第9話 クリスマス

 三年目の冬。大きな仕事が舞い込み、忙しい日々を送っている。

 食事も最近ではコンビニやスーパーで弁当や総菜を買うだけになっている。一応サラダもつけているが、ついこってりしたものを選びがちで偏った食生活になっていると感じる。

 自炊も割と好きだったのだが今はそれをする余裕がない。


 学生の時はささみを茹でたらトモにも分けたり、牛肉をトモの分も焼いて一緒に食ったりした。

 自分の食べたいものを好きなだけ作って好きなだけ食べるのも、トモと少し共有するのも楽しかった。

 今の仕事が落ち着けば元の生活に戻れるだろうか。今は忙しすぎる。


 最近は寝つきも悪く、朝はぎりぎりまで眠り、アラームとトモに起こしてもらう。トモがいなければ二度寝しているだろう。

 トモの食事を用意し、自分の身支度を整える。朝飯はバランス栄養食でささっと済ませた。

 家を出る直前、トモがおもちゃを持って俺のところにやって来た。


「悪い……もう出ないといけないんだ。帰ってきてから遊んでやるから……今日はクリスマスイブだしご馳走食べよう」

「うにゃあぁぁ!」

 怒っている。脚に飛びついてきた。

「スーツに爪を立てるな! どうしたんだよ。帰ったらいくらでも遊んでやるから、な? 今日で今の仕事は終わる予定なんだ。今日は早く帰れるから!」

 必死に説明し、トモをスーツから離すとシャーッと鳴き、怒りをあらわにする。


 俺は慌てて家を出た。

 今日のトモは珍しく怒っていた。毛も逆立っていて、今までに聞いたことの無い声だった。


 そういえば最近あまり構ってやれてない。 


 原因は分かっている。仕事が忙しいからだ。

 入社した後に聞いてた話と違う点が出てくる、というのはたまに聞くがそれだった。働きやすい職場と聞いていたのにかなりきつい。

 残業も多い。俺がやることは勤務時間に終わってるはずなのに。

 疲れて家に遅く帰り、素早く夕食と風呂を済ませ、さっさと寝る。疲れは取り切れず、疲弊していく。




「尾野さーん、隣いいですか?」

「ああ、もちろん」

 真木野さんだ。声は普段通り明るいものの表情に疲れがにじみ出ている。

「今朝、トモを怒らせてしまった」

「トモ君が? 珍しい。どうしたんですか」

 今朝のことを話す。


「忙しいですもんね。きっと……トモ君寂しいんですよ」

「そうだよな……」

 責任をもって飼うといったのに、構ってやれないなんて……

「帰ってから思いっきり遊んであげましょ! 今日はクリスマスイブですし!」

「そうだな」

 トモを寂しがらせた。そのことに落ち込んでいたが、真木野さんの明るい調子と言葉に元気が出る。帰ったら、トモが満足するまで撫でて、遊ぼう。


 そんな俺の思いとは裏腹に、最後の最後で仕事に不具合が見つかってしまった。今日は定時で終わるはずだったのに。

 しかも俺は「猫と過ごすだけだろ?」と家族や恋人との約束がある人の代わりに残業させられている。

 トモは俺の恋人だ。大事な存在と過ごすのに優劣などないだろうに。




「ああっ! くそ! トモのお気に入りの猫缶用意してたのに!」

 やっとの思いで退勤し、予約していたクリスマスチキンを受け取り走る。

 俺はチキンで、トモはお気に入りの少し高い猫缶でお祝いしようと思っていたのに。


 駅までの道はイルミネーションが輝き、楽しそうな家族連れやカップルを照らしている。

 カップル達は手をつないで幸せそうに笑っていた。


 もし、波が人間のままだったなら、俺もこの中にいたのか?

 波と手をつないで、どこかで夕食を食べに行って、笑いあう。家に帰って、それから……


 羨ましい。


 幸せそうなカップル達が。


 俺は波に会えない、波と恋人になれない。

 もう人間の波はいない。恋人になりたかった。触れ合いたかった。肌の体温を知りたかった。

 もう触れることも、手をつなぐことも、思いを伝えることすらできない。


 胸が、苦しい。

 好きだったのに告白できなかった。

 もし猫になる前に告白していれば、人間のままでいたのだろうか?

 関係を壊したくないからと、好きという気持ちに蓋をして、何も言わなかったのは俺だ。


 冬の冷たい風が俺の心を刺す。

 人間としての波と恋人になることは叶わない。それを思い知らされる。

 激しい後悔が押し寄せてくる。


 それに、猫と人間じゃ寿命が違う。俺はまだ数十年は生きるのに、トモはたった数年、長くて十年だ。

 あとどれだけ一緒にいられるのだろう。

 波が人間の時も友人という形でずっと一緒にいられると思っていた。

 波が猫になってもその感覚がずっと残っていた。当然のように。


 後悔と苦しさを抱えたまま家へと急いだ。

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