この世界で一番
「えっ、マルクが結婚してる!?」
思わず令嬢らしからぬ大声を出してしまったが、無理もなかった。
マルクは、この乙女ゲームの攻略対象だ。ヒロインの隣に住む年上の幼馴染で、各ルートへ分岐する前に絶対に出てくるキャラクター。テオバルトしか攻略していないアデルですら、顔と名前を知っている。
そのマルクが結婚して子供までいるなんて……!
「そ、そうよね。何もかもゲームの通りとはいかないしここはゲームじゃなくて現実だし……!」
狼狽しきったアデルは、大きく深呼吸してからリックからの報告書を読み進めた。
ゲームの通り、レティシアはパン屋の看板娘だった。明るく気持ちのいい性格で、大勢の人に好かれている。
ヒロインが実は王族の傍系だったことは、ゲームの後半で明かされる。妾だったヒロインの母が自分の侍女に頼んでレティシアを逃がしたが、その侍女は死亡。赤ん坊だったレティシアをパン屋の夫婦が見つけ、自分の子として育てたという、なかなか壮絶な過去だ。
今はそれは明らかになっておらず、クレール商会の情報をもってしても、ただのパン屋の娘ということしかわかっていない。
「マルクの結婚相手は年上で、妊娠中なのね。レティシアと浮気の可能性はゼロ……よかった」
ここでヒロインのレティシアと浮気でもしていたら、乙女ゲームではなくドロドロの昼ドラになってしまう。
……ヒロインと出会ったことには驚いたけれど、これでよかったかもしれない。
ずっとレティシアのことを調べたかったが、いきなり平民の一人を調べるのは不自然なので機会をうかがっていた。デートの途中にぶつかってきた相手を調べるのなら怪しまれない。
「私が知るゲームと少しずつズレていけば、殺されなくなるかもしれないわ。楽観はできないけれど……」
報告書を読み終えたアデルは、時計を見て立ち上がった。今日はカミーユ殿下の誕生日パーティーがある日だ。
いつもより気合いを入れたサラたちに磨き上げられ、ドニに作ってもらったコルセットをつける。何度か調整を重ねて作ったそれは、薄く丈夫だった。
汗をかいてもいいように薄手の布をはさんでつけたコルセットは、なかなか着け心地がいい。白を基調としたドレスと、大粒の真珠のアクセサリーは、アデルを上品に見せてくれた。
「テオバルト様がいらっしゃいました」
サラに告げられ、ゆっくりと玄関ホールへ向かう。
ヴァレリー侯爵家にも招待状が送られているので、テオバルトも出席しなければならない。テオバルトに悪意が向けられるのなら、何としてでも守るつもりだった。
「ごきげんよう、アデル嬢」
玄関ホールにいたテオバルトは、アデルに合わせた白い礼服を着ていた。刺繍糸や宝飾品に紫が使われていて、一目でアデルとお揃いだとわかる。
(か、格好いい……!)
明るい小麦色の髪はきっちりとなでつけられて、形のいいおでこが出ている。手袋をしていないのは、テオバルトがまだ騎士だからだろう。礼服を着るとテオバルトの鍛えられた体と甘い顔立ちが際立って見えた。
ぽうっとテオバルトを見つめるアデルを、テオバルトは呆けたように見つめていた。
白いドレスは光沢があり、控えめなレースがアデルの美しさを引き立てている。うなじの細さに見入ってしまい、テオバルトは慌てて目を逸らした。
「あ……アデル嬢は、綺麗だ。本当に……この国の誰よりも」
「テオバルト様も素敵ですわ」
お世辞だと思って微笑んだアデルの動きが止まる。
(テオバルト様……顔が真っ赤だわ)
いつもの柔らかな口調は消え失せ、ぎこちなくアデルを褒めるテオバルトは首筋まで赤かった。アデルの顔も一気に赤く染まり、途端に甘酸っぱい空気になっていく。
「待たせたね、アデル。そろそろ行こうか」
「アデル、なんて素敵なんだ! こんな立派なレディーと一緒にパーティーに行けるなんて、兄は嬉しいよ!」
甘酸っぱい空気をわざとぶち壊しながらやってきたアランとベルナールに促され、馬車で王城へ向かうこととなった。アデルはアランの横に座り、見送ってくれる使用人たちに手を振った。
別の馬車でサラやアランたちの使用人も来るはずだが、いつも一緒にいるサラと離れると少し不安になる。
「不安かい、アデル! 大丈夫、きちんと守るからね! 王族の挨拶が終わればすぐに帰っても構わないよ!」
「ありがとう、お兄様。だけどもう、逃げるのはやめることにしたの」
芝居がかった言動をするベルナールに、アデルははっきりと告げた。
アデルが引きこもっている間に、アランとベルナールにどれだけ負担をかけただろう。すぐにパーティーから帰ってもいいというけれど、そうしたら誰にもよく思われないはずだ。大好きな父と兄に尻拭いをさせるのは、もう嫌だった。
「もし耐えきれないことがあったら、お父様とお兄様を頼ってもいい?」
「もちろんだよアデル!」
「そうさ、この兄に任せてくれたまえ!」
「ありがとう、お父様、お兄様!」
少し外へ出ただけなのに、アデルへの悪意は容赦なく突き刺さった。大勢の貴族がいるパーティーでは、さらに心をえぐられるだろう。
