過去の私と現在録
幼少期から私は、同い年のほかの人よりも発達が遅れていたのでしょうか、常に「一人でいること」を好んでいました。
恐らく皆さんは幼少期、ドッヂボールや天下、隠れんぼや鬼ごっこなどの遊びを楽しんだのではないでしょうか。そういう遊戯を「団体遊び」や「集団遊び」と括るなら、私がしていたのは「一人遊び」や「個人遊び」でしょう。
その「個人遊び」が、今の「執筆・創作」に結び付いているなら、それは確かに個人遊びの功でしょう。ですが、もしも「皆無な協調性」に結び付いているなら、確実にそれは弊害です。
ほとんどの人間は「甘えないで下さい」や「頑張るほかないです」と言います。それは当人たちには「心を鬼にして激励している」つもりかもしれませんが、私たちからすれば、ただの「冷たい言葉」です。
しかし私は、様々な場面で、この言葉を一心に受けてきました。精神障害を持っているのかはわかりませんが、人より劣っているのは確かです。
幼い頃から、人と関わることに意味を見出せなかった私は、人間関係のいざこざに随分と弱くなっていました。
大衆の中で、私は意見を、一応言える立場です。
ですが、果たしてこんな私の考え方が、健常者だらけの大衆の中で受け入れられ、意味を持てるでしょうか?
答えはノー。あくまでも私の経験上ですが、誰もが「年相応な考え方でない」や「風潮に合っていない」という理由で、ぴしゃりと否定するでしょう。そしてお蔵入り。
そうです。年相応な考え方だとか、風潮に合わせるだとか、そういうことが私には無理なのです。今、どうにかなりそうな自分の思いに向き合うことさえ、この上なく苦しく辛いんですよ? それなのになぜ世間は、大衆は、年相応だの、風潮だの、私たちに無理な要求を押し付けるのでしょう。
それは、血の滲むような努力を、こちらだってしているのに、それを見くびっているようなものです。
健常者には当たり前のことでも、障害者や鬱病患者にとっては、夢のまた夢という難題だった、なんてこともザラなんです、この世は。
大衆の中で、自分の意見も気持ちも押し殺して、息の詰まるような人間関係の中で、突き刺さる周りの視線を受けながら生きる辛さ。
そんな人生を、あなたは望みますか?
どうせなら、自分の意見を言って
気持ちもスッキリしますし、自分を認めてくれ、自分も認められる相手といるのは幸せですし、みんなと笑いあえるんですよ?
私だって、そんな日々を望んでいます。
ありふれた生活で構わないんです。みんなと笑顔で過ごして、趣味を全力で楽しんで、文武両道の明るい日々が欲しかっただけでした。
皆さんから沢山のコメントを頂きましたが、それを読んだとき、私がこうなった理由が「推し」だけでないことに気づいたんです。
それは、言わずもがなの「人間関係」でした。
この現代というものは、人に生まれた全員が、親からの愛を受け、教育を受け、育てられ、社会という恐怖の場所に野放しにされる世界です。
野放しされる前でも、一部、移動などが解放されます。学校や娯楽などです。その世界は「社会」で生きるために作られた、言わば「疑似社会」ですね。
その疑似社会でも、進んだ考え方を持ち、皆を聞き入らせられる意見を言える人が「勝ち組」や「一軍」になり、強固な者になります。
一方、諸事情で考え方が一歩遅れ、意見さえもが皆からの反対を一心に受ける人は「負け組」や「孤軍」となり、一軍からはある意味見下されるでしょう。
一概にそうとは言い切れませんが。
でも結局、そういう「格の違い」が、人間関係をひずませ、徐々に傾けていきます。それがいわゆる「いじめ」に繋がっていきます。
この判別は難しいです。だって私たちは、人間です。人間とは「言葉」を持つ特殊な生き物です。言葉とは「嘘」も「真実」も作り出せるものです。まるで、ナイフが、食べ物をカットする料理器具にも、人の体を刺したり斬ったりする凶器にもなるように。そして、人間は「嘘」を簡単には見抜けません。
つまり、人の心は見透せられないんです。
だから、いじめは潜在化しやすいんです。心の底では「苦しい」という思いがあっても、作り笑いを浮かべているかもしれない。そのうちに窮地に追い込まれた被害者は、さあ、どうするでしょう?
現実では、希死念慮をしたことのある若者の割合は、100%のうち、約44%……半数近い。
つまり「死にたい願望」がある、またはあったという人が、この世の半分もいるのです。
私だってしたことありますよ。カッターで手の甲を軽く切ってリスカしたこともあります。その時は「図工の授業でカッターを使っていた時に、誤って手の甲を切ってしまった」という「事故」で片付けられましたが。
まあ、自傷行為と自殺行為は別物なのでね、リスカすらマシかもしれないんですね。希死念慮経験者の中には、本当に死を選択した人だっていたことでしょう。
一度私は、死を選択したことがありました。夜中に、車通りの目まぐるしい大通りに飛び出て、轢かれようとしました。が、車は急停止。通りすがりの人たちに助けられて、無事家へと帰されました。
しかし気は済まず、翌年また脱走。横浜で一夜を過ごそうと試みますが、また帰されました。
希死念慮すら厭わない。その苦しさを、今になって噛み締めています。
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