「病む」という現代語よりも遡り残酷さに苦しむ物語の一人の読者の愛と感受

普段、「おすすめレビュー」というものは勝手に書いて良いものか迷うのですが。
著者が「苦しんでいる」領域にまで到達しているように感じますので、失礼します。

昔からたとえば中学2年生、14歳くらいでしょうか。

ダークファンタジーや、「東京喰種」などのグロテスクな物語の中に憧憬、焦燥、愛着、陶酔、文字で表すとなんの感想や、感情の羅列?
と感じるかもしれませんが。

好きなキャラクター。

が、関わると……。

とりわけ10代の多感で。
3次元よりは2次元にときめきが多く割かれる時期に「愛した」モノによっては、体調にさえ影響を与えられ「狂って(反転)」してしまうことがあると思います。

私の世代ですと「D.Gray-man」や「鋼の錬金術師」が、「残酷さ」の中に世界観が歩み寄り、また内包し、より乙女たちのキャラクターへの「恋心」、「執着」、「愛」を心の中で掻き乱されて「気持ち的に鬱」みたいな現代表現の状態に陥ることがありました。もちろん作品は同じでも違えど男子も性別の垣根を越え、全ての人間が物語の登場人物に深く感情移入することはあるでしょう。


今週のジャンプの「Dグレつらい」とか。
「次のコミックスで好きなキャラがタイヘン」。

まだ「オタク」が「ヲタク」。
「好きなキャラ」や「2.5次元俳優」等が。

「推し」!!

という、「概念」として認知も周知も可決もされない頃。

推しのキャラが死ぬ、それも作中・作者の物語上の表現の仕方として、たとえそのキャラにその運命が科されることがどんなに「酷」であろうとも、読者がどう感じ取るとしても。

時に主人公は育ての父をAKUMAにしてしまったり。キメラにされる子と命。普通の大学生が人肉を喰わねば生きられぬ「物語」が世界にはあります。

物語を。
キャラクターを。
愛した著者は感受性が広く深く素晴らしい。
それでいて尖るように一点に向かっている。
おそらく今、すごく「辛い」。
「悲しい」がわからないくらい物語を、推しの死を受け入れている、感じている。
今後の展開が「つらい」。

でも、感受性の強い人や時期にとっては今時で言う、まだ新しい概念たる

「推しへの愛」

は狂気となって身体を蝕むことがある。

厨二病だとか、まだ映画の公開は先だから時間がある、とかは著者の気持ちを真には救えない。

グッズやキャラを少し遠ざけたのはカクヨムの人々の素晴らしい助言だと感じます。

心の中であなたの推しは生きて戦って、亡くなります。

「戦死」とは、それほど重い事実です。
命が尽きるまで、残酷さに涙が流れて体調を崩すまで愛する推しの最期を、万全の心と体で受け止められるまで。見届けたいと望むなら。

どうか今は「健康」、「元気(元の気質や気概)」に快復するまで。祈ってはどうでしょう。

著者の物語への想いの深さ、情の深さ、救いの物語を自分の中で落ち着けられるまで、どうかご自愛くださいますよう祈ります。

著者の推しキャラの登場する作品の作者様も、誰かを病にしたくて書いたのでは無いと思います。

世の中、筆が乗る。腕が鳴る。鼻がきく。

そんな世の中を生きている誰かを見ながらあらゆる作品の作者たちは登場人物を肉付けして、世に送り出してくれます。

このエッセイの著者は「全力」なのです。
全力を全力のままでいてもいいのですが、登場人物達も、情けは人の為ならず。
おはぎや刀や育手や柱の力で生きています。
著者に幸運がありますように。

これからを生きる世代がかつての自分のようで、皆さんカクヨムで見守ってくださっている。

どうか、今はこれからの「自分の人生」も推せる未来のために、推しへの愛と自分を大切にしましょう。

大切は、大きく切ない、コトなのです。