嵐の訪れ

「もう歩いても大丈夫よね?」

「はい。ですが少しでも違和感や痛みがあれば、すぐ歩くのをやめてくださいね。では、失礼いたします」



 主治医がアデルの足首が完治したと言ったのは、パーティーに行ってから一週間後のことだった。軽くひねっただけなのに、一週間もベッドの上にいなければならなかったアデルは退屈だった。

 その一週間のあいだに公爵だったフェイユ家はあっという間に没落の一途をたどり、テオバルトは三回もお見舞いに来てくれた。三回も!


 テオバルトは来るたびに軽々とアデルを横抱きにし、ソファーまで運んでくれた。いくらアデルが重いと言っても否定し、本当にひょいっと抱え上げるのだ。

 お菓子や軽食を挟んでテオバルトとの会話を楽しむのは、本当に楽しかった。おだやかで、でもドキドキが止まらない、きっと一生忘れない時間。



「アデルお嬢様、失礼いたします」

「あら、どうしたの?」



 軽いノックの音がして、サラが入ってきた。



「お嬢様、お客様がお見えです。どうしてもお嬢様に会いたいと」

「私に?」

「はい。ルーシー・フォルチェと名乗っています」

「ルーシー・フォルチェ……!?」



 その名前には聞き覚えがあった。


(ゲームでヒロインの友達だった人物じゃない!)


 ルーシー・フォルチェは男爵令嬢だが、平民に混じって新聞記者を目指していたはずだ。テオバルトのルートではヒロインに情報を教え、テオバルトを救うために尽力してくれていた。



「追い返しますか?」

「……いいえ。会ってみるわ」



 先触れもなく訪ねてくるのはマナー違反だったが、そんなことは気にしていられない。

 ヒロインと友達になるはずの人物がなぜ会いに来たのか? 考えても答えが出ないのなら、直接会って聞くしかない。


 軽く身支度を整えてから応接室へ行くと、そこにはゲームで見た通りのルーシー・フォルチェが座っていた。

 明るいオレンジ色の巻き毛に、くるくるとよく動く瞳。そばかすが可愛らしいルーシーは、アデルを見ると慌てて立ち上がった。



「ごきげんよう、ルーシー様」

「ごきげんよう、アデル様。先触れもなく突然訪問して申し訳ございません」



 深々と頭を下げるルーシーに、ゲームで見た明るさはなかった。マナーを知る貴族令嬢として、きちんとアデルに謝罪している。


(……そうよ、ここはゲームじゃない。ゲームで見た姿は、あくまでルーシーの一部分に過ぎないわ)



「実は私は、実家から手紙を出すのを禁止されておりまして……。一度お手紙を差し上げたのですが、フォルチェ家の封蝋がなかったので読んでいただけなかったと思い、直接やってまいりました」

「そうだったのね」



 確かに、アデル宛てに手紙が来ても、封蝋がなければアデルの元までやってこない。



「そこまでして私に伝えたかったことは何かしら?」

「ええと……」

「侍女のことは気にしないで。私が最も信頼している侍女よ」

「……わかりました。アデル様に謝罪しなければならないことがあるんです。カミーユ殿下のパーティーで実はずっとあの休憩室にいて、会話をすべて聞いてしまいました! 申し訳ございません!」

「えっ、あの部屋にいらしたの?」

「はい!」



 誰もいないように思えたが、休憩室は誰でも出入り自由だ。ルーシーがいてもおかしくはない。



「あら? でも未婚の女性は、伯爵位以上の方しか招かれていなかったはずだけれど」



 あのパーティーは、カミーユの婚活も兼ねていた。王太子妃に選ばれても問題ない家柄で婚約者もいない令嬢はごく少数で、その中にルーシーは含まれていない。



「忍び込みました!!」

「あら……」

「実は私、一人前の新聞記者を目指しておりまして! 何かスクープがあればと忍び込んだのですが、招待客ではないと怪しまれて休憩室に隠れていたところ、アデル様たちがやってきたのです」



 悪びれずしゃきしゃきと話すルーシーを見て、なぜか笑いがこみ上げてきた。

 はっきりした物言いが好ましく、ルーシーが発言すれば、忍び込んだことも盗み聞きされたことも、大したことではないと思えたからかもしれない。もしくは、ゲームで見たままのルーシーだったからかも。

