22 ひなの家③

「それ、言わなくても分かると思うけど……。奏多は頭がいいからね」

「…………」


 確かに……、苗字が変わったのはどう考えてもあれしかないからさ…………。

 俺がいない間、ひなにもいろんなことがあったみたいだ。

 でも、幼い頃に見たひなのお父さんとお母さんは仲がよかったのに、一体何があったんだろう。そして、そばでじっと俺を見つめているひなと目が合った。もの寂しげな表情で俺を見ている。この状況で、俺は何をやってあげればいいんだろう。


 さりげなくひなの頭を撫でてあげた。


「私ね……」

「うん」

「欲張りじゃないから、お金とか、人気とか、そんなの全部いらないけどね。たった一つ……、幸せが欲しい。そして、奏多と一緒に過ごすこの時間だけが私の唯一の幸せだよ」

「そう……? よかったね」

「うん。私……今幸せだよ」


 そう言いながら、俺に笑ってくれた。

 その笑顔がとても可愛くて、ひなから目を離せない。でもさ、すぐ目の前にいるのに、どうして俺はこの距離を縮めないんだろう。手を伸ばせばすぐ届く距離にひながいるのに、遠い。とても遠い———。


 やっぱり、俺はダメか。


 今更、幸せとか……。そんなことを話す理由はなんだ……?

 ここですぐあの時のことを聞きたかったけど、あいにく俺は……昔ひなに絶対やってはいけないことを犯してしまって、口に出すのができなかった……。あの箱に入っていた物の意味を、思い出してしまったからさ。


 俺は……、うみと同じクズだった……。

 何があっても俺の味方になってくれたひなと周りに流されるだけの俺……。今更、そんなことを思い出しても無駄って知っている。嫌われて当然だと思っている……。なのに、ひなは何もなかったように俺と過ごす今が幸せって話してくれた。


 それは……俺も同じだ。

 だから、今はこのままでいいと思う……。多分…………。


「ひな……、手が冷えてる」

「あっ、そ、そう? 暖房つけるのうっかりしちゃったね。えへへっ……」


 そう言いながら、さりげなく俺に抱きつくひな。なぜ……?


「ええ、寒いなら布団の中に入って。ひな」

「こっちも温かいからね。ふふっ」

「ひなは…………、相変わらず……俺にくっつくね」

「…………もう癖になっちゃったからね。幾つになっても変わらないと思う、懐かしいよね? 奏多」

「うん、そうだね」

「もっと喜んでよ……! 私、私のこと可愛いと思うから……! 可愛い女の子に抱きしめられるのは幸運でしょ?」

「うん、ひなは幼稚園に通っていた頃からずっと可愛かっ———痛っ! えっ!」


 まだ話が終わってないのに、抱きしめたまま頭突きをするひなだった。

 なんか、悪いことでも言ったのかな? 分からない。

 そして、両腕に力を入れるひなにだんだん息ができなくなる。やっぱり……、俺悪いことを言ったかもしれないな。勘弁してぇ———。


「…………」


 奏多をぎゅっと抱きしめたままこっそり頬を染めるひなだった。


「そろそろ、寝よう。ひな」

「う、うん……。ねえ、奏多。お、お姫様抱っこして……!」

「えっ? 嫌だよ……」

「昔はよくやってくれたじゃん……。姫様って言ってたくせに…………」

「い、いつの話だよぉ……」


 そして、俺から目を逸らすひながぶつぶつ呟いていた。

 小学生の頃に少女漫画を見て、しょっちゅう俺に変なことを頼んでたよな。

 あの時は恥ずかしいとかよく知らなかったから、さりげなくお姫様抱っこをやってあげたけど、今は高校生だぞ。俺たち———。


 それに……、そんな無防備な格好をして、そんなことを言うのかよ! ひな。


「本当に……、やってくれないの? ひん……」

「…………」


 拗ねた声で話しているけど……、なんか期待しているような気がして無視できない俺だった。

 仕方ないか。


「分かった、分かった! 今日だけだぞ?」

「うん!」


 両腕を広げるひなが俺をぎゅっと抱きしめて、そのままひなの体を持ち上げた。

 軽いとは思っていたけど……、想像したことより軽くて持ち上げた俺の方がびっくりした。本当に……、お姫様だな。じっと目を瞑っているひなを見つめながら、ほんの少し……幼い頃の思い出に浸る俺だった。


 相変わらず、ひなは俺の姫だった。可愛い。


「これでいいよね? 下ろすから」

「う、うん! 奏多、力持ちだね……」

「ひなが軽かっただけだよ、布団かけてあげるから早く寝ろ。ひな」

「うん? 奏多は?」

「俺は……、後で寝る。眠れないから」

「じゃあ、ここにいて。そばにいて」

「ひなは……、一人で寝れないのか……?」

「一人で寝るの怖いから…………」

「あっ」


 確かに、ひなは幼い頃からあまり一人になったことがないからさ。

 お父さんとお母さんが仕事で忙しくなっても、うみが家にいたし……。

 てか、俺たち高校生だよ? ひな。


「…………」

「…………っ」


 じっと俺を見ているその視線……、断りづらい。


「はいはいはいはい! 分かったよ、そばにいてあげるからそんな顔しないで」

「うん……!」


 仕方がなく、ひなが眠るまでそのそばでじっとすることにした。

 そして、こっそり俺の手を握るひなにビクッとする。


「奏多……」

「うん、ひな。どうした?」

「約束してほしいことがある……」

「約束? いきなり?」

「うん……。ダメかな?」

「いいよ、どういう約束?」

「私のこと……、絶対幸せにしてくれるって約束して。そして……、小学生の頃みたいにそばにいてくれるって約束して。奏多」

「なんだよ……。それ」

「奏多は私との約束を一度破ったことあるから……、今度は何があっても私との約束を守るんだよ? そして、これは私の命令だから拒否権などなーい」

「…………」


 怒った顔も可愛いね。そして、俺が破った約束なら……多分…………。

 いや、今更……そんなことを思い出しても無駄だ。ひながそうしたいなら、そうするだけさ。そのまま指切りをする二人。微笑むひなの顔は幼い頃……、俺と指切りをする時の顔を一緒だった。


 幾つになっても、ひなは……ひなだった。

 そして、また……俺に抱きつく。


「ねえ」

「うん?」

「念の為、言っておくけど……。私は甘えん坊じゃないからね、ただ……寒いだけだから」

「ええ……」

「そして、何があっても私のことを信じて、私も奏多のことを信じるから。私はずっと奏多の味方だよ」

「うん……」


 それは……、俺も一緒だ。

 その一言に……、ずっと俺を束縛していた何かが消えたような気がする。

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