俺の紫の薔薇

 送られてきた手紙を放り出し、アデルは深いため息をついた。

 アデルは少し前に、テオバルトの裁判に提出された証拠品を見たいと手紙を送っていた。証拠となった書類を違う筆跡鑑定師に見せたいとも。


 返ってきた手紙には「否」と書かれていた。

 アデルが証拠を改ざんする可能性が高いので見せることも許可できないという文の最後には、ブライアン・カンテの名が書かれている。おそらく証拠品を見るには、提出したブライアン・カンテの許可が必要なのだろう。


(財務署のトップ自らがアデルが疑わしいという手紙を書いて本人に送るなんて……。私の悪名はすごいのね)



「なかなか手がかりが掴めないわ……」



 テオバルトが横領したとされているお金の動きを探らせているが、そちらも成果はない。

 おそらくレノー家がお金を横取りしているはずだが、ここ数年出費は変わらず不審な動きもなかった。横領したお金を使わずに隠しているのならば、打つ手がない。



「お嬢様、そろそろお出かけの時間です」



 サラに告げられ、アデルは気持ちを切り替えた。

 今日は初めてテオバルトとデートする日だ。レースが美しいワンピースとお揃いの白いコートに歩きやすいブーツを履いて薄化粧をすれば、そこには清楚な美少女がいた。



「これなら、テオバルト様と一緒に歩いても大丈夫かしら? ねえサラ、本当のことを言ってほしいの」

「もちろん、大丈夫に決まっております。アデル様と歩けるテオバルト様は幸せ者ですよ」

「……ありがとう」



 サラはそう言ってくれるが、テオバルトはアデルとのデートを面倒だと思っているのではないだろうか。

 ずっとアデルがクレール家へ招待していて、テオバルトに誘われたことは一度もない。さらに最近はテオバルトが鍛錬をしているので、ついにアランの堪忍袋の緒が切れたようだ。

 アデルをデートに誘わなければならなかったテオバルトの気持ちを考えると、ずんと重いものを飲み込んだような気分になる。だが、ここでアデルがデートに行かなければテオバルトが責められてしまう。



「私がテオバルト様に鍛錬するように頼んでいるのよ。テオバルト様に謝らないとお父様とお話しないって伝えておいて」

「かしこまりました。随分と慌てられるでしょうね」

「お父様を困らせたいわけじゃないけれど……テオバルト様にデートをするよう強要するなんて、やっぱり許せないわ」

「どうしてデートに誘ったか、テオバルト様にお聞きになってみては?」

「……そう、ね」

「お嬢様、サラの言葉を忘れないようお願い申し上げます」

「わかったわ」



 いつも味方でいてくれるサラに頭を下げられるのは、どうにも弱い。テオバルトにさりげなくデートの目的を聞いてみようと思いながら、アデルは玄関ホールへ移動した。

 そこにはちょうどやってきたテオバルトがいて、太陽のような笑顔でアデルを見上げていた。



「こんにちは。アデル嬢に会いたくて早く来すぎてしまったんだけど、アデル嬢も同じ気持ちだったと思っていい?」

「は、はい……」



 そわそわして待ちきれずに玄関ホールへ来てしまったアデルは、顔を赤らめてテオバルトの側へ行った。

 テオバルトがどんな気持ちで誘ってこようとも、デートはデート。アデルがにこやかに過ごせばテオバルトの心労も減り、表面上は和やかに過ごせるはずだ。

 最初で最後のデートを少しばかり楽しんで、心を楽しいことで満たしてから、もうひと頑張りしよう。


 テオバルトにエスコートされながら、アデルは馬車に乗り込んだ。

 御者台には一郎と三郎がいて、馬車の後ろをサラと次郎が馬でついてきてくれているが、馬車の中は二人きり。緊張するアデルに、やわらかい声がかけられる。



「今日はアデル嬢のリクエストで鍛冶屋に行くけど、本当に鍛冶屋でいいんだよね?」

「はい! テオバルト様の行きつけのお店で頼みたいものがあるのです」

「親父さんは頑固だけど、とてもいい人だよ。きっとアデル嬢が満足するものを作ってくれる」



 少しずつアデルの緊張がとけていき、馬車の中に笑い声が満ちていく。


 テオバルトはアデルから贈られたお肉ばかり食べていると言い、本当にひとりで全部食べる気だったのかとアデルを驚かせた。ここ最近のアデルは落ち込むことばかりだったが、毎日の中から嬉しい出来事を思い出してテオバルトへ伝える。

