実はその要素はあるんだ
アデルはずっと、襲われたことはテオバルトには秘密にしておきたいと思っていた。優しいテオバルトはきっと心配してくれる。アデルのことでわずらわせたくなかった。
けれど目の前にいるテオバルトが泣きそうなほど顔をゆがめているのを見て、知ってしまったのだと、静かに悟った。
「アデル嬢……俺……、きっと俺のせいだ……!」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれません。真実がわかるまで、ご自分を責めないでください」
「でも、だって! 騎士団に行った帰りに襲われたって! 俺が騎士団に行くように言ったから……!」
「いいえ、私がテオバルト様が信頼している騎士の名前を聞き出したのです」
「アデル嬢が行くとわかっていて教えたんだ!」
いつも明るく、自分の気持ちをなだめられるテオバルトからは考えられないほど取り乱していることに、内心驚く。
「あっ、みんなが守ってくれたので私に怪我はありませんわ。ですから、傷の責任をとって結婚しろなんて言いません。婚約破棄の書類は、お好きな時に出してくださいませ」
裁判の前に婚約破棄されても、テオバルトを救いたい気持ちが揺らぐことはない。
アデルの言葉を聞いたテオバルトは、なぜか傷ついた顔をした。どうやら言葉のチョイスを間違えたらしいと気づいたが、何が間違っていたかわからない。
「こうして襲撃されたのは、テオバルト様の冤罪が証明される寸前だからだと思うのです。だからご安心くださいね! 一郎たちには怪我をさせてしまったことは、本当に申し訳ないと思っているのですけれど……」
「……主を傷一つなく守り切れたのは騎士の誉れ。誇りこそすれ、怪我を悔やむことはない」
ぐっと唇を噛みしめたテオバルトの小麦色の瞳が揺れる。今にもあふれそうな涙を見て、アデルは目を見開いた。驚きで思考が止まる。
「俺が言いたいのは、アデル嬢、自分を大事にしてくれ」
「ええ、傷はありませんわ」
「そうじゃない! アデル嬢には体も心も傷ついてほしくないんだ! この屋敷の人たちは、みんなそう思っている!」
「テオバルト様……」
「アデル嬢が襲われたと聞いて、どれだけ心配したか……! 心がつぶれそうだった! 代わりに俺が襲われればよかったんだ!」
これだけ感情をあらわにするテオバルトを、初めて見た。
いつもより小さなテーブルに座っているので、手を伸ばせばテオバルトに触れられる。サラは気を利かせておらず、アデルの自室で、ふたりきり。
悩んだ末に、アデルはテオバルトの頭をそうっと撫でた。少しでもテオバルトを慰めたかった。
婚約したばかりの頃は、こんなことしようとも思わなかっただろう。だが今では、テオバルトにふれても嫌がられないと信じられる。二人の間には、少しずつ紡いできた絆があった。
しばらく頭をなでられていたテオバルトは、のろのろと頭を上げた。細いアデルの手首を掴み、愛を告げるように手のひらに口づける。
手のひらに感じた柔らかさに、アデルの頬が一瞬で赤く染まった。
「俺の顔に、傷をつけてくれ」
「え?」
「そうしたら、アデル嬢が責任を取って、俺と結婚してくれるだろう?」
首をかしげたテオバルトは可愛いが、目のハイライトが消えている。
(テオバルト様にヤンデレの要素ってあったかしら……!?)
いくらゲームの内容を思い出しても、そんな描写はなかった。誰にでも優しくて、太陽のように明るいテオバルト。
(いいえ、ここはゲームの世界ではないわ! 何度もそう思ったじゃないの! ゲームではなく、今のテオバルト様を見るのよ!)
慌てるアデルの耳に、やわらかな笑い声が届いた。小さくても間違うことはない、テオバルトの声。
「……ごめん、冗談だよアデル嬢。驚かせてごめんね」
「いえ、こちらこそご心配をおかけして申し訳ありません。これから裁判までは外に出ないつもりですわ」
「うん。アデル嬢、覚えておいて。アデル嬢の心にも体も、これ以上傷ついてほしくないのは本音だから」
「……はい」
テオバルトの心配が、嬉しくて少しこそばゆい。
テオバルトの目にまだハイライトが戻っていないことに気付かず、アデルは居住まいをただした。
「テオバルト様にお話ししなければならないことがあります。実は、裁判の証拠が揃ったのです。……ここまで来てようやく、私は気付きました。テオバルト様の気持ちを、心を聞いていないことに」
「俺の心?」
「はい。私は、テオバルト様が冤罪を晴らしたいか……騎士に戻りたいかさえ、聞いていませんでした」
テオバルトがそれを望むのは当たり前だと思って、気にかけてすらいなかった。
どれだけ自分が身勝手だったか気付いた時はもう、羞恥のあまり地面に埋まってそのまま死にたいほどだった。
テオバルトに何かの理由があってこのままでいたいのならば、アデルがこの数か月してきたことは全て無駄になる。前世の記憶が戻った時点でさっさと婚約破棄をして、テオバルトを自由にしてあげられた。
「……アデル嬢。ふれてもいい?」
脈をはかって、アデルの気持ちを探るのだろうか?
素直に差し出したアデルの腕に、テオバルトのたくましい手がふれた。背中にそっと手を添えられて立つように促されたアデルは、そのままソファーへと導かれる。
先にソファーに座ったテオバルトに手を引かれ、アデルはテオバルトの脚に腰を下ろした。
「きゃっ! テオバルト様……!?」
「ふれてもいいんだよね?」
「いいです、けど、これはさすがに……!」
テオバルトの脚の上で横抱きにされているアデルの右側は、テオバルトの体にぴったりとくっついている。体を支えるために回された腕は見かけより太く、しっかりとアデルを抱きかかえていた。
かつてないほど近く、テオバルトの体温を全身で感じているアデルは、失神しそうなほど真っ赤になっていた。
「お、重いですわ……!」
「軽くて心配だよ。もっとちゃんと食べないと」
「ひぇ……」
「ふふ、可愛い」
とろけるような甘い声で囁かれ、アデルの頭は沸騰寸前だった。
テオバルトが何を考えてこの行動に至ったのか、ろくに働かない頭で考えてもさっぱりわからない。
自分の心臓の音が大きくて速くて、テオバルトに聞こえてしまっていないか心配でたまらない。
「俺も謝らなくちゃいけない。アデル嬢だけじゃなくて、俺もきちんと話していなかった。言い訳になってしまうけど、裁判からずっと目まぐるしくて……ずっと、体と心がバラバラに動いているみたいだった。アデル嬢さえよければ、俺の気持ちを聞いてくれる?」
「はい。聞かせてください」
テオバルトはどこか遠くを見るように微笑み、アデルを抱きしめたまま語り始めた。
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