君を守りたいんだ
アデルが胸に飛び込んでもテオバルトはびくともせず、華奢な体を受け止めた。
「うっ、うぅっ……テオバルト様……!」
泣いているアデルは、あまりに痛ましかった。ドレスの後ろまでワインのシミができ、綺麗に結い上げた髪は崩れている。
白いうなじに一筋のワインが流れるのを見て、テオバルトから殺気があふれ出た。
「……誰だ? アデル嬢をこんな目に遭わせたのは」
パーティーの主役で王族でもあるカミーユにも容赦なく殺気が襲いかかり、近衛が武器を構えて警戒する。
剣呑な空気を感じ取り、アデルは慌てて胸にうずめていた顔を上げた。
「カミーユ殿下は助け起こしてくださっただけです! ソランジュ様も、おそらく脅されていただけで」
「……ソランジュ? ソランジュ・セネヴィル嬢?」
ソランジュの名が出てから初めて存在に気付いたテオバルトが、視線だけで部屋を探る。入り口近くで震えているソランジュを見たテオバルトは、すぐに視線をアデルへと戻した。
「ソランジュ様と出ていったと聞いて駆け付けてくださったのではないのですか?」
「俺が聞いたのは、アデル嬢がパーティー会場から連れ出され、イネス・フェイユが後を追ったという事実だけだよ」
「なっ……!? 犯罪者がわたくしを呼び捨てにするなど、なんて不敬なの!?」
「俺は、自分の婚約者を陥れて蔑む相手を敬うことはしない」
そう言いきるテオバルトがあまりに格好よく、アデルの涙が一瞬で引っ込んだ。いつもの太陽のような笑みは消え、冷たい視線が周囲を凍りつかせている。
こんな状況でなければこのテオバルトを堪能したかったと思いつつ、礼服を軽く引っ張る。
「私は平気ですわ、テオバルト様。ちょっと濡れただけですもの」
「アデル嬢はいつもそうやって笑って大丈夫だと言って……!」
心配のあまり語気を荒げたテオバルトは、アデルを見て言葉を飲み込んだ。今はアデルの身が一番だ。
テオバルトから離れたアデルは、ドレスの裾をつまんでカミーユに頭を下げた。
「ご生誕の日に騒いでしまい、申し訳ありませんでした」
「私からも心からの謝罪をいたします」
「お父様!」
いつからいたのか、アランがアデルの横に立ち、カミーユに頭を下げた。
「輝かしい日を騒々しくしてしまい、誠に申し訳ございません。クレール家はこれにてパーティーから退出させていただきます」
「私の生誕を祝うパーティーに来ていただき、感謝する。アデル嬢、どうか体に気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
挨拶を終えてふらりと傾いた体をテオバルトが支える。そのまま抱きかかえられ、アデルは慌ててテオバルトの首に抱き着いた。
「テオバルト様!?」
「無理をしたら駄目だよ、アデル嬢。足首が腫れている」
「だ、大丈夫ですわ」
「カミーユ殿下、このまま失礼することをお許しください。我が婚約者は、自分を大事にすることを知らないのです」
「わかった、許可しよう」
顔を真っ赤に染め上げたアデルとは対照的に、怒りのあまり顔を青白くしたアランとテオバルトは堂々と部屋を後にした。
そのままパーティー会場へ入ると、いっせいにアデルへ視線が注がれた。何があったのかと不躾な眼差しに怯えるアデルに、朗らかな声がかけられた。
「もう大丈夫だよ、愛しの妹アデルよ! 兄が守ろう!」
「ベルナールお兄様!」
テオバルトがアデルを抱きかかえたまま微動だにしないので、ベルナールの大きく広げられた腕にアデルが移動することはなかった。いつもの目が笑っていない笑顔のまま、ベルナールはなぜか満足そうに頷く。
前へ進み出たアランは、陛下に向かってうやうやしく頭を下げた。
「国王陛下ならびに皇后様、娘は足をくじいて立てないため、このような姿でお二人のお目汚しすることをお許しください。陛下のご慧眼であれば、真実はすぐに白日の下に晒されるでしょう。被害者である我が娘には、何一つ咎がないと信じております。退出の許可をいただいてもよろしいでしょうか?」
「……許可する」
「ありがとう存じます」
深く頭を下げたアランとテオバルトとは違い、アデルは抱きかかえられたままだった。降りようともがいてみたがテオバルトの力が強く、わずかに身じろぎしただけで終わってしまう。
「……パトリス・フェイユ」
ぞっとするほど冷たいアランの声が、フェイユ家当主の名を呼び捨てた。イネスの父であるパトリスの唇はわずかに震えている。
「今夜、すべてを返してもらう。イネス・フェイユおよびデルフィーヌ・フェイユが我が愛娘アデルにしたことをすべて白状するというのなら、期限を延ばしてやってもいい。二人が今まで何をしてきたか、日時と場所、一緒にいた人物まで把握済みだ。ごまかそうと思うな」
「あ……」
