第8話 社会人

 俺はウェブデザインの会社に就職した。

覚えることも多く大変だが、三カ月もすると大分慣れてきた。


 今は昼休みだ。

「尾野さーん! トモ君元気ですか?」

 勢いよく俺を呼んだのは同期の真木野さんだ。彼女も猫を飼っていて今では猫仲間としてお互いの猫の情報交換をしている。


「ああ、元気だ。今朝のベストショット」

 窓から太陽の光が差し込み、照らされるトモの横顔が綺麗だったから写真を撮ろうとした。そしたらスマホのシャッターを押した瞬間にキャットタワーにジャンプしたためブレてしまった写真だ。

「あはははは! あるある~! すごく躍動感ある一枚ですね! うちのモチも見てくださいよ!」

 見せられたのは白い猫が変なカッコで寝ている写真。仰向けで手を伸ばしていてまるで踊っているみたいだ。


「かわいーなぁ!」

「でしょ~!」

 会社では猫を飼っているから猫の話題を振ってもらえるようになった。同じく猫を飼っている人の写真を見せてもらうことも増えたが、やはり一番可愛いのはうちのトモだ。




「さて、メシにすっか」

「にゃ~」

 六月だが暑くなってきたし、さっぱりと釜玉うどんにする。タレは近所のスーパーで買ってきた。

 うどんを茹でてその間にネギを刻む。トントンと軽快な音がキッチンに響く。

 うどんが茹で上がり、水気をきる。湯気が勢いよく立ち上ぼり、その熱気に汗がにじむ。

 うどんを盛り付け、ねぎを散らし、玉子を落とす。後はタレをかけるだけだ。


 鰹節も入れるか。そう思い袋を開けた。

「にゃ~!」


 トモは「にゃあにゃあ」とかわいらしい声で鳴く。おねだりするときの声だ。

 人間の鰹節をやるのはあまり良くないが。

「少しだけな」

 少量を手にとりトモに与える。

 ついでに自分も鰹節を摘み、口に入れた。


 だしというか魚のうまみというか、そのまま食べてもそこまで美味しいわけではない。

 しかし、トモと同じものを共有しているというのが俺の満足感を満たす。

「美味いか?」

「にゃあ!」

 そう言うと立って足にしがみついてきた。

「こら! もう駄目だ!」

 そんな全力で伝えなくても良いだろ。




 平日が終わり、休日がやってきた。

 トモに飯をやり、遊ぶのが日課だ。


 そのあとは休みたいが自主的に勉強したいことがある。資格取得も視野に入れている。

 テキストを開けば相変わらずトモは邪魔をしにやって来る。

 俺の仕事はウェブデザイナーだが、トモの仕事は、よく食べ、よく遊び、俺の邪魔をすることらしい。


 トモが邪魔をするから、ほどほどに力が抜けて取り組めるのかもしれないが。

いや、やはり邪魔だ。テキストが一行も読めない。最初から来るな、途中で来てくれ。


「んん……休憩すっか」

 伸びをして、トモを探すとカーペットでお腹を上に向けながら寝ていた。いわゆるヘソ天というやつだ。

 その隣に俺も寝そべった。

 暖かな光が窓から差し込み、眠気がやってきた。

 少しならいいだろ、短時間の昼寝は良いと聞くし。

 少しの間、眠気に身をあずけた。


 二十分経ち、アラームのバイブで目が覚めた時、トモが俺にくっついて寝ていた。

「ふふっ」

 笑みがこぼれた。




 入社して三年が経った。

 身支度を済ませスーツにコロコロをかけて出発する。

 今もトモは見送ってくれる。

「行ってくる。今日は飲み会で遅いからご飯多めに入れたからな」

「にゃあう」




 飲み会はトラブルなく進む。俺の隣には親しい同僚。もう何杯飲んだのだろうか、酔っぱらっている。

「最近さ~、一肌恋しいんだよ……お前は恋人とか興味ある?」

「ん? 俺か? 俺はトモが恋人だからな」

「そーだった。お前には猫がいるんだった。いいなぁ、俺は帰っても一人だぁ!」

「飲みすぎだ。ほら、水を飲め」

 もうすっかり俺は愛猫家として知れ渡っている。


 飲み会はお開きになったが有志で二次会に行くようだ。

「二次会行く人~!」

 幹事である先輩が募集をかける。


「俺は猫が待っているので帰ります」

 もう十分楽しんで時間も遅い。早く帰ってトモに会いたい。

「私も帰ります」

「私は二次会行きまーす」

「僕も!」

 各々がどうするかを決めていく。

「じゃ、来たい人は出発しようか」

 二次会組と帰宅組に分かれ、俺は駅へ向かう。


「尾野さーん」

「真木野さん」

「尾野さんもこっちなんですね」

「ああ。真木野さんも帰宅組ですか」

「そりゃねー。うちもモチがいるからね」

 二人でたわいもない話をしながら駅へ歩いていく。


「あ、少しここ寄ってもいいかな」

 遅くまで営業しているドラッグストアだ。

「トモ、帰りが遅いとすねるから、おやつか何かでご機嫌取りしないといけないんだ」

「すねちゃうんだ。可愛い~。私もモチに何か買っていってあげよう。うちのモチ、寂しいと元気なくなっちゃうんですよね。実家だから滅多に無いけど」


 二人で店に入る。大きい店舗だから品ぞろえも豊富だ。初めて見るおやつも置いてあった。

 こりゃあいい。トモは相変わらず食べ物に対する好奇心が旺盛で、初めて見る食べ物も興味津々で喜んで食べる。食べて気に入らない、ということもたまにあるが。


「トモ君って何歳でしたっけ」

「たしか……八歳だ」

「わぁ、あと三年でシニアになるんですね」

 頭に衝撃が走った。そうか、トモは八歳なのか。中高年期に当たる。十一歳からシニアらしいから真木野さんの言う通り、あと三年だ。


 トモはもうそんな年になっていたのか。

 子猫の頃から成長を見ていたのに。いつでも元気で、病院の検査でも毎回健康だと言われていた。

 俺は「こいつは波だから」と、いつからかトモの年齢を気にしなくなっていた。人間の感覚でいたんだ。


 猫の寿命は平均十五歳くらいだ。

 あとたった数年じゃないか。

 ずっとトモと一緒にいられると思っていた。

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