第3話 終わり 刃物と爆弾

 トイレでスッキリして出てきたら、目の前には強盗がいる。

 この現実を、おれはどう受け止めたらいいのだろうか。


「いいか! お前はそこを動くなよ。動いたら、このねぇちゃんがどうなっても知らんぞ」


 このねぇちゃん。強盗の目の前で、おそらくはお金の用意をしている夜子さんのことであろう。

 言われなくてもだ。そもそも、店員だってこういうときは大人しくお金を渡すように教育されているはず。それを自分が動いて、お金で済む被害を命に関わる被害へと大きくするわけにはいかない。


「おい! ねぇちゃんよ。早くしろよ。どうなってんだよ」


 おれの存在に目を向けていた強盗が、夜子さんの方に視線を移す。当然のことだが、おれへの警戒も怠ってはいない。ちらちらとこちらを見てもいる。


「レ、レジは今、自動釣銭機なので、お金を出すのに時間がかかるんです」


「くそ。一気にガバッと取り出したりできねぇのかよ」


 店員が金銭を手動で数えてレジに収めるタイプであれば、それも可能だったかもしれないが、今の時代にそのタイプのレジは少数であろう。コンビニであれば尚更のこと。


「そもそも、時間がかかるも何も、お前、さっきから何かしてる感じがねぇじゃねぇか。あ? 時間稼いでんのか?」


「き、機械がすぐに反応しないだけです」


 夜子さんはあたふたしているように見える。これは、もしかすると——。

 何にしても、夜子さんに何てことをしているんだ、こいつは。

 そういえば、他に店員はいないのか? この時代にまさかのワンオペか? しかも女性が。だから狙われるんだよ。

 他の店員がいないのなら、強盗を除けば、おれと夜子さんの二人だけか。

 だが、おれもまた無力だ。せめてもの抵抗に冷たい目を浴びせてやるくらいしかできない。


「おい! お前! 何だ、その目は。何か文句があるのか?」


 こちらもちらちら見ていた強盗が、おれのその目に気がついたらしい。さすがに、どっと汗が出る。さっきまでの冷静さは何とやらだ。


「おい! 言いたいことがあるなら言ってみろよ!」


 何も言えずに黙っていると、強盗の方からそんなことを言ってきた。どうする? 言ってもいいのか。言うのか。おれを刺しにくるかもしれないぞ。これで死ねる? いや、おれだって死に方と死に場所くらい選びたい。選ばせてくれ。

 それでも、そんな自殺願望が多少は自棄にさせたのか、おれは口に出してしまう。


「あなたがそんな風に脅すから、店員さんは頭が真っ白になって、何をしたらいいか分からなくなっているんじゃないですかね」


 言ってしまった。強盗が襲ってきたらどうする? 決まっている。トイレに戻るのだ。そして鍵をかけて籠城。強盗がこちらに移動して隙ができれば、夜子さんも逃げられる。よし。これでいこう。


 だが、想定していた事態は起こらなかった。


「ねぇちゃん、そうなのか?」


 強盗はおれに向かってくることはなく、再び視線を夜子さんに戻して、そのまま夜子さんに聞いた。

 夜子さんは一瞬、時が止まったかのように硬直したが、すぐに解けたようで首をコクコクと縦に振った。


 強盗が、ふぅと溜め息を吐いた。


「分かった。落ち着いてやってくれ。ただし、急ぎはしてくれ。金さえもらえれば何もしねぇからよ」


 随分と予想外のことが起こった。しかし、これで夜子さんが少しでも落ち着いてくれれば、お金を出して渡し、強盗も帰る。おれも死にに行ける。一時はどうなることかと思ったが、これで、これ——。


 ぐふぉっ!


 ば、馬鹿な。こんな時に、第二波、だと。用を足してから五分も経っていないぞ。確かにスッキリとした気分があって、一回で終わったと思ったのに。こんなにすぐにくるなら、なぜ一緒にこない。連帯感皆無か。

 ま、まずい。いきなり最高潮だ。数分、いや、一分も保つかどうか。先程、強盗に対してかいてしまったのとは別種の冷や汗をかく。化学的には一緒だとかツッコむな。おれの感覚の問題だ。


 ぐぅっ!


 耐えろ、耐えるんだ。


「おい、お前。何をもじもじしてるんだ」


 うるさい。我慢していたら、もじもじもするだろう。早く事を終えて帰れ。


 はあぁっ!