「妻と娘をもっと真剣に諫め、それでも聞かないのならば閉じ込めておけばいいものを」
青ざめるパトリス・フェイユを一瞥もせず、アランはすぐ横を通り過ぎた。テオバルトもそれに続くが、ベルナールは動かない。
「後は兄に任せてくれたまえ、アデル! なに、私はクレール家の次期当主だからね、何も心配することはない! 先に帰って暖かくして眠るように!」
静まり返った会場に、場違いな明るい声が響く。この状況でこの言動、そして笑顔なのに笑っていない目。
ベルナールに婚約者がいないのは、こういうところだとアデルは実感した。とはいえ、抱えられたままの……いわゆるお姫様抱っこをされたままのアデルは何も言えない。
結局陛下の御前だというのに何もできず、人形のようにアデルは退出した。これならば気絶したフリをしておけばよかったと思ったのは、馬車に乗り込んでからだった。
馬車は道を進む。
サラと護衛3人はアデルの姿に驚いたものの、何も聞かず馬車に乗れるよう準備してくれた。
王城を出てから、アランはようやく口を開いた。
「すまなかったね、アデル。もっと早くフェイユを潰しておけばよかった」
「いいえ……いいえ、お父様。私が悪かったの。私さえ我慢すればいいと思っていたけれど、実際はお父様やお兄様だけでなく、使用人やクレール商会にまで我慢を強いていたわ。……私のせいで没落する人がいるのが怖かった。貴族だけでなく、その使用人や家族まで路頭に迷ってしまうのが恐ろしかったの。けれど、私を傷つけて喜ぶ人間よりも、家族のほうがよっぽど大事だわ。こんな単純なことに気付くのに、こんなにも時間がかかってしまって、ごめんなさい……!」
「アデル!」
アランに抱きしめられ、アデルは涙を流した。さまざまな思いが膨らんでは弾けて消えていく。
「いいんだ、アデル。アデルが自分を大切にしてくれれば、幸せでいてくれさえいれば、私の望みは叶っているんだよ」
「お父様……」
「今夜フェイユを潰すよ。いいね?」
頷いたアデルは、慌ててアランから離れた。
「ごめんなさいお父様、服が汚れてしまったわ!」
「いいんだよ、いくらでも汚しなさい」
そうはいっても、気になるものは気になる。
名残惜しそうなアランから離れ、アデルは目元をぬぐった。その肩にそっとテオバルトの上着がかけられる。返すべきか一瞬悩んだが、厚意を受け取ることを学んだアデルは、微笑んで受け取った。
「ありがとうございます、テオバルト様。このお礼は必ず」
「今度はお肉以外がいいな」
「ふふっ、では日持ちのするものにしますね」
アデルが形のある物を贈れば、婚約破棄した後にテオバルトが処分に困ってしまう。手放すことをためらう優しい性格に付け込んで、別れた後までアデルのことで時間を奪ってはいけない。
「いや、そうじゃなくて……」
「いいじゃないか、アデル! 私も一緒に選ぼう!」
「お父様の目は確かですから、おいしいものをお贈りしますね!」
「……うん、ありがとう」
アランの圧に負けたテオバルトがうなだれているのにアデルが気付く前にと、アランは口を開いた。
「イネス・フェイユのことだが……アデルは聞きたいかい?」
「……知りたいです。なぜあそこまで憎まれているのか、わからないの」
「イネス・フェイユは、カミーユ殿下を好きだった。結婚したかったんだよ。けれど王家はアデルと結婚させたかった。クレール家を商会ごと取り込みたかったんだろうね」
「私がカミーユ殿下と結婚!?」
そんな話は聞いたこともない。驚くアデルを見て、アランは大声で笑った。
「アデルには言わなかったからね。クレール家をよく思っていないのに、アデルを人質にして力だけは手に入れたいなんて、許されるわけないだろう? だからお断りし続けていたんだよ。アデルはあまり外に出なかったから、病弱だということにしてね」
「そんなことが……」
「フェイユ家はずっとイネスを王太子妃にと推していたんだが、まだ候補にすらなっていない。業を煮やして、いつもより強引にアデルを排除しようとしたんだ」
イネスがアデルの悪評をたてていたのは、アデルは妃に相応しくないということにしたかったのだろう。王家が静観していたのは、クレール家がどう動くか観察していたからだ。
「私はもう婚約しているのに……」
「結婚ではなく婚約だからね。幸いにもカミーユ殿下はその気がないようだから、何とでもなるだろう」
「よかった……! そうだお父さま、フェイユ家に行った時に、テオバルト様のことを聞いてほしいの。イネス・フェイユが、テオバルト様は冤罪だと知っていたのよ」
「ほう? わかった、よく聞いておこう」
「ありがとう、お父様!」
再びアデルに抱き着かれてご満悦のアランは、その晩容赦なくフェイユ家を潰した。
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