2:欠けた人
ユピテル様の依頼を引き受けた翌日
私はユピテル様に連れられ、カルディシネマ様がいらっしゃる部屋へ向かっていた
「ところで、ユピテル様。カルディシネマ様はどのような」
「見て貰った方が早い。まあ、俺と付き合える存在だ。趣味はステラとよく似ているから、話は問題なくできるはずだぞ」
「そ、そうですか」
「それから、声が異様に小さい。声を張るのが昔から苦手でな。小鳥の囀りのような声で語る」
「ほうほう」
「だから、耳元に吐息が当たるぐらいの距離で話をする。身体が大きいから突然距離を詰められて驚くと思うが、できれば叫ばないでやってくれると。悪気があるわけじゃないから」
「ぜ、善処します…」
どうやら、親友目線でも特徴的な人らしい
一応新聞経由で情報を集めてみた
王族に仕える一族の八子で三男
ユピテル様と同い年と言うこともあり、彼の友人として共に育てられたらしい
「ところで、カルディシネマ様は学生時代から略奪の霧に執着し、あれを消し去る研究に心血を注いでいると拝読いたしました。理由をユピテル様はご存じですか?」
「なにも。一緒に育ってきたが…略奪の霧に執着する理由やきっかけには心当たりが無い。ラトリアは私以外の友人もいなければ、家族にも興味が無いからな。周囲が霧に飲まれ、何かを奪われた話は聞かないな」
「家族に興味ない…友達も一人…」
「ヤバい人では…?みたいな目をしているが、お前とソフィアは大差ないぞ?」
「それもそうですね」
しかし、一番距離が近い彼でも理由は知らないのか
ますます興味が湧いてきたな
「理由はユピテル様にも不明。何度も霧の中に飛び込んだ結果…感情やら記憶やら軽く吹っ飛んでいるらしいと新聞で記事にされていましたが、こちらはゴシップとして認識した方がよろしいでしょうか」
「…事実だ」
「失礼ですが、ユピテル様の親友様はその…頭の調子が?」
「霧に飛び込みすぎて気が触れた可能性は否定しない」
参ったな。ただのゴシップ記事だと思ったら事実だったらしい
今後仕事相手になる相手かつユピテル様の親友にこういうのも何だが…今すぐ逃げたい
そんな頭のおかしい人と一緒に仕事ができるわけが無い。私の精神か胃袋が壊れそうだ
「どれだけ飛び込んでもラトリアは「霧に対する執着」を忘れないのが厄介でな」
「今まで略奪の霧を消そうと考えた人間はいません。ユピテル様は大手を振って研究を支援したいところではありますが…ヘラ様の配下にいる現状では、カルディシネマ様の専門は心理学のまま」
「その通り。あいつに求められている報告書は霧の対策ではない。心に関する何かの報告だ。提出をサボり始めた四年間を取り戻すような代物が求められる」
彼は現在、本来の仕事へ目を向けているのかどうかすらわからない
その上、霧に夢中で目を向けない可能性だって残されている
「相当厄介な人を押しつけてくれましたね」
「俺だけじゃどうにもできなくてなぁ」
「貴方でさえコントロールできない方が私にコントロールできる訳がないではありませんか」
「そんなことないと思うぞ?」
「その理由は」
「何故かはわからないが、ラトリアはステラの名前を聞くと眉が動いてな」
「なぜ!?」
一応、私もカルディシネマ様と一度だけお会いしたことがあるが、それだけなのだ
四年前、宮廷学者になりたてだったアステル君と街中で出会い…その時に彼の教育係をしているカルディシネマ様と出会ったのだ
挨拶程度の会話しか覚えが無いのに、なぜ名前を告げると表情の変化が出るのだろうか
…あの時、無自覚で何かしただろうか
「俺にもわからない。けど、あいつは略奪の霧から感情を奪われたと聞いている」
「その前提で考えると、私の名で表情が動くというのは」
「いい傾向と思いたくてな。お前が側にいたら、あいつが、この国に住まう者達が霧から奪われたものを取り戻す術を見つけ出せるのではないかという期待もある」
報告書の提出期限を果たしてカルディシネマ様を、それから霧の対策…一度に二つの利益を得ようとしているのか
誰が働いてそれを果たすと考えているのやら。相変わらず人使いが荒いものだ
「ついたぞ。ステラ」
「おい、リア。いるんだろ。開けろ!」
「…返事、ありませんね」
「返事がないなら勝手に入るぞ」
「よろしいのですか?」
「他でもない俺の判断だ。問題ないだろう」
