第2話 少女は歩き出す。
何度目かわからない目覚めで、少女はいつもと様子が違うことに気付く。
2人の人間の男女が息を切らしながらこちらを驚いた様子の眼で見つめている。なぜ驚いているのだろう?
ここは私の家なのだから、家主が家に至って何ら不思議ではないはずだ。勝手に人の家にやってくるなんてなんて失礼な人間だ。
少女は少し気分が悪くなる。
2人の見た目は髪の長さや目元が少し違うだけで同じような顔のつくりをしている。
少女は自分以外の人間ともちろん会ったことない。なので我が家に押しかけてきた不快感と同時に興味深くもあった。もう少し観察してみよう。
同じような顔なことから、同じ部族や人間の群れで一緒に生まれたのだろうと推測する。少女は人間の子供の生まれ方や作り方は当然知らない。今までずっと1人であり誰とも会話したことがない。
コミュニケーションを摂ろうと試みたことはある。相手は魔獣だったが。
少女は最初の目覚めから何度か目を覚まして神殿の周りを歩いてみたり、たまたま通りかかった魔獣とたわむれたりしていた。中には意思疎通が取れる魔獣もいた。
1匹だけだったが色々なことを教えてくれた。自分は人間という種族であること、生物には基本的に雄と雌があり、繁殖することで種の繁栄や維持を行っていること。
なので少女は人間が自分以外にもたくさんいるのだろうということは何となく理解していた。
今回の目覚めで目の前にいる人間を見ても驚きよりも興味や不快感が沸いたのは、少なからず事前情報があったからだ。
今抱いている不快感はまた寝れば解消するだろうと考え、少女は初めて出会った人間と話してみたいという欲求を満たすためにゆっくりと立ち上がった。
立ち上がった際、2人の男女が若干後ずさったことには少女は気づかなかった。
「初めまして!ここには何しに来たの?」
少女は満面の笑顔を向け話しかけた。
笑顔を作ったのは何となくそれが良いと感じたからだ。魔獣もそうだったが第一印象は大事である。
なぜか2人の顔は引きつっているが男の方が返答する。
「こちらこそ初めまして。君はここに住んでいるのかな?そんな話は聞いた事がなかったから驚いてしまった。睡眠を邪魔してしまい申し訳ない。」
そう言って男は頭を下げる男。 これは謝罪されているのだろうか?別に私は怒っていないのだが。強いて言えば我が家に乗り込んできたことの方に不快感を感じているだけだ。
「ここは私の家よ。それに起きたのも邪魔されたからではないから気にしなくていいわ。で、何しにここに来たの?」
もう一度同じ質問を繰り返す。次は女の方が慌てた様子で答える。
「ご、ごめんなさい。私たち今追われてるの。逃げてる道中この神殿を見つけたの。け、決してあなたの家に押し入りに来たわけじゃないわ。」
なるほど。この2人はどうやらここへ来たくて来たわけではなさそうだ。人間と初めて話す私でもこの慌てようでわかる。
しかし追われているとはどういう事なのだろう?魔獣に追われているのかな?だったら私が魔獣と話してあげてもいいのだけど。
少女と話せた魔獣は1匹だけだったが、言葉が話せなくてもこちらの意思が伝わる魔獣もいた。中には突然襲い掛かってきた魔獣もいたが…。
「魔獣に追われているのなら私が何とかできるかもしれないわ」
そう伝えると男女は困った表情を浮かべながら答える。
「僕たちが追われているのは魔獣じゃないんだ。僕らと同じ人間だよ。」
人間に追われてる?人間も同族喰いをするのだろうか?以前魔獣と話したときに同族でも攻撃する種族がいるとは聞いていたが、まさか自分と同じ人間がそちら側だったとは驚いた。
なぜ追われているのか聞こうとした時、少女の胸に強い衝撃と共に体に何か異物が胸にめり込んでくる感覚に襲われた。
自分の胸元を見ると、白いワンピースが赤く染まっていくのが見える。さらに細い木の棒が胸から突き立っている。
目の前の男女を見ると呆然としており、身動きが取れないでいた。
2人の背後から数本の木の棒が再び少女へ襲い掛かる。それらはすべて少女の幼い体を捉え左肩、左脇腹、右大腿へと突き刺さっていく。
何かが体内からこみ上げてくるので我慢せずに吐き出してみる。吐き出した液体を手で受け止めようとするも、小さな手では抑えきれずにボタボタと地面に溢れていく。
血だった。
少女は意識が遠のくのを感じる。
(あぁ、いきなり攻撃を仕掛けてくる魔獣もいるのか。気をつけなきゃね。)
そう思いながら少女は、意識の綱を手放した。
神殿にいた可憐な少女と話していると、自分たちの背後からその少女へ向けて矢が射かけられた。
「!?」
驚愕から身動きが取れずにいると、少女はそのまま仰向けで倒れてしまった。白銀に輝く髪の毛が少女の血に染まっていく。その光景はある意味美しく、悲壮感が漂う光景だった。
「ようやく追いついたな。手間をかけさせてくれる。」
背後から見知らぬ男の声が聞こえ2人はとっさに振り返り、身構える。
声を発したであろう壮年の男を中心に更に4人がそれぞれ短剣と弓矢を構えている。おそらく他にも隠れてこちらを伺っている者もいるのだろう。
「そろそろ観念したらどうだ?お前たちはよく逃げた。殺すのが実に惜しいくらいだ。」
壮年の男が片手を挙げると他の4人が戦闘態勢に入る。この男がリーダー格、つまりは指揮官なのだろう。
「よくここまで追ってきたわね。ここはあの黒の森よ。私たちの為だけに命を捨てるなんてくだらないわね。」
姉は表面上強気な姿勢を保つ。しかし表情とは裏腹に必死に頭を働かせる。ここまで相手が余裕を見せているということは逃げ道はない可能性が高い。いつでも私たちを殺せると言いたげな目だ。
どうにかここを打破できないか。弟の方をチラリと横目で見るが私と同じ状況のようだ。
「一つ、チャンスをやろう。」
男が一度上げた手を下ろし、腰から短剣を抜き放ち、私たちの足下に放り投げた。
投げられた短剣はとても高価なように思える。刃は鋭く研がれ、まるで鏡面のように輝いていた。柄の部分には幾度も目にしてきた月光教会のシンボルである満月に剣の刻印。
「隊長!?」
部下であろう男が弓矢をこちらに構えたまま困惑の声を上げる。
「それで自分の眼を潰せ。そうすれば俺の部下に加えてやる。」
部下の声を無視するように壮年の男は続ける。
自分の眼を潰せですって?そんなの冗談じゃないわ!
