04

 2006年4月、私は大学生になっていた。

 この頃からノートに日記をつけはじめたので、ところどころ参照しながら、当時のことを振り返ってみる。

 私は高校の知人が誰も居ない大学に入った。今までの人間関係を断ち切り、全く新しいスタートを切りたかったからだ。その一歩として、私は軽音サークルに入った。以前から興味のあった楽器を始めてみたかったのだ。

 自分を知っている人が居ない、という環境は、私にとって素敵なものだった。軽音サークルの部室に居る人であれば、誰彼構わず話しかけ、仲良くなれそうな人を探していた。今思えば、この時期は躁転してしまっていた気がする。余りにも不躾で、余りにもテンションが高かったから。

 一応、自分の変化を自覚してはいたらしい。5月の日記にはこうある。


「大学に入った途端に、私の性格は変わった。知らない人に自分から話しかけた事なんて、今まで一度も無かった。知らない人ばかりという環境は、普通は不安になるものだけど、私にとってはそれが凄く良かった。私が何をしていようが、誰も気に留めない。もう気を張って演技する必要も無い。」


 私は素晴らしい日々を送っていた。勉強も楽器も楽しかったし、バイトも始めた。高校時代の友人とはまだ繋がっていたが、そう頻繁に会うわけでもない。それに何より、初めての恋人ができた。同じ軽音サークルの一年生だ。彼と過ごす時間が楽しくて、文字通り夢中になっていた。

 しかし、初めての恋人との関係に、私は段々と悩むようになった。いつか見捨てられるんじゃないかと不安になり、癇癪を起こした。相手の都合も考えず、自分を一番に優先してもらわないと気が済まず、それが叶えられなかったときはリストカットをした。典型的なボーダー(境界性人格障害)の症状である。

 初めは整然としていた日記の字も、乱れ始める。


「こわい。こわい。たすけて。あいたい。こわい。こわい。」


「いくら血を出したら死ねるんだっけ?」


「もうダメだ」


 ところが、恋人に優しくされた途端、文字も文体も一変。いかに幸せなデートをしたかということが書き連ねられている。私は恋人を振り回していたが、自分自身も振り回していた。

 一年生の終わり頃になると、パニック発作も起きるようになった。朝、駅に向かうのがこわい。電車に乗っていると息苦しくて立っていられない。そんな思いをブログに打ち明けていたところ、とある方から心療内科を薦めて頂いた。私はその紹介通り、K先生の所へ行ってみた。2007年6月のことである。

 K先生は年配の女性で、非常に暖かな方であった。初めての診察後、カウンセリングの必要があると言われ、私は様々な思いを抱えていた。


「カウンセリングする意味あるのかな。だって自分のどこが病んでいるのか、自分でもうまく説明できない。病気だってことに逃げていない? 病気だと言って周りを納得させようとしていないか?」


 カウンセラーは30代か40代くらいの綺麗なお姉さんだった。割とストレートに思ったことを言えていたようで、しょうもないことで父母に叱られたことも話していた。そういえば不眠で、そういえば過食嘔吐もしていることをその場で打ち明けることもできたし、私にとって有意義な時間であった。

 ところが、恋人にとってはそうではなかった。カウンセリングをしても、すぐに効果が出るわけでは無い。相変わらず私は恋人を傷つけていた。それに、彼女が心療内科に通っているということを、都合悪く思っていたのだろう。


「俺、普通の女の子がいい」


 そう別れを告げられた。

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