俺は本気だよ

「どうしてテオバルト様が我が家に……?」



 今日は家へやってくる日ではない。つぶやいた言葉に、三郎は困った顔をした。



「申し訳ございません、聞いておりません」

「いいの、三郎は訪問を伝えてくれただけでしょう? 今すぐ行くわ」



 三郎は何か言いたそうな顔をしたが、結局口をつぐんだ。


 一緒に騎士団へ行ったサラと護衛の三人は、テオバルトへの不信感が募っている。テオバルトが信頼できる人間として名前を挙げたから、ジェラルド、マキシム、セルジュに会いに行った。それがテオバルトの冤罪を晴らすことに繋がると信じて。

 だが実際は、アデルに暴言を吐いて傷つけただけだった。護衛の誰かが切り捨てても許されるほどの無礼だったのだ。


 応接室へ向かうと、ドアの前に次郎が立っていた。いつものお調子者ではなく険しい顔をして、アデルを案じてくれている。

 次郎と三郎を見たアデルは、こんな時なのに嬉しい気持ちが沸き上がってきた。こんなにも味方がいてくれるなんて、なんて頼もしいんだろう!



「ジェラルド様たちは、テオバルト様のことがとても大事なのよ。あなたたちが私を大切に思ってくれているように。だからこそ、彼らの信頼を得たいと思っているわ。テオバルト様がジェラルド様たちを紹介してくださったことにも、きっと意味があるから。……あの後、すぐに私の気持ちを伝えられなくてごめんなさい」

「俺のハートに、お嬢様の気持ちは伝わっていますよ」

「そうですよ! 俺もばっちり伝わっています!」



 いつもの調子に戻った次郎と、必死に慰めようとしてくれている三郎に心が軽くなって、くすくすと笑う。



「あとでサラと一郎にも伝えるわね。……ドアを開けてちょうだい」



 防音の重い扉を難なく開けた次郎に目くばせし、三郎と一緒に部屋へ入る。

 その瞬間、テオバルトの鋭い眼光がアデルを貫いた。真剣で斬り合いをしているような、熱を持った眼差し。



「こんにちは、アデル嬢。先ぶれもなく突然訪問してしまってごめんね」

「あ……いえ、大丈夫ですわ」



 一瞬のちに熱はかき消え、テオバルトの太陽のような笑みがアデルに向けられる。誰にでも優しい、向けられるだけで微笑み返してしまうような笑み。


(気のせい……よね?)


 テオバルトはアデルの前ではいつも笑顔だった。二か月近くそうだったのに、突然変わるとは思えない。

 とうとうアデルに愛想をつかした……とは思いたくないので、心の中で全力で否定する。



「鍛錬をしたくなったのですか? 私から突然呼び出されたと言えば連日来ても不自然ではないでしょうから、いつでも来てくださいね」



 テオバルトの相手をする護衛を集めるよう、後ろに控えていた一郎に視線を送る。それをテオバルトが咳払いで止めた。



「アデル嬢が我が家にたくさんのお肉を送ってくれたよね? そのお礼に来たんだ」

「テオバルト様が直接?」

「すごく嬉しかったから。お礼状も書いて来たんだけど、結局俺が持ってきちゃったんだ」



 照れたように懐から出された手紙を受け取り、アデルはほがらかに笑った。



「届いたのは数時間前でしょう? テオバルト様がすぐ来られるほどお気に入りのお肉をプレゼントしてよかったですわ」

「……俺へのプレゼント?」

「以前ブローチをいただいたので、そのお返しです。本来なら装飾品を贈るべきなのでしょうが、負担になると思いまして……。どうぞ皆さまでお食べくださいね」



 なぜか少し俯き、ふーっと小さく息を吐いたテオバルトは、すぐに顔を上げた。



「アデル嬢からのプレゼントなら、俺が全部いただくよ」

「テオバルト様はたくさん食べるのですね。素敵ですわ」



 テオバルトの言葉を本気にしていないアデルは、にこにこと「体を鍛える方は食べることも訓練ですものね」と続けた。



「うん、全部俺が食べるよ。今日はアデル嬢へお礼を言うのと……顔を見たくて来たんだ。それと、前に言ったパティスリーのケーキを持ってきたんだ」

「覚えていてくださったのですか?」

「アデル嬢が喜んでくれる機会をみすみす逃すわけにはいかないよ」



 サラが動き、テーブルの上にケーキが並べられる。

 真っ赤で艶やかな苺がたっぷりとのった小ぶりのタルト、真っ白な生クリームが美しいショートケーキ、柑橘類が綺麗に盛り付けられたムースケーキなど、一人では食べきれないほどの量だ。



「綺麗……! 嬉しいです、本当に、とても……!」

「喜んでもらえてよかったよ。オジサンとティータイムを楽しんでくれるかな?」

「……、はい」



 オジサンという言葉に、アデルの浮いた心がまた沈んでいく。

 勘違いしてはいけないと思っているのに、テオバルトのささいな言葉で舞い上がり、何度も同じ過ちを繰り返してしまう。


(うぅっ、今日も直視できないほど素敵だわ……!)


