前だが、気温は常に寒く。作物は自然だと上手く育たず…物量が少ないから産業も活発化しない。言ってしまえば生活に華やかさがない」
「そうですね」
記録によれば、かつてのアルグステイン王国は太陽の恩恵を沢山受け、沢山の植物が芽生え、人々は活気に溢れていたとあった
昼間が一日中続く日もあるほどらしい
言うなればこの国は「太陽と共にある国」
その恩恵が消えた今、国が衰退するのは…当然とも言える
「そんな暮らしに不満を抱く人々の顔は自然と重い代物になっている。そんな中、無邪気に好きな事を語る君とソフィアの表情はとても印象的なんだ。まだアステルやユーチェみたいに生き生きと物事を語れる者がいるんだな、と」
「それは、なんだか恥ずかしいですね。そんなことを覚えられているのは…」
「あの時、この国の識字率にひたすら文句を述べる君は今も覚えている」
「そんな記憶こそ霧に略奪されてきてくださいな…!忘れていいものではないですか!」
「…それは、とっても嫌なのだが」
「忘れてください」
「いや」
廊下を歩きながら、押し問答を繰り返す中…うっすらと声が聞こえる
「…おい、ラトリア・カルディシネマだぞ」
「…なんでこんなところに」
「引きこもっているんじゃなかったのか」
「相変わらず気味が悪いわね…」
「隣にいるのは文官よね…どういう関係?」
周囲から噂話をされているのは私ではなくラトリアさんのようだ
彼の姿を見た人は、近くの人と噂話をしたり顔を合わせず素早く逃げて行ったりする
「あの」
「…いつものことだ。気にしなくていい」
「ですか」
彼はそう言うが、これはあまりにも酷くないだろうか
「…隣の文官、ステラじゃない?」
「ラトリアに捕まったんじゃない?」
「後で長に怒られるんじゃない?」
「「暗黙の了解」を破って、ラトリアの報告書代筆なんて…」
「前例を作ったら、引き受けないといけなくなるじゃん」
「本当に最悪。あいつみたいに失敗して王都から出たらいいのに」
廊下にいた文官の先輩から私に向けての非難も聞こえ始めた
どうでもいい声だ。もう聞き慣れている
ユピテル様に振り回されるようになってから、似たような事は何度も聞いたから
聞こえないふりをしていると、隣の足音が聞こえなくなる
後ろを振り向くと、先ほどまで非難を気にせず歩いていたラトリアさんが文官集団の中にいた、一番階級が偉い…私の先輩に顔を近づけていた
「…彼女はユピテル・アルマハルチェから直々に私のサポートを依頼されている」
「え、ちょっと何……」
「怒られることを懸念していたが…文官長への通達をユピテルが怠ると言いたいのか?」
「だ、だからなんなの」
「それから、この一件は例外として処理される。それに彼女はお前より優秀な文官だ。お前が危惧することは何一つ起きない。私はお前みたいな愚物に報告書の代筆を依頼することは天地がひっくり返ろうともあり得ない。うぬぼれるな」
「…っ」
ラトリアさんはゆっくりと顔を遠ざけ、先輩を見下げる
怒りに満ちていた彼女の顔は、大柄なラトリアさんを見上げた瞬間…恐怖に変化した
「…これ以上の非難は、ユピテルを…私の友人と、事情を理解した上で私のサポートを引き受けた彼女を愚弄する発言だと捉える。略奪の霧に投げ入れられたくなければ、口を噤め」
「…は、はい!」
「…もう行っていい」
ラトリアさんにそう言われた瞬間、先輩たちは廊下を全力で走り去る
他の野次馬も同様だ。気づけば廊下には私とラトリアさんしかいなかった
「あの、ラトリアさん」
「…すまない。なんだかむしゃくしゃして」
「大丈夫。感情が出てきた傾向として喜ぶべき事象です。受け入れてあげてください」
例えその感情が怒りであろうとも、感情に変化が見られたのだ
喜ぶべき事なのは間違いない、が
「ただ、今回はあまり…流石に略奪の霧へ投げ入れるは、過激すぎるかと」
「そう、だよな…すまない」
「今度からは穏便に。ラトリアさんは立っているだけでその…凄みがありますので。過度な威圧は余計な恐怖を与えかねません。先程述べた問題もありますから、適度な距離を守ってくださいね」
「ああ」
「それから、まず最初に言わなければいけなかった事を言わせてください。ありがとうございました」
「…お礼を言われることはしていない」
「十分して頂いています。しかし、その…私は先輩方の言う暗黙の了解という概念を知らないのですが。如何なるものかお伺いしても?」
ラトリアさんは少し首を傾げた後、静かに語り始めてくれる
「…昔、君のように文官長の命を受けて私の報告書と論文の代筆に携わった文官がいた」
「ほうほう」
「しかし、その文官は私の考えと真逆のことを書いて提出していた。報告書もでたらめ。とてもじゃないが、読めたものではなかった」
「……」
「報告書を読み、私から事情を聞いたユーチェは激怒して、その文官に処罰を下した。以降、私の代筆依頼だけはユピテル様の怒りも買うから絶対に引き受けるなというお達しが文官内に広まったそうだ」
「その文官が仕事を適当にした結果ですね。自業自得です」
「…すっぱり言うな」
「言いますよ。それに、私はそんなヘマをしません」
仕事には真摯に向き合う
宮廷文官として働くようになってから私はそう決めたのだ
そうしていれば、いつかは必ず評価される
地位や名誉には興味はないが…少なくとも評価が上がれば給金が上がる
私はもう貧乏な暮らしが嫌なのだ
冷たい地面を素肌で感じ、ボロ布を纏い寒さに震え、屋根のない家で腹を鳴らす日々
思い出しただけでも嫌だ
必死に努力して、学校に潜り込んで…そこからソフィア君と共に平民枠の宮廷試験を受けて手に入れた職
こんなところで手放してたまるものか
「今は論文や報告書の代筆はありませんが、機会があれば貴方の期待に添う仕事を行います。ご用命があればお申し付けください」
「君は本当に仕事が好きなのだな」
「好きではありませんよ。ただ、それが欲しいものを得る手段なだけです」
「手段、か」
「では、気を取り直して図書館へ向かいましょう」
再び廊下を歩き、王城の外に出て市街地へ
目的の場所は市場を通った先にある丘の上
国立図書館まで、もう少し
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