結局めっちゃ更新してる
補足で投稿します。気が済むまで書いたため、文字数が死ぬほど多いです。
なんか気がついたら、四日で500PVという異常事態が巻き起こっていました。勘の鋭い方なら、私がここまで病んでしまったキッカケはわかるでしょう。
なんだかんだで私はこれを書くのを辞められません。更新頻度は異常に高いし、PV数は異常に多いし、倦怠感は相変わらずひどいし、です。
鬱なのかもなんです、私は。
そして、時間も経っていないので、きっと思春期によくあると大人に説かれる、憂鬱さや落ち込み、試験の疲労の可能性もあります。
病んでいるわけではない? ……少し、考えてください。病んでいるって、他人が決めることなんでしょうか?
自分が「病んでいる」って思えば「病んでいる」んじゃないんですか?
もし他人が決めるものなら、病んでいないと言われたら、本当は病んでいるのかもしれないのに、病んでいないから溜め込んでしまって、最終的に命を絶たねばいられないほどになることも、あるんじゃないんですか。現実では、そういう他人の決めつけが、尊い命をひとつ、消すことだって、あったと思います。
私のような分際が、こんなことを言う権利はないでしょう。こんなことになってたかが数日です。
そして、私は十三歳です。人生経験なんて、あっても十年前後です。またずっと道徳心というか倫理観に支障があり、今でも放課後等デイサービスに通い詰め、逃げているんです。
でも、最初から逃げているわけじゃないって、自分に言い聞かせてます。
一応それを括弧に入れているんです。私が括弧に入れたもの、それが「推し」なだけです。
推しを封じるという決断は、私にとっては苦渋のものでした。
ここで皆さんに知ってほしいことです。
皆さんに、推しはいますか? それは、好きなアイドルでもいいですし、アニメや漫画、小説のキャラクターでもいいです。歌い手だったり、俳優だったり、あるいは我が家のペットも推しになるでしょう。マニアには、歴史上の人物だったり、鉄道だったり。とにかく自分が「とにかく好き!」と思えるもの、それが「推し」だと思います。
例えば社会人の方なら、仕事で忙しくて、ビジーで、クタクタに疲れた──というとき、推しを見たら、あるいは推しの声を聞いたら、疲れが癒やされた、なんてことはありませんか?
それが学生なら、試験勉強や部活の追い込みに疲れて、もう何もしたくないとき、推しによって、やる気が出た、なんてことはありませんか?
普通、推しというのは「自分がこよなく好きなもの」ですから、疲れが癒やされてやる気が出るというのは、人間の心理で当たり前のことです。推しのせいで疲れた……なんて、その人推しじゃないと思います。
ですが、推しは時には「呪具」に化すことを、念頭において下さい。
三次元や二・五次元の推しは、余命宣告されない限り、いつ死ぬのかわかりません。また、現実に生きている人ですから、仮に死去したら、その「死」が及ぼす影響は多大なものです。
しかし、私のように、推しが「二次元」だったら。
しかも、原作漫画はすでに完結していて、すでにそのキャラクターが死ぬことは確定していて、あとはその「死」を待つのみだったら。
私はどんなに「生還」を願おうと、待っているのは「死別」なんです。
私の応援が、無駄な祈りにもなる。愚かなことに、私はそれさえ知らず、いつかは(惨たらしい一撃で)命を落とす彼を好きになってしまったんです。
人は、例えどんなことがあろうと、好きだったものを簡単には捨てられません。古くても、壊れていても、使わなくとも。
今は使っていなくても、それには「愛着」があり、自分にとって、切っても切り離せない大切なものが、誰にだってあります。
私にとって、それは「推し」だったんです。
だから、私は「推し」を、簡単に捨てることはできません。受験期の全盛期、例え毎日が灰色で大変で苦しくても「推し」活だけは欠かしませんでした。
しかも現実に生きる人のように、報道で追悼の言葉を読んでくれるわけではありません。そしてすでに全てを知る読者は、時間が経つたび「このキャラは死ぬ」と平然と言えるようになります。
そうですよ。私だって、ある時期まではそういう人間でした。
きちんと「推し」と別れを告げ、みんなでお別れ、追悼の言葉を述べて、笑顔で送りたいです。別れるときぐらい笑いたいです。
でも、二次元では、それが叶わないんです。
もちろん、叶えようと思えれば叶えられます。ただ、その自分の、故人を悼む言葉が、誰に届くわけでもなく、消えていきます。
「推し」って、難しいものです。
その「推し」への想いが強くなり、深くなり、大きくなると、心の内訳は「推し」が増えます。それは「失う」ことと紙一重。失うことによって、その大部分は、なくなってしまうんです。
これが「喪失感」なのでしょう。
いつかこの「涙」が「笑顔」に変わるときまで、私は、自愛していようと思います。
もしも「こういいたい」というものがあったら、応援コメントでもレビューコメントでもいいので、教えてください。
私は勝手に書かれたところで気にしません、むしろ書いて欲しいくらいです。
誤解してほしくないこと、それは、
「私が、『推し』を嫌いになったわけではない」
ということです。
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