横暴な王族の背に隠れ、開かれた扉の先を覗き見る
資料室の作りは他の学者と同様らしい
しかし、その部屋の中には山のように資料が積み上げられている
他の学者の部屋では見たことないような凄まじい量。扉を開けた瞬間流れて来た生暖かい空気も相まって、気分を悪くするどころか吐き気さえ覚えた
…よくこんな部屋で生活ができるものだ
確か、カルディシネマ様も貴族だよな
貴族という生物とは何度も関わってきたが、ことごとく駄目人間だった
奴らは身の回りのことを他人にさせる。自分の部屋どころか身の回りの掃除一つできやしない
「扉を塞がれていなかったのは、不幸中の幸いとしか言いようがないな」
「…彼は掃除ができない系のお方ですか?正直、潔癖の気は無いのですが、この部屋の惨状を見たら今すぐ仕事から逃亡したくなったのですが」
「あいつは生まれが少々特殊でな。俺の元へ訪れる時以外に使用人がついたことがない。基本的に自分の身の回りの事は自分でできる人間だよ」
「…」
「やり方を忘れているだけだと思うんだ。多めに…」
「…」
「それでも流石に、汚部屋で仕事をするのは嫌だよな。わかった。リアが掃除を覚えるまでは俺も手伝うから、勘弁してくれ。お前以外にラトリアを任せることはできないんだ。マジで頼む。逃げないでくれ。賞与増やすからぁ…」
「わ、わかりました!それから賞与はいりません…。後、そんな弱腰にならないで頂けますか。私だからいいものの、他者だとつけ込まれたりしますから…」
「あ、ああ…勿論だ」
「…ユーチェ?」
部屋の中から、うっすらと声が聞こえてくる
部屋の真ん中に落ちていた白布…いいや、白衣か
肩からカッターシャツを見せ、まともに着用していない白衣を、歩みと共にだらしなく引きずった部屋の主は、出迎えるように入口に立った
「…どうして」
「兄上から通達は来ているな」
「…?」
「お前のことだから見ていないと思うから、改めて私から説明をしたいのだが…部屋には入れる状態か?」
「スペースは、ある…はず?」
「自分がいる部屋なのになぜ疑問形なんだ。とにかく入るぞ。ステラ、足下と頭上と背後、気をつけろよ」
「わかりました」
ユピテル様が先行し、足の踏み場もないような部屋を進んでいく
ふとした瞬間に倒れてきそうな書類の山に警戒をしつつ、私達は先程までカルディシネマ様が眠っていた場所まで向かうことになる
「あそこなら座って話せる」
「…ラトリア。俺だけならともかく今日はレディもいるんだぞ。先程まで自分の寝床にしていた場所に案内する真似は失礼だ」
「ここ以外に空いている場所など無い」
「ユピテル様。ここが落下物の心配等皆無な安全地帯であることは眠っていたカルディシネマ様が証明されていますし、落ち着いて会話ができるかと。私の事は気になさらず、続けてください」
「すまないな」
「いえ」
「…気にしなくていいのに。あいたっ」
「お前はレディへの気遣いというものを思い出してくれ。ステラ、手を。ここ特に危な…あいたっ」
「…お手を、どうぞ」
「へっ!?あ、ありがとうございます…?」
ユピテル様が差し出してくれた手を勢いよく払ったカルディシネマ様は、髪の奥から青い瞳でぼんやりと…私を観察するように眺めてくる
差し出された白衣に隠された手を取り、私はカルディシネマ様が寝ていた場所…もとい、応対用として設置されているソファの上へ腰掛けた
「それで、彼女はなぜここに?」
「彼女はステラ。ステラ・ルーデンダルク。今日からお前の補佐を務めることになる文官だ」
「…補佐、うん。報告書の提出に関すること、だろうか」
「ああ。そうだ。お前、今までは普通に提出していたのに、四年前から出し渋り始めたよな」
「…書いてはいけない理由を、見つけたから」
「そんな理由を見つけるな!もう後が無い状態なのは理解しているな?」
「ああ」
「この報告書を提出できれば、俺の庇護下に引き入れていいと兄上と誓約を結んでいる。だからラトリア。何をすべきか、わかるな?」
「…報告書を、提出」
「そうだ。それから、奪われたものを取り戻す」
「…」
「少しだけでも表情が動いた点から、ステラが側にいたら何かを取り戻すきっかけになると思うんだよ。だから」
「…君は、いいのか。スティ」
「リア、初対面の女性を愛称呼びは失礼がすぎるぞ」
