61 プラス

 俺は一人っ子だったけど、幼い頃からお父さんやお母さんが家に早く帰ってこなくてもあまり気にしていなかった。

 多分、すぐ隣にひなとうみがいたからだと思う。


 いつもひなの家で遊んでたし、たまにはうちでご飯を食べたりするから、寂しいという感情は感じたことがない。正確に言うと……「知らない」の方が正しいかもしれないな。それほど、あの二人と過ごした時間が長かった。いつも隣にいたからさ。


 そして一体どこから間違ったのか分からない。

 うみがどうして俺にそんなことを言ったのか、どうして俺のせいって言ったのか。

 どれだけ考えても俺には分からないことだった。


 ……


 いつもと同じ日常、ひなの家で学校に行く準備をする。

 あの時のうみは俺たちより30分早く家を出ていた。

 急ぐ必要はないと思うけど……、いつもあんな風に先に行ってしまうから。仕方がなく、ひなと二人っきりで登校する日が増えてしまった。多分、小学3年生の頃から3人で学校に行ったことないような気がする。


 そしてある日、ひなのお母さんがこっそり俺を呼んだ。


「ちょっといいかな? 奏多くん」

「はい!」

「ひなちゃんは?」

「ひなは部屋で宿題をしています」

「よかったね」

「はい?」


 小学3年生だった俺は、なぜ俺をこっそり呼んだのか分からなかった。

 そのまま俺を外に連れてきた三木さんは、財布の中から千円を取り出す。それを俺に渡してくれた。


「えっ?」

「これ、もらってくれない?」

「ど、どうしてですか? お、お金!?」

「いつもひなちゃんのそばにいてくれたからね。私にできないことを奏多くんがやってくれたから、そのお礼だよ」

「い、いいえ! そ、それはよくないです! ちゃ、ちゃんと……! ちゃんと貯金しています! だから、問題ありません! ひなと美味しいお菓子を食べるために、我慢して5千円貯金しました! だから、大丈夫……です!」

「そうなんだ……。ごめんね。こんなことしかできない私を許してくれる? 私は頑張ってくれた人に、こんな風にお金を渡すことしかできない立場だから」


 本当に何を言っているのか分からなかった。

 ひなのお母さんはすごい美人で、すごく偉い人ってことは分かるけど、具体的にどんな人だったのかは分からなかったからさ。その前に立つとすぐ緊張してしまう。プレッシャーが半端ない。


「は、はい……? よ、よく分かりません」

「ねえ、奏多くん」

「はい……?」

「ひなちゃんと遊ぶの……好き?」

「はい! いつもひなと遊んでます! でも……、うみも一緒にいたらいいなと思いますけど、いつもクラスメイトたちと遊んでいて……」

「そうなんだ。私、奏多くんに頼みたいことがあるけど、聞いてくれる? 難しくないけど、奏多くんにしかできないことだから……」

「はい! なんですか?」

「ひなちゃんのそばにいてくれない?」

「それはいつもやってることですけど……?」


 それを聞いた三木さんは笑みを浮かべていた。

 そして俺の頭を撫でる。

 当時の俺は何が起こったのか全然分からなかったから、じっと三木さんの顔を見つめていた。


「ありがとう。でも、私が言いたいのはそばにいてあげるだけじゃない」

「はい……?」

「ひなちゃんはね。奏多くんのことを信頼しているから。うみちゃんよりも、そして私よりも…………」

「そ、そうですか?」

「だから、ひなちゃんが一人にならないように……。奏多くんがずっとひなちゃんのそばにいてくれない? それだけ……」

「はい! そうします! ひなのこと、好きですから」

「ふふっ。ありがとう、奏多くん。そして久美子にも感謝しないと……」

「お母さんに?」

「カッコよくて、頼もしい息子を育てたからね」

「カッコいい! 頼もしい!」


 その言葉がすごく嬉しかった。

 家族以外の大人に認められたような気がして、テンションが上がる。だから、何があっても三木さんとの約束を守ろうとしていた。その約束はそんなに難しくない。俺にもできることだから、ずっとひなのそばにいてあげること。


 それだけだったからさ———。


「奏多くんにもう一枚!」

「えっ!?」

「これ、ひなちゃんのために使ってくれる?」

「ひなのため……! 分かりました」

「ひなちゃんはね。お小遣い……全然使わないし、足りないなら足りないって話してもいいのに。何も言ってくれないから、もし! ひなちゃんがお金の問題で困っているなら、その時に使ってくれる?」

「はい! そうします!」

「うん!」


 俺は別にうみのことを差別したいわけじゃない。

 でも、うみはみんなと仲良く過ごしてるし、俺がいなくてもいつも楽しく遊んでいたからさ。そんなうみと違って、体が弱いひなはしょっちゅう病院に行ってたし。そのせいで友達を作れなかったから、だから……その寂しさを俺が埋めてあげることにしたんだ。


 そして……、ひなと一緒にいるの嫌いじゃなかったから。楽しいし。


 でも、たまには幼馴染じゃなくて……、ひなのお兄ちゃんになった気がする。

 さっきも……俺がひなの服を着せてあげたからさ。

 小学生が小学生の服を着せてあげる不思議な状況。


「奏多くん、いつもありがとう。本当に……ありがとう。私はこれから仕事があるからね」

「はい! きょ、今日も頑張ってください! 北川さん!」

「奏多くんも宿題頑張って」

「はい!」

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