03
初めてリストカットをしたのは、高校生のときだった。
高校でも運動部に入った私は、またもや下働きをしていた。その競技に愛着なんて無かったし、向上心も無かった。ただ、友人たちから見離されたくなかっただけ。居場所を確保しておきたかっただけ。高校生にもなるとスクールカーストはよりキツいものになっており、運動部の沙樹ちゃん、という所属が無ければ、私みたいに容姿も学力も良くない生徒は生き残っていられなかった。
毎日毎日、部活を辞めたくて仕方が無かった。けれど、ニコニコ顔で何でもない風を装うことが身に着いてしまった私は、結局それをしなかった。そして、仮病か何かで休むこともできなかった。部活では、過呼吸になっても、捻挫をしても、練習に出てくることが評価されていた。私は無駄に丈夫なので、そもそも身体に異変が起きるということが無かった。身体を壊しても練習している友人を見て、行きたくないのはただの甘えなんだと自分に言い聞かせた。
それと同じことを、私は社会人になっても続けていた。多少熱が出たくらい、頭痛があるくらいでは休まない。休めない。会社を休むには、もっと身体が大変なことになって、それなら休めと言われる程の大惨事でないと駄目だと。そんなわけで、車道にフラフラ飛び出しそうになったり、ホームの向こうを見つめていたりした。実行しなくて本当に良かった。
実際の所、リストカットをした理由というのはよく覚えていない。今の自分が考察するに、誰かに注目されて、構って欲しかったのだと思う。こんなことをするなんて、辛かったね、痛かったね、もう部活も学校も休んでいいんだよ。そう言われたかったのだと。しかし私は、リストカットの痕を誰にも見せなかった。やった後で、どうにも恥ずかしい気持ちに襲われたからだ。弱い自分がここにいるのだと、認めたくなかった。
それから、OD(オーバードーズ)もした。父の睡眠薬を勝手に飲んだのだ。しかし、ごく少量だったので、一定時間幻聴に悩まされるくらいで済んだ。不思議と父に叱られた記憶は無い。悲しまれたような気はするが、ハッキリ覚えていない。
どんどん自傷行為が増えていく中、自殺や精神病などの暗い知識も増えていった。それは言わずもがな、インターネットを自由に扱うようになったからだ。同じように自傷行為をしている人のホームページを見て、多少なりとも安心した。自分より症状の重い人を見たときは、まだマシだと優位に立った気もした。
高校三年になり、部活を引退してからは、とりあえず大学受験の勉強を始めた。周りの友人は、美容師やネイリストになりたいと言い、専門学校を受けていたが、私は特に目指す道や夢なんて無かったのである。そのことについては当然のように馬鹿にされたが、他に行くあてもないので、いつも通りの笑顔でやり過ごしていた。
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