「…でも」
「俺とお前は家族のように育っているから愛称呼びを許しているんだ。ステラはなんだ?お前の家族でも恋人でも無いだろう。愛称呼びをしてはいけない」
この国には、名前の呼び方で関係性を示す風習がある
家名を呼ぶのは初対面の相手やあまり関わりの無い存在
名前呼びは親しい友人に向けて
愛称呼びは家族やパートナー…そんな不思議な風習が存在している
同時に、その間柄でも無いのに呼び方を間違えるのは失礼だという風習も
…しかし、なぜカルディシネマ様は私の愛称を知っていたのだろうか
少しの関わりだが、不思議な事ばかりしてくる人だな
「わかった。それで、ええっと…ルーデンダルク、は…私の補佐どころか、奪われたものを取り戻す手伝いも、してくれるのだろうか」
「私は構いません。ユピテル様のご命令ですから」
「…ユーチェの命令抜きでも、協力はしてくれるのだろうか」
「…略奪の霧に奪われたものを取り戻す可能性として、私が有用であるのなら、協力は惜しみません」
「…そう、か」
どこか寂しそうに目を細め、彼は白衣の袖で口元を覆う
ただでさえ変わることが無い表情の些細な変化が、更にわからないように
「と、いうわけだ。とりあえず今日から二人三脚で報告書の提出に向け、頑張ってくれ。霧に関してはその後だ」
「承りました」
「…わかった」
「じゃあ、部屋の掃除でもするか」
「そうですね。掃除道具、借りてきます」
「あ、いや…これが、最適…だから。動かさないでくれ」
「「……」」
汚部屋住民あるある。これが最適環境だから
ソフィア君もそうだから何となく嫌な予感がしていたのだが、まさか彼もこのタイプだったとは…長い戦いになりそうだ
「…時間で解決して見せます」
「…お前には苦労させるな」
「…報酬は禁書庫の立ち入りで」
「…あい分かった。じゃあ、俺は戻ることにする。後はよろしくな、ステラ。こいつが何か礼儀を欠いた事をしたら、蹴り上げていいから。リアも、変な事はするなよ」
「わかっている」
「流石にそんなことはしませんから…」
山だらけの資料を掻き分けながら入口に戻り、ユピテル様は部屋を後にする
残されたのは当事者のみ
さて、どう話を切り出したものか
「…ルーデンダルク」
「はい。何でしょう」
「先程は、すまなかった…。その、常識外れなことを…」
「いえ、大丈夫です。記憶が奪われたという話は伺っていましたので」
ユピテル様から声が小さく、耳元で話してくると助言を受けていたが…彼はこの部屋に入った時からその必要がないように、あえて声を張り上げてくれていた
しかし、息を吸う度に何かしてはいけないような音がする…かなり無理をしているらしい
「あの、側に行っても?」
「…構わないが」
「では、失礼します」
座る場所を向かいから、カルディシネマ様の隣へ変えておく
これで距離が近くなる
私としては異性がここまで近くにいるという環境は複雑ではある
ソフィア君ならともかく、他人かつ今日初めてしっかり関わるような人であれば尚更だ
しかし、この距離であれば彼に無理をさせず会話をすることはできるはずだ
「ありがとう」
「いえ。やはり無理をされていたのですね」
「少し前に、喉に怪我をして。それから声が出にくくなっているんだ。不便をかける」
「それは仕方ありません。完治の見込みは?」
「医者の見立てだと、半年はいるだろうと」
「わかりました。ではそれまではなるべく近くで会話を行うようにしましょう。ちなみにですが、カルディシネマ様にはこの距離に怒るような方は?」
「怒るような方、とは」
「率直に言えば、恋人や婚約者、妻などの関係にある方になりますね」
「いてたまるか…」
感情が消え失せた表情で淡々と問いに答えてくれる
声にもそれが込められている気配はない。しかし、最後の問いに関しては彼の感情が若干交ざっているようにも感じた
昔何かあったのかもしれない。こういう話題は深堀厳禁だ
感情の兆しはどんな代物であれ、出現できればいい傾向と言えるだろう
しかしこれに関してはさりげなく流しておこう
「ちなみにだが、特定の相手が私に存在していたらどうなるんだ」
「私も貴方も、その人物から今を見られた上で然るべき場所へ訴えられたら死刑になりますから。やりとりを円滑に進める為、仕事の時だけこの距離にいていい許可を取りに行こうかと思いまして」