 寒いからベッドの中が気持ちいいとか、ハンカチの刺繍がうまくいきそうとか、そういう些細なことだ。



「アデル嬢が刺繍をしたハンカチをプレゼント? アラン様とベルナール様に? そっか、二人は家族だもんね……そっか……」



 なぜかテオバルトが落ち込んだのを見て、アデルは慌てた。



「テオバルト様にはタオルをお贈りしますわ。鍛錬の時に使ってください」

「……アデル嬢さえよければ、刺繍をしたハンカチもほしい」

「えっ……!?」



 この国の貴族女性は、刺繍入りのものを家族に贈る風習がある。婚約者に贈る時には「いつか家族になるあなたへ」という意味が込められているのだ。

 アデルの色白の肌が染まっていき、落ち着きなく瞳が揺れる。サラの言葉を思い出し、細い指をきゅっと握りしめ、アデルは震える唇を開いた。



「……どのような刺繍をお望みですか?」

「薔薇を」



 ハッと息を呑む。この国の薔薇は、愛を意味する。恋愛でも家族愛でも、薔薇で気持ちを表すのだ。



「アデル嬢の髪のように綺麗な紫色がいいな」

「……毒々しいだけですわ」

「そんなことはないよ。紫の薔薇は大好きなんだ」



 テオバルトの手が伸びてきて、そっとアデルの髪をすくいとった。アデルの心臓がかつてないほど速く動き、吸い寄せられるようにテオバルトの目を見つめる。



「どんなに辛くても、真っすぐ凛として咲いている紫の薔薇を……好ましいと、思っている」



 テオバルトの顔に、いつもの笑みはなかった。何度か見たことのある、鋭いのに甘い眼差しがアデルに向けられる。

 それは恋と呼ぶには熱すぎて、愛と呼ぶには鋭すぎた。



「あ……」



 息すら満足にできないまま、アデルの唇から吐息が漏れる。

 アデルの髪が慈しむように撫でられて、テオバルトの顔が近づいてきて、そして……。



「お嬢様、到着いたしました」



 一郎の声がして、アデルは夢から醒めたように瞬いた。



「あ……今、降りるわ」

「お手を、アデル嬢」



 先に降りたテオバルトの手を借りながら、夢見心地のまま馬車から降りる。



「本当に素晴らしい護衛だね」

「え、ええ。3人とも、本当に信頼していますわ」



 テオバルトの質問に半ば反射的に答えたアデルは、寒い空気に体を震わせた。呼吸をするたびに冷気が体の中を巡って、籠った熱を冷やしていくようだ。


(い、今のは何だったのかしら夢だったのかしら……!? 薔薇の刺繍がほしいって、紫の薔薇が好きだなんて、そんなの……!)



「お嬢様、足元にお気をつけください」

「あっ……そうね、ありがとう、サラ」



 アデルの前には、立派な鍛冶屋があった。煙突からは煙が出ていて、中からひっきりなしにカンカンと音がしている。


(テオバルト様の行きつけに行ってみたいと言ったのは私なんだから、しっかりしないと!)


 しゃんと背筋を伸ばすアデルをどこか残念そうに見たテオバルトに気付かず、アデルはドアをノックするよう伝えた。

 しばらくして開けられたドアの向こうには、体格のいいがっしりとした男性が立っていた。分厚いエプロンをつけ、タオルでおでこを覆っている。

 いかめしい顔つきをした中年男性は、くしゃっと笑った。



「テオ! 久しぶりだな!」

「久しぶり、親父さん。今日は俺の婚約者を連れてきたんだ」

「婚約者……って、あの……?」

「初めまして、親父さん様。アデル・クレールと申します」

「……とりあえず入ってください」



 招き入れられて中へ入り、あたりを見回す。カウンターがあり、壁一面に武器や防具が飾ってある。どれも自信を感じさせる品で、アデルのテンションが上がっていった。


(異世界ものを読んで魔法に憧れていたけれど、やっぱりこういうのも素敵! 異世界って感じがするわ!)


 目を輝かせたアデルはテオバルトの腕から手を離し、きらきらとした目で武器を見て回った。自然と離れた熱に苦笑したテオバルトがアデルを守るように後ろをついていき、さらにその周囲を護衛が警戒する。

 それを見た親方は、ぽつりと呟いた。



「噂とはずいぶん違うな……」




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