 ゲームをプレイしている時に何度も助けてくれたルーシーに対して、アデルは一方的に好感を持っていた。



「わざわざ謝罪に来てくださってありがとう。あなたが謝ることは何もないわ」

「許してくださって、ありがとうございます!!」



 ぶんっと音がなるほど勢いよく頭を下げたルーシーは、勢いよく顔を上げた。



「アデル様のテオバルト様への深い愛情には、本当に感動しました! ついにイネス・フェイユの悪事も暴かれて痛快です。本当は私がすっぱ抜きたかったんですが、さすがにフェイユ家はガードが固くて……。アデル様が悪女なのは嘘だと記事を書いたこともあるんですが、握りつぶされて悔しかったんです!」

「……私の悪事が嘘だと知っていたの?」

「もちろんです! アデル様は滅多に家から出てこられないのに、悪事が多すぎて不自然ですよ! 噂の元を探れば、ほぼフェイユ家に辿り着きますし、誰でもわかります。新聞社にはアデル様の味方も大勢いますよ!」

「そう、だったの……」



 身内以外は誰もがアデルを嫌っていると思っていたが、そうではなかった。知らないところで、きちんとアデルを見てくれる人がいたのだ。



「嬉しいわ……ありがとう」

「いいえ、当たり前のことです! 権力を持つ人たちは自分たちに都合がいいように真実を捻じ曲げますが、私は真実を伝えたいんです!」



 ゲームで聞いたセリフを熱く語るルーシーは眩しく見えた。


 それからは世間話やルーシーの生活などで話が弾んだ。初めて友人ができるかもしれないと胸が高鳴るアデルに、ルーシーは熱く告げた。



「よければ、今回のことをインタビューさせてもらえませんか? もちろん記事のチェックはしていただきますし、書いてほしくないことは書きません!」

「パーティーのことを記事に?」

「はい! アデル様が悪女じゃないことを知らしめるんです!」



 ルーシーの提案は悪くないものだった。

 テオバルトの冤罪を晴らしたいアデルの一番大きな壁が、アデルの悪評なのだ。



「……いいえ、駄目ね。王族のパーティーを勝手に記事にするなんて、下手したら新聞社が潰されるわ」

「えっ……!?」

「王太子の生誕パーティーなのよ? トラブルがあったなんて、参加者以外に知られたくないはず」



 それに万が一アデルの評判がよくなったら、カミーユの婚約者になってしまう可能性がある。

 婚約解消ですら良く思われない貴族社会だが、犯罪者とされているテオバルトから王太子のカミーユに乗り換えるのであれば、反対意見も出ないだろう。ここぞとばかりに王家が仕掛けてくるかもしれない。

 お見舞いに来たアランやベルナールも、同じようなことを心配していた。



「ルーシー様にそう言ってもらえて、とても嬉しいわ。でも私は、もう少し自分の力で頑張ってみたいの。ルーシー様や新聞社の方たちみたいに、本当の私を見てくれる人がいると、今なら思えるから。テオバルト様の冤罪が晴らされた時は、記事にしてくださる?」

「もちろんです! 私たちに出来ることがあれば何でも言ってください。アデル様の力になりたいんです!」

「本当に嬉しいわ、ありがとう! それなら、一つ頼みたいことがあるの」



 アデルが頼んだのは、テオバルトの裁判で証言した人物を探すことだった。クレール商会は独自の情報網を持っているが、新聞社はまた違うものを持っているはずだ。



「証言した人たちは、全員行方不明になっているの。身分的に隠れるのなら平民に混じっているだろうけれど、もしかしたら……」

「わかりました、お任せください。うちは死体にも詳しいんです!」



 言い淀んだアデルとは対照的に、ルーシーはあっけらかんとしていた。

 ルーシーにかかれば、事件も大したことがないように思えてしまう。



「今度から、薔薇の封蝋で手紙を送ってくれる? きちんと私に届くようにしておくから」

「わかりました! また来てもいいですか?」

「ええ、もちろん!」

「よければ私のことはルーシーと呼んでください!」

「わかったわ。……私のことを、アデルと呼んでくれるのなら、そうする」

「わかりました、アデル!」



 迷うそぶりを一切見せずアデルを呼び捨てにしたルーシーがあまりにルーシーで、アデルは前世を思い出して初めて声を上げて笑った。 




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