「…どうしてそんな面倒なことを」
「この国において不貞は最大の禁忌とされていますから」
「…なぜ、そうなった?」
「ユピテル様の御爺様…先々代の国王陛下が王妃と宰相に浮気をされた過去がありまして。それから同じ思いをする人物が減るようにと、不貞は死刑と定められたとか」
「ふむ。ありがとう。また一つ常識を知れたと思う。女性へ不用意に近づかないようにする」
「そうですね。その方が賢明かと」
何を覚えていて何を忘れているのか把握できない今、最低限守っておいた方が安心の法律やルールを教えておかないとカルディシネマ様の命が危うい
幸いなことに、彼は疑問を抱いたら解消するまで問いを続けてくるタイプのようだ
分からないことがあれば聞いてくれる安心感は、この場ではかなり大きい
「では話を本題に戻しましょう。今後の流れを軽く打ち合わせる時間を頂いてもよろしいでしょうか」
「勿論」
「先程は返答を聞いていませんでしたので改めてお伺いします。ヘラ様からの通達はご確認されていらっしゃいますか?」
「いや、見た覚えが無い。それには何が書かれていた?」
「カルディシネマ様は現在、報告書の未提出により処罰対象として名前が挙がっているそうです。通達の内容はざっくりと言えばこんな感じですね」
「四年もサボれば来るとは思っていた」
「来る前に対策を講じてください…って、書いてはいけない理由を見つけたのですよね。それは今お伺いしても?」
「話せない…今から、ええっと。三ヶ月後だな。それを超えたら話す」
「はぁ」
理由こそ不明だが、書かない理由は将来的に話してはくれるらしい
これに関しては気長に待とう
「しかし、なぜそれにユピテルと君が関わるのだろうか」
「ユピテル様がカルディシネマ様に報告書の提出を完遂させた場合、カルディシネマ様はそれ以降ユピテル様の管轄へ異動となるそうです」
「…これはまた変な取り決めをしたな。なぜそんなことを?君は聞いているか?」
「さあ。こればかりは流石に。ユピテル様ご本人へ確認をとられた方がよいかと」
私自身が述べることはできる
しかし、その言葉は私なんかではなく…ユピテル様自身が告げるべきだ
「ちなみに君は…どう考える?」
「そう、ですね。カルディシネマ様はユピテル様にとって信頼の置ける方のようですから、そういう方へ側にいてほしいのではないかと」
「…ユーチェは王位継承第三位。現状一番遠い地位だ。それにあいつ自身も王位争奪には消極的と考えていたのだが」
「あの方は、そんなちっぽけなものに興味はございませんよ」
「…ユーチェは、君を使い、私を自分の配下に加えてまで何を成そうとしているんだ?」
「その問いに私が答えることはありません。どうか、ユピテル様に直接」
「…全て分かっている上で、君は口を閉ざすのだな」
「ええ。どうしても知りたいのであれば、報告書の提出を」
「…報告書は書き終えている。提出は期限ギリギリまで引き延ばすつもりだ」
「提出期限は三ヶ月後ですが、早めに出した方がカルディシネマ様も楽になるのでは?」
「いや。むしろここからがスタートだ」
確かに報告書を提出したら、彼はユピテル様の元へ行く
三ヶ月。提出を延ばす理由があるとするならば…心の準備とかも、必要だろうな
「わかりました。ではこの三ヶ月は報告書の作成では無く、もう一つの目的…貴方が奪われたものを取り戻す方法の模索を中心にやりとりをしていきましょう」
「それで頼む」
「ちなみにですが、奪われたと自覚しているものをリスト化するのは可能ですか?」
「今は、できない」
「なぜ」
「この前、略奪の霧に飛び込んだ際…公用語の書き取りを忘れた」
「書きだけ、ですか。ちなみに読む能力は」
「奪われていない。文字は読める」
「…略奪の霧の奪い方は特徴的ですね。ともかく、報告書が完成していてよかったです」
「それはそうだな」
「では、私がリストを作成しますので、カルディシネマ様は自分が略奪された自覚があるものを教えてください」
「心得た」
それから彼は奪われたと認識している事象を教えてくれる
私はそれを全て纏め終えた頃には、昼時の鐘が鳴り響いた頃だった
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