 駄目だ。とても間に合わない。ここは、意を決して提案するしかない。


「す、すみません。ト、トイレに行ってもいいですか?」


 強盗は一瞬呆気に取られたようだが、すぐに元に戻った。


「馬鹿か! 駄目に決まってるだろう! そもそもお前、出てきたばかりじゃないか!」


 それはおれも同感だ。しかし、きたものは仕方ないだろう。


「お前、トイレで何をするつもりだ? 警察に連絡する気だな!」


 違う。排泄だ。出したいだけだ。


「ス、スマホは置いていきます。だから、どうか」


「信用できるか! お前が二台持っていないとなんで分かる! 身体検査もこの状態でやれると思うのか?」


 強盗が持っているのは銃ではなく刃物だ。刃物片手に身体検査をするのはリスクが高いということだろう。夜子さんにさせるにしても、おれと夜子さんが接近してしまうことになるから同様だ。強盗も一対二は避けたいだろうから。


 はおぉぉっ。


 冷静に思考している場合ではない。懇願しろ。最大級の恥を晒す前に。


「た、頼む。行かせてくれ。もう、本当に限界なんだ」


 今のおれの顔は汗をかきつつも青ざめて、苦悶の表情をしていることだろう。いかに強盗といえど、これには「はい」と言うに決まっている。


「うるさい! 黙れ!」


 その時、おれの中で何かが切れた。


「てんめええぇぇ! いいから黙って行かせろおおぁぁ! ここでぶち撒けてもいいのかあぁっ!」


 どれだけ必死の形相で言ってしまったのか。

 さすがの強盗も驚いた顔をした。


「ほ、本当なのか? いや、だとしても」


 イラつかせる野郎だ。


「さっさとしろおおっ! お前だって、排泄物にまみれた室内で強盗なんてしたくないだろうっ!」


「ぐぐ。そのくらい」


 折れない奴だ。


「お前が今後、今日の強盗の事を思い出す度、その出来事も思い出すことになるぞ。排泄物の映像が、臭いが、お前の頭にこびり付いて離れないぞ。それでも、いいのか?」


 冷静にとどめを刺しにいく。さぁ、「はい」と言え。はいはいはいはいはいはい。


「いや、それはないな」


 ないのかよっ!


 くそがっ! おれがそういう頭にこびり付いては急に出てくる嫌なもので、今までどれだけ苦しんできたと思っているんだ。お前とは分かり合えそうもないな。


 がああああっ!


 うう。もう、なんか脳から変な物質が出ている気さえする。緊張の極みのような気分だ。


「あ、あの」


 夜子さんの声。


「行かせてあげて」


 よ、夜子さん。嬉しいが、君が強盗を刺激しては駄目だ。


「行かせられるか! お前は黙って早く作業しろ!」


 ま、まずい。もういい。夜子さん、もう——。


「いいから、黙って行かせてやれって言ってんだよっ!」


 え?


 夜子さんが怖い顔をして叫んだ。


 よ、夜子さん? 豹変? いや、こっちが素か? ううん、一部分だとは思いたい。だがしかし、これにはさすがに強盗も頷くのではないだろうか。おれは期待する。


「何を言ってるんだ、お前まで」


 期待したおれが馬鹿だった。何なんだよ。トイレに行かせたら死ぬ呪いにでもかかっているのか。


「店員さんもああ言ってくれているだろうっ!もう行かせてくれっ!」


「行かせなよ、もう」


「ぐぬぬ」


 なんて声を出しやがる。ぐぬぬなんて、創作物でしか聞いたことがないぞ。


「ば、馬鹿な。お前ら、おれが何を持っているのか分かっているのか? 刃物だぞ。一歩間違えれば死ぬんだぞ。それを」


 御託はもういい。おれはもう限界だ。


「刃物より、うんこの方が怖いって、そんな馬鹿な」


 続けて強盗がそう言うと、夜子さんはレジカウンターのテーブルをバンッと叩いた。


「怖いよ! 決まってんだろ! あんたは金もらったら帰るんだろ。大しておいてない夜のコンビニの端金取って、監視カメラにもバッチリ。あとはいずれ御用。それに比べてうんこはさぁ、店内にぶち撒けられたらさぁ、誰が片付けると思ってんの? その人が知らんぷりして帰りでもしたら、アタシになるわけ。分かる? 爆弾だよ、あんなの。ほんとにさぁ、トイレの中だけでもマナー悪くてとんでもないことになってんのにさぁ、店内? 冗談じゃないよ。これだからコンビニで働いたことがない奴は困るんだよ」


 夜子さんの長い一撃が決まった。

 強盗は刃物をかざしてはいるものの、もう力を失っているように見える。


 そして、その時だった。


 けたたましい音と共に、数台のパトカーがコンビニの駐車場に入ってくる。

 強盗はまだ夜子さんやおれを人質にする選択肢もあったと思うが、観念したかのように、刃物を下げた。

 パトカーから降りてきた警官たちが、外から様子を確認すると、一目散にコンビニに入ってきた。

 強盗は刃物を床に落として手を上げる。抵抗の意志はないことを示しているようだ。

 ……やがて、取り押さえられた。


 終わった。


「大丈夫でしたか?」


 警官の一人に尋ねられる。夜子さんの方も別の警官が話をしていた。いや、今はそんなことはどうでもいい。


「あの」


「はい?」


「トイレに、行かせてください。限界なんです」


 警官は『え? このタイミングで』とでも言わんばかりの顔をしたが、すぐに。


「どうぞ」


 そう言ってくれた。


 おれはようやく安息の時を得た。ただ、決壊寸前だったにも関わらず、大した量は出なかった。これくらいなら、大人しくしていてほしかった……。

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