「あんたの部下になるくらいなら死んだほうがましよ!」
私は反射的に答えていた。
誰のせいでこんなことになってるのよ!何も知らない子供のころから赤眼というだけで両親に捨てられ、幸せを感じ始めたところで月光教会から訳も分からず追われ始める。その元凶ともいえる奴らに尻尾を振るなんて冗談じゃない。
最初に射抜かれた子も私たちと同じ境遇だったのかもしれない。私たちと違ってあの子は両眼とも赤だった。何も知らずにこの森に捨てられ、突然殺されたのだ。
「僕も姉さんと同じ意見です。生まれ変わってもあなたたち月光教会には従いません。」
弟も私に続く。どうやら腹を括ったようだ。私も同様、覚悟はできている。
「そうか。残念だ。お前らのような野生児はとても役立つと思うのだがな。」
男はそう言うと、ゆっくりと右手を再び掲げる。後ろに控えてる男たちが攻撃態勢をとる。短剣を構えていた者も弓矢を構えている。その周囲からも殺気ががあふれ始める。やはり自分たちを取り囲むように資格が隠れていたのだろう。
あの右手が下に振られた時、私たちは後ろで倒れている少女よりもひどい有様になるだろう。
あの娘には悪いことをした。少なからずここを通ってしまった私たちにも責任がある。
私は死ぬ前に弟の顔を見ようと顔を向ける。
「できない姉でごめんなさい。」
「そんなことないよ。ここまでこれたのは姉さんのおかげさ。」
弟は開き直ったのかとてもさわやかな笑顔をしていた。つられて私も笑顔になる。
姉弟の最後のやり取りを眺め、男は攻撃命令を出そうと腕を下ろそうとした時、この場に不釣り合いな幼い少女の声が響き渡る。
「私の家で縄張り争いはよしてくれる?」
確かに致命傷を与えたはずの少女が何事も無かったように立っていた。
赤眼の2人を追っていた月光教会の隠密特殊部隊【星霧隊】隊長シュールレは目の前の状況を呑み込めずにいた。
【星霧隊】は月光教会の闇部分と言っても過言ではない。他国の諜報から暗殺まで、月光教会として世に出せない様々な問題解決を担う特殊部隊だ。
月光教会への忠誠が高く、戦闘能力の高い聖騎士で構成されている。
様々な暗器を使えるように訓練され、身一つで山の中に放り出されサバイバル生活を課されたりと普通の騎士団や軍隊とは違う訓練を続け、最後は教会から手配されている暗殺対象の首を持ってくることで入隊を許可される。
そして今回、聖王国領土の山の中で片眼が赤く染まっている姉弟を発見したと山の巡回をしていた聖騎士から月光教会へ報告が入った。
当初は聖騎士数十人で囲めばすぐに片が付くと想定していたが、姉弟の山や森林地帯での動きや偽装工作、挑発は鎧を着た聖騎士にはとても厄介なものだった。
罠に殺されたり、見えない所からの攻撃が繰り返され、教会はたかが姉弟2人に【星霧隊】を仕向けることに決定。その部隊の隊長にシュールレが着任した。
それでも姉弟は逃げ続け、挙句の果てには黒の森へと逃げ込んだ。
姉弟の仕掛けた罠や偽装を見破れないものはこの部隊にはいない。しかし、通用しないと判断したのかわざとわかるように大げさに仕掛けたり、魔獣の生態を利用したりとさすがのシュールレたちも手を焼いたが相手にも疲労が見えてきていた。
そんな時、月光教会の保有する黒の森に関しての資料にも載っていないボロボロの神殿に兄弟2人がいるのを発見。誰かと会話しているようだった。
100m程手前で小型の遠眼鏡で相手を見ると、この場には似つかわしくない可憐な少女だった。よく見ると両眼とも赤く染まっており、成敗対象だということに気付く。
少女を見たシュールレは自分の娘と重ねてしまい一瞬躊躇するが、何も知らないうちに殺してあげた方が少女の為と思い、部下の3人に弓矢を少女へ向け放つように指示する。
【星霧隊】が使用する矢はすべてに毒が付与されているため、例え急所を外しても3本与えればまず死ぬだろう。
3人の放った毒矢はすべて少女に命中し、うち1本は心臓を貫いていた。
確実に殺した、死んだはずだった。
しかし現実はどうだろう。仮にも心臓を貫いたと思っていただけで実は奇跡的に急所から外れていたとしよう。だが矢には毒がある。あの小さな少女が耐えられるはずがない。
周りの部下や、周囲に念のため配置した部下たちから少なからずの動揺が伝わってくる。
少女はこちらを見つめ、不気味な笑みを見せる。とても少女のものとは思えない獣のような笑顔。
「私とお話しましょ♪」
少女は楽し気に歩き出す。
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