けれど前ほど怖くはない。大切な人たちがそばで支えてくれていると気付いたからだ。
「家族仲がいいのは素晴らしいことだね」
一人放置されていたテオバルトは、三人の絆に感動していた。
四人を乗せた馬車は、王城までごとごと進む。
・・・・
「わあ、すごいわ……!」
王城の中でも一番大きく豪華なパーティー会場に入り、アデルは顔を輝かせた。以前に来たことはあるが、前世を思い出してからは初めてだ。
映画のようなきらびやかな世界は、見ているだけでわくわくする。ウエイターからグラスを受け取り、壁際に移動した。
アデルの側にいたがったアランとベルナールは、アデルに怒られて今は貴族たちと談笑している。商会を経営するクレール伯爵家と親交を深めたい者は多いのだ。
テオバルトも久しぶりに友人に会い、楽しんでいるはずだ。テオバルトにとってアデルの存在は邪魔になるので無理やり離れたが、すぐにでも帰ってきそうな雰囲気だった。
「あら、皆様ごらんなさいな。毒婦がやってきましたわ」
アデルに聞こえるようにくすくすと笑うのは、イネス・フェイユ。この国に三つしかない公爵家の一人娘で、アデルを目の敵にしている娘だ。
根も葉もないアデルの噂を流し、自分の悪事をアデルになすりつけているイネスは傲慢だが美しく、今日も自分の魅力を十分に引き立てるドレスに身を包んでいた。
(そういえば、イネスに嫌がらせをされて引きこもるようになったんだっけ)
嫌味を言われても言い返せないアデルは、イネスにとって格好の的だったに違いない。
ノンアルコールカクテルに口をつけたアデルは、無視をすることに決めた。前世でも、クラスでこの程度のいじめはよくあった。勉強ができる前世のアデルの足を引っ張ろうとしてきたのだ。
「いやぁね、どうして顔を出したのかしら」
「本当ね、また嫌なことをされてはたまりませんわ」
「卑怯な手を使ってテオバルト様を手に入れたんですってね」
くすくす、くすくす笑い声が満ちていく。
(……なんか、思っていたより普通だわ)
アデルは拍子抜けしていた。騎士団に行った時のようにもっとひどいことを言われると思っていたが、相手はご令嬢。せいぜい聞こえるように悪口を言うくらいしか出来ないのだろう。
あくびをかみ殺すアデルに、信じられないものを見る視線が突き刺さる。
愛情たっぷりに育てられた幼い頃のアデルは初めて向けられる悪意に身がすくんだだろうが、今のアデルは違う。これならば、他のパーティーに参加しても大丈夫そうだ。
せっかく異世界で生まれ変わったのだから、いろんなパーティーに参加して豪華な会場を見て、おいしいご飯を食べてみたい。
「やせ我慢はおやめになればいいのに」
わずかに悔しさを滲ませたイネスの声がしたが、アデルの目はご馳走が並べられている場所に向けられていた。
今日は王太子の誕生日パーティーだから、力作が並んでいるに違いない。さらに言い募ろうとしたイネス・フェイユに背を向けて歩き出そうとしたところで、棘を含んだ低い声がかけられた。
「感心しないな」
振り向くと、そこにはブライアン・カンテがいた。
角ばった顔に、ぴったりとなでつけられた髪。あごひげを直角に整えているので、余計に顔が四角に見える。熱のない冷めた目は、イネスとアデルに向けられていた。
「カミーユ殿下の生誕パーティーで、祝いの言葉以外が出るとは」
「……気のせいでしてよ」
カンテ家は、イネス・フェイユと同じ公爵家だが、カンテ家のほうが上だとされている。そのカンテ家の当主を相手にイネスは露骨に顔を背け、さっさと立ち去ってしまった。
「ブライアン様、ありがとうございました」
「人間として当然のことをしたまで」
そのまま立ち去るかと思ったブライアン・カンテは、じっとアデルを見つめた。品定めするような視線に、そわそわと動き出そうとする体を静かになだめる。
裁判に提出された証拠品を見たいと手紙を出した時、ブライアン・カンテから許可しないと返事が来た。それについて聞きたいが、初対面の相手に直球に物事を聞くのは、貴族社会でよくないとされている。
どう話を切り出そうか考えているアデルに、どこか戸惑いを感じさせる声がかけられた。
「先ほどのようなことは、よく、あるのか」
「私をどうしても悪女にしたいようなので」
はっきりとは答えずに微笑むと、ブライアンはきゅっと口を閉じた。色の薄い唇は真一文字に結ばれていて、眉間には皺が寄っている。
「これで失礼する。君もいい夜を」
「いい夜を」
お辞儀をしたアデルに軽く頷き、ブライアンは去っていった。
(ブライアン様も、私の噂を信じていたのかしら……)
あのブライアン・カンテが噂に踊らされるとは思わないが、言動には違和感があった。アデルの何かを知りたがっているような、自分の中で荒れ狂う感情のはけ口が見つからないような、冷静沈着とはほど遠いブライアンの姿。
ずんずんと去っていくブライアン・カンテを見ながら、何かを掴みかけた気がしたが……それは幻のように、するりと手から抜けていった。
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