 小麦色の髪は窓からの光できらきらと輝き、人懐っこい笑みがアデルにだけ向けられている。10歳年上だとは思えないほど若々しいのは、生命力のようなものがみなぎっているからだろう。



 それからはおいしいケーキを楽しみながら会話をし、ゆっくりとお互いのことを知っていく時間が過ぎた。アデルは会話とも呼べない独りよがりなお喋りをやめ、テオバルトは相槌を打つだけではなくアデルへ質問して自分の近況を語った。

 婚約してから二か月。二人はようやく少しずつ歩み寄っていった。







 今日は鍛錬をしないと言ったテオバルトは、本当にアデルとティータイムを過ごしただけで帰ってしまった。

 テオバルトを見送り、夢のような時間を何度も反芻する。


(まるで、テオバルト様が私に会うためだけに来てくれたみたい……。って、また勘違いしているわ!)



「夕方にもなっていないから、一度騎士団へ行ってみようかしら。今度は手土産を忘れずに!」



 テオバルトは、自分が紹介したジェラルド達のことを気にしていた。テオバルトを強く思うあまり無礼なことをしていないか、必要なら自分が手紙を書くとまで言ってくれた。

 だが、テオバルトからの手紙を見たジェラルドたちが話してくれるとは思えない。アデルが無理やり書かせたのだろうと逆上する光景が目に浮かぶ。



「手土産があれば話し合いが出来るかもしれないわよね!」





 ……と、思っていたのだが。


 手土産にした、テオバルトが好きな料理に心を動かされた様子はあったが、ジェラルドはやはりアデルのことは信用していないようだった。以前と違うのは、怒らずに話を聞いてくれたこと。

 前回アデルが来たあと冷静になり、話を聞いてみようと思った心境の変化がわかり、アデルも必死に自分の気持ちを伝えた。



「裁判で証言した人間が、全員いなくなってしまったのです。テオバルト様が冤罪だとわかる何かを知っているのなら、どうか教えてください! どうしてもテオバルト様をお救いしたいのです!」



 ジェラルドは、前のように怒鳴らなかった。アデルがテオバルトを想う気持ちや今の状況を、ただ黙って聞いていた。



「……状況は、わかった。だが、アンタを信じきれない。アンタが冤罪に関わっていない証拠がほしい」

「証拠……」



 そんなものはない。

 戸惑うアデルに、ジェラルドは背を向けた。



「……前は、悪かった」

「え?」

「騎士なのに、レディーを怒鳴って傷つけた」

「……お気になさらず。テオバルト様の危機ですもの、誰だって取り乱しますわ」



 誤解されることに慣れきったアデルの声には、諦めが滲んでいた。感情がすり切れて、痛めつけられて嫌われることが当然だと思っている態度に、ジェラルドの心がことりと動く。



「マキシム様とセルジュ様にもお会いしますので、本日はこれにて失礼いたします。夕食前にお時間をとっていただき、ありがとうございました」

「いや……こっちこそ……。あっそうだ、マキシムとセルジュは今日はいないから!」

「では、また出直します」

「いやっ、時間を空けて来てくれ。数週間くらい!」

「わかりました」



 サラが部屋の隅を厳しい目で見ているのに気付かず、アデルは深々とお辞儀をして部屋をあとにした。

 ……結局、アデルが一方的にまくしたてただけで話し合いはできなかった。前よりはアデルの話を聞いてくれて、少しは前へ進めたと思ったのに。


(私が冤罪に関わっていない証拠なんて、一体どうすればいいの……)


 犯人はシリル・レノーだとわかっているのだから、クレール商会に協力してもらって必死に調べれば、テオバルトが冤罪だという証拠が出てくると思っていた。それなのに現実は八方ふさがりだ。


(ジェラルド様たちに信用されないのは、私がアデル・クレールだから。家族以外に協力者がいないのは、テオバルト様を手に入れるために冤罪を作り上げる悪役令嬢だと思われているから)


 騎士団を出たところで、アデルの足はゆっくりと止まった。真っ赤な夕日が、アデルの紫色の髪を照らし出す。

 昔から、この髪が大嫌いだった。もっと綺麗な色がよかった。



「……ヒロインなら、全部うまくいくのに……」



 ―—テオバルトを救おうとしているのがアデル・クレールだから、全てがうまくいかないのだ。


 落ち込みかけたアデルは、心配そうに見ているサラと護衛たちに気付いた。



「……ありがとう、私は大丈夫よ。落ち込んでいる暇はないものね」



 心配させないためではなく、心からの笑みを浮かべる。

 どんな時でも絶対的に自分の味方でいてくれる人の存在は、本当に心強かった。




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