絶対に許さない

 休憩室へ入ってきたイネスは、静かにドアを閉めた。起き上がろうとした途端に足首に痛みが走り、再び倒れこむ。

 その光景を楽しそうに見ているイネスは、アデルを見下していることを隠そうともしなかった。



「いつものように引きこもってパーティーに出て来なければ、見逃してあげたのに」

「今まで好きなだけ私の悪意ある噂をばらまいておいて、何を言っているの?」

「あら、さすがに気付いていたのね。そこまで馬鹿じゃなかったなんて驚きだわ。あの犯罪者に夢中で、頭までホイップクリームが詰まったと思っていたのに」

「なんですって……!?」

「なに怒ってるの? テオバルト・ヴァレリーは犯罪者になったでしょ。いくら剣の腕がよくたって暗躍することが出来ないのなら、こうなって当たり前だわ」

「まさか……テオバルト様が冤罪だと知っているの!?」



 イネスはふんっと鼻を鳴らし、にやりと笑った。



「当たり前じゃない。あんな男、陥れられて当然だわ。能天気で忌々しい顔を見るたびに虫唾が走るのよ! 死刑になればよかったのに!」

「黙りなさい!!」



 脚の痛みを無視して立ち上がったアデルは、イネスの頬を叩いた。パンっと小さな音が鳴り、イネスが倒れ込む。

 初めて人に叩かれ呆然としていたイネスは、数秒たって怒りのあまり震え始めた。



「なんて……なんてことを……! アデル・クレールの分際でわたくしを叩くなんて許されないわ!!」

「私のことはいい! けれどテオバルト様を悪く言うことは許さない!!」



 アデルに食ってかかろうとしたイネスは、ハッとした様子で立ち上がった。乱暴にアデルを突き飛ばし、ドアを開ける。



「世界は私の味方だわ! 何をしてもアデル・クレールの言い分を聞く者なんていない!」



 憎しみを込めてアデルを睨んだイネスは、思いきり息を吸い込んで大声を出した。



「きゃああぁぁっ! どうなさったのソランジュ様!」

「……っ! イネス、あなた……!」



 イネスがここに貴族たちを集めるつもりだと気付き、アデルは青ざめた。

 このままでは、テオバルトの元婚約者に嫉妬してドレスにワインをぶちまけたことにされてしまう。いや、確実にそれ以上のことを言いふらされるに決まっている。


 イネスがあらかじめ集めておいたのだろう取り巻きたちの気配と足音が聞こえた。



「まあっ、なんてこと! テオバルト様と婚約していたソランジュ様に嫉妬して、こんなことをするなんて!」

「ええ、さすがアデル・クレールですわ! なんてあくどいの!」

「悪女とはいえ、アデル・クレールもやりすぎだぞ」



 イネスの取り巻きだけではなく男性の声も聞こえて、アデルは泣きそうになった。

 こんな悪意を向けられる覚えはない。なぜイネス・フェイユは執拗にアデルを陥れようとするのだろう。



「大丈夫かい、ソランジュ嬢」

「な、なんでもありませんわ……」



 パーティーの主役であるカミーユまでやってきて、驚いてソランジュに問いかけた。ドレスを隠すものを持ってくるよう指示しながら、ソランジュに怪我がないか確認する。



「大丈夫です。アデル様は、か、関係ありませんわ……」



 ソランジュが「アデルにワインをかけられたが、違うことにしておいてくれ」と訴えると、空気が悪意で膨らんだ。


(このままではイネスの思う通りになってしまう……!)


 大きなソファのおかげで、幸いにもアデルは入口からは見えなくなっていた。痛む足を動かして、机の側に移動する。



「……アデル嬢?」



 いつまでたっても出てこないアデルの存在を疑ったカミーユが休憩室に入り、息を呑む。

 そこには、床に倒れたアデルがいた。テーブルの上で倒れているワインがアデルにかかり、ドレスも頭も濡れている。



「これは一体……!? アデル嬢! 無事ですか!」

「うぅっ……」



 カミーユに助けられながら体を起こしたアデルは、したたるワインをぬぐいながらカミーユの体を軽く押した。


 ソランジュだけでなく自分もワインをかぶってしまえばいい! と咄嗟にした行動だったのだが、思った以上にインパクトがあったようだ。



「カミーユ殿下のお召し物が、汚れてしまいますわ……」

「そんなことはどうでもいい! 怪我は!?」

「ありません。……うぅっ、イネス様は関係ありませんわ……」

「なっ、何をおっしゃるの!?」



 アデルにやり返され、イネスが怒りで顔を真っ赤にした。

 以前のアデルならばおろおろするばかりだったが、今のアデルは違う。やられたことはきっちりやり返さないと、アデルだけでなく家族も困ることになると、外に出るようになって実感したのだ。



「本当に、イネス様は関係ないのです……わ、私さえ我慢すれば……」



 悪女と名高いアデルのか弱い姿に、全員がうろたえた。

 もしかして、アデルは被害者なのでは……?


 ソランジュはドレスを汚しているだけだが、アデルは床に倒れて頭からワインをかぶっている。純白のドレスは見るも無残で、普通の令嬢ならば一生社交界に出てこないような姿になっている。



「どこだ、アデル嬢!」

「テオバルト様……?」



 テオバルトの声がして、アデルはびくりと体を震わせた。


 テオバルトがどんな顔をするのか、見るのが心底恐ろしい。

 ここには元婚約者のソランジュもいる。アデルではなく、ソランジュを心配したら。アデルがソランジュにワインをかけたと思われたら……。

 がたがたと震えるアデルの目は、それでもテオバルトを求めていた。


 人混みをかきわけて休憩室へ入ってきたテオバルトは、目を見開いた。



「アデル!」



 テオバルトの目には、アデルしか映っていない。

 そして、汚れたアデルを見て戸惑いなく両手を広げて駆け寄ってきた。



「テオバルト様……!」



 涙ぐみながら胸へ飛び込んだアデルを、テオバルトは思いきり抱き締めた。



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