70 かけら

「奏多……! 奏多……、起きて! 奏多!」


 そばから俺を呼ぶひなの声が聞こえてきた。

 そして目を開けた時、なぜか俺の前にひながいる。どっちが夢なのかよく分からないほど、生々しい夢だった。どうしてあんな悲しい表情で俺を見ているんだろう、どうしてあんな切ない声で俺を呼んでいるんだろう。頬を伝う涙が手の甲に落ちた。


 そうだ……、今日はうちで一緒に夕飯を食べてたよな。

 久しぶりに……、ひながうちで夕飯を作ってくれるって言ったからさ。


「奏多……」

「ひな……、どうした?」

「どうしたって、それはこっちのセリフだよ? どうしたの? さっきからずっと泣いてて」

「えっ? お、俺……泣いていたのか? 知らなかった……」


 一瞬、目の前にいるひなが本物のひななのかとバカみたいなことを考えていた。

 そんなわけないのにな。

 でも———。


「あのさ、ひな……」

「うん?」

「ちょっとだけ、ひなを抱きしめてみてもいいのか?」

「うん……、いいよ」


 深夜の1時、目が覚めた俺はすぐひなの体を抱きしめた。

 ここは現実って知っているけど、なぜかそうしたかった。

 悪い夢を見たからさ。


「どうしたの? 奏多……。悪い夢でも見た?」

「…………」

「奏多?」

「ひなは……、温かいね」

「奏多もそうだよ? 幼い頃にいつも私のことを抱きしめてくれたからね」

「ひな……、俺さ…………。ひなに話したいことがある。うちに来た時からずっと言いたかったけど、言えなかったことを———」

「うん……」


 それを聞くチャンスは今までたくさんあったはずだ。

 なのに、俺は怖いから……。あの時のことを思い出すのが嫌だったから……、ずっと気になっていたくせにそれを聞かなかった。嫌われた理由、振られた理由、何一つちゃんと聞いてないのに、怖くて今のままで十分だとそう思っていた。


 余計なことを話して、また嫌われることより……今のままがいいからさ。

 怖かった。ずっと……。


 何度もうみに「そのくだらない感情は殺して」って言われて……。

 俺もひなのこと忘れようとしたよ。でも、何度もうみに叱られても……俺は忘れられなかった。忘れたいのに、忘れられない。「なぜ?」って自分に言い返しても、よく分からない。


 ちゃんと俺の中でひなの存在を消したはずなのにな。


「…………」


 そして俺は思い出してしまったんだ。

 なぜ、ひなのことを忘れたいのに忘れられないのかを———。

 それはうみの顔がひなと似ていたからだ。そしてひなのことを諦めるために、自ら都会に来ておいて、うみと付き合ってしまった。知っていた……。うみがずっと俺のことを否定していたことを、そしてひなのことを嫌がっていたことも。でも、もう過ぎた事。ひなとの関係は完全に終わったから、気にしてもしょうがない。


 俺はずっと自分を騙してきた。

 そしてうみにひどいことを言われても、自分の存在を否定されても、俺には選択肢がなかった。うみのことをずっとひなだと自分にそう言い返していたから……。忘れられないんだよ。だって、俺に笑ってくれる時の笑顔が……ひなとそっくりだったからさ———。


 だから、うみから離れるのができなかったんだ。

 でも、もういらない。あんなの。あの時のことでつらくなるのはもう嫌だ……。


「奏多……?」

「ごめん……。あの時、ひなに告白してごめん……。あんなところに呼び出して、いきなり余計なことを言って、ごめん……」

「えっ?」

「…………」


 実は……、謝りたかった。

 俺の気持ちが相手を傷つけるかもしれないってことを……、あの時の俺はよく知らなかったから。

 俺のことばかり考えていたから———。


「ど、どういうこと?」

「えっ?」

「告白って……、何の話?」

「えっ? 俺……、ひなに振られたよ? 覚えてないのか?」

「覚えてないって言うより、そんなことなかったよ? 告白だなんて。私にはずっと奏多しかいなかったからそんなこと忘れるわけないでしょ? 私に告白したの? いつ? 私、覚えていない! そして……奏多のことを断ったことないよ! 何の話なの? それ!」

「何の話って…………。何の話だよ! ひなが……、〇〇橋でそう言っただろ?」

「そんなとこ行ったことないよ! 名前しか知らない橋だから……」


 じゃあ、誰だ? あいつは……誰だよ。


「じゃあ、中学1年生の時の冬休み……。冬休みが始まったばかりの頃!」

「うん……」

「ひなは一体どこにいたんだ?」

「私……、急に具合が悪くなって、ずっと部屋に引きこもってたよ?」

「ちゃんと……! ラ〇ン送ったよ? 俺……」

「ラ〇ンなんか! 来てないよ……。あの日から何も来なかったよ! 何も!」

「なら、ひなの服を着て…………。〇〇橋に来たのは…………誰だ? それはひなの服だったぞ?」

「もしかすると、うみ……」

「…………」


 何のために……? 一体、何のためにあんなことをしたんだ……?

 全然気づいていなかった。


「俺は一体……、今まで何を…………」

「私ね。あの時……、やっと体調が良くなって、久しぶりに奏多と登校しようとしたら……。先に行っちゃったって、そう言われたの。うみに。そして……たまにはそんなこともあると思って、学校に行ったら……奏多が私と距離を置いていたよ」


 そう、あの時の俺はひなに振られたから……。

 そして迷惑って言われたから……。うみに。


「…………」

「私、すごく寂しかった。また……、一人になるのは嫌だったから。あの日、うみに声をかけてみたけど、奏多が……うみと付き合ってるって……。だから、私は諦めるしかなかったよ」

「違う! 中学時代の俺はうみと付き合っていなかった。うみと付き合ったのは都会に来てから……! 待って。どうして、そんな嘘を……? うみ……」

「うん……。私も最初は二人の関係を疑っていたけど、それから奏多がだんだん遠いところに行っちゃってね。そして私が奏多について調べれば調べるほど……、校内に変な噂が広がるだけだったから……。結局、諦めるしかなかったよ」

「…………」

「だから、この場ではっきりと言いたい。好きだよ、奏多……。幼い頃からずっと好きだったよ……。大好きだった……。奏多、好きだよ、好きだよ……。好きだよ、好きだよ……。もう私を離さないで、私を一人にしないで、怖かったよ……。怖かったよ……。ずっと怖かったよ……!」

「俺もだよ……。一度もひなのこと忘れたことない……。ごめん…………」


 俺たちは一体何を……やってきたんだろう。


「ねえ、キスして……。私のことが好きなら、この場でキスしてよ! もう高3だから、もう子供じゃないから……私たち———」

「…………」


 答える暇なんかなかった。

 そのままひなにキスをする。


「…………」

「はあ……、奏多……。好きぃ……」


 涙を流しながらキスをする二人。

 そしてキスが終わった後、すぐひなに頭突きされた……。


「このバカ!!!」

「ごめん……」

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