第3話『一人だった、あの時』

その夜、翔斗は、久方ぶりに過去の夢を見た。


​ 体育館の熱気。万雷の拍手。眩しい照明の中、誰もが彼の一挙手一投足に注目していた。全国の頂点を懸けた大舞台――彼は、その舞台の中心にいた。かつて、自分の才能が世界を支配できると信じていた、傲慢で純粋な彼自身だ。


​(俺のスパイクなら、勝てる。俺が決めれば、全て終わる)


​ ボールが上がった瞬間、全てがスローモーションになった。相手ブロッカーの指先の動き、コートのわずかな隙間、歓声の波。彼の「」が、最高のタイミングと最適解を導き出していた。彼は勝利を確信し、その力を込めてボールを叩きつけた。


​ ――次の瞬間、勝利の歓喜は、全身を貫くような強烈な、乾いた音に掻き消された。


​ 床に横たわる自分。視界を覆い尽くす、鮮烈な後悔の光景。歓声は消え、残されたのは、途方もない孤独と、心に深く刻まれた痛みだけ。


​ ハッと目を覚ます。全身が汗だくだった。時計は深夜2時を指している。胸の奥が締め付けられるように痛む。


​(……あの時の、あの重さ……)


​ 彼は、あの日の「プレッシャー」と「責任」が、どれほど自分の心を蝕んだかを忘れていなかった。才能とは、誰もが求める光であると同時に、自分を押し潰す重荷でもあった。


​ あの時以来、彼はもう二度と、何かに本気で取り組み、その重さを背負うことを拒絶してきた。全てを「面倒くさい」と一蹴することで、心の防護壁を築いてきたのだ。


​ ボールを手に取ると、革の感触が、夢の残響のように手に残る。


​(俺は、また、あの重荷を背負おうとしているのか……)


​ 朝を待たず、翔斗は静かに体を起こした。まだコートに立つことを決意したばかりだが、過去の亡霊は、彼の再生を静かに見つめていた。


​ 体育館の喧騒、ボールの感触、そして、仲間たちの笑顔。それらは、翔斗の長い間止まっていた時間を、少しだけ動かしたような気がした。特に、スパイクを打った瞬間の、あの痺れるような感覚が、忘れられない。


​ ふと、机の上に置かれた古い写真立てに目が留まった。色褪せた写真の中には、幼い翔斗と、少し若い祖父が、笑顔でバレーボールを手にしている姿が写っている。翔斗がバレーボールを始めた頃の、《大切な記憶》》だ。だが、今の翔斗には、その時の感情を思い出せない。ただ、写真の中の自分の笑顔が、今の自分には眩しすぎた。


​ 翌朝、翔斗は、いつもよりもすっきりと目覚めた。理由は分からないが、今日は、少しだけ気分が軽かった。心の重りが、ほんの少しだけ軽くなったような気がする。


​ 学校に着くと、海輝がいつにも増して明るい笑顔で駆け寄ってきた。「翔斗!おはよう!今日も、バレー部の練習に行くんだろ?」 翔斗は、特に肯定も否定もせず、曖昧に頷いた。だが、その足は、自然と体育館へと向かっていた。


​ 放課後、翔斗は、いつの間にか、当たり前のように体育館に足を運んでいた。海輝や山田たちと一緒に、ボールを追いかける。最初はぎこちなかった動きも、少しずつスムーズになってきた。


​ レシーブの練習では、海輝が熱心にアドバイスをしてくれる。


「もっと、体の軸を意識して!昔のお前は、もっと反応が速かったぞ!」


スパイクの練習では、山田が豪快なスパイクを見せてくれる。


「どうだ、翔斗!お前も、こんなすごいスパイクを打ってみろ!」


翔斗は、彼らの言葉に耳を傾けながら、黙々とボールを打ち続けた。そのうちに、忘れていたはずの感覚が、少しずつ蘇ってくるのを感じた。


ボールが手に吸い付くような感覚、空中で体を支える感覚、そして、ボールを叩きつけた時の、あの爽快感。失われたと思っていた感覚が、確かにそこにあった。


​ 練習が終わった後、佐藤監督が、翔斗に声をかけた。


「翔斗くん、君は、本当にすごい才能を持っている。もしよかったら、うちのチームで、本格的にバレーをやってみないか?」


監督の真剣な眼差しに、翔斗は、初めて迷うことなく、自分の気持ちを言葉にした。


「……まだ、よく分かりません。でも……もう少しだけなら、やってみようと思います。」


それは、翔斗にとって、大きな一歩だった。長い間、閉じ込めていた自分の殻を、ほんの少しだけ破ることができた言葉だった。心の奥底で、何かが確かに動き始めた。


​ 翔斗がそう決意した数日後。


鶫高校バレーボール部に、一通の挑戦状が届いた。


​「練習試合……? 金鋼鉄きんこうてつ高校から?」


海輝が封筒を手に、驚きの声を上げる。金鋼鉄高校は、全国でも屈指の守備力を誇る強豪校だった。


​「受けるしかないだろ」


翔斗の目は、既にかつての情熱を取り戻しかけていた。しかし、今のチーム戦力では、強豪校に太刀打ちできないことは明らかだった。


​「……メンバーが、足りない。特に、守備と高さが」


翔斗は、監督に「心当たりがある」と告げ、体育館を飛び出した。


​ 翔斗が連れてきたのは、二人の才能だった。

​ 一人は、ミドルブロッカーの南城誠なんじょう まこと。長身と冷静な分析眼を持つ、チームの精神的支柱となる男。


​ もう一人は、リベロ補佐の白羽幅田しらははばた。驚異的な反応速度と判断力を持つ、守備のかなめとなる男だった。


​「これで、戦える」 新たな仲間を迎えた鶫高校は、金鋼鉄高校との練習試合に臨んだ。


​ 試合当日。金鋼鉄高校の体育館は、張り詰めた空気に満ちていた。


​「……あれが、神聖玲央しんせいれおか」


翔斗が相手コートで静かに佇む男を睨む。金鋼鉄のリーダーである神聖玲央は、冷徹な目で翔斗たちを分析しているようだった。

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