裁判の裏側
「こんにちは、アデルお嬢様。お元気そうで安心いたしました」
応接室に入ったリックの第一声と眼差しがとても優しく、アデルははにかんだ。騎士団へ行った後にアデルがひどく落ち込んでいたのは、リックにまで伝わっていたようだ。
さぞ気落ちしているだろうと気を揉みながらやってきたリックは、予想外の光景に目を見開いた。アデルの気合がみなぎっていたのだ。
家からめったに出ず、引っ込み思案だった以前のアデルからは考えられない力強さだった。
(私が死ぬまで、あと四か月しかないわ。落ち込んで時間を無駄にしちゃ駄目!)
アデルが積極的に動いた途端にショッキングな出来事が次々と襲い掛かってきたが、それはきっと当然のことだ。アデルが見て見ぬふりをしていただけで、現実はずっとそこにあったのだから。
「今までたくさん泣いたもの。テオバルト様を救うのなら、落ち込んでいる暇はないわ!」
「……本当に、大きくおなりになったのですね」
「泣いたことはお父様とお兄様には秘密ね?」
「もちろんですとも」
慌てるアデルを微笑ましく見つめたリックは、持ってきたケースを机の上に広げた。
「婚約者様にプレゼントを、ということでしたので、男性向けのものを選んでまいりました」
ハンカチやカフスボタンなどの王道から、男性用のワックスやテオバルトに似合いそうな装飾品が次々と出てくる。
テオバルトへ贈り物をしたいと思ったのは、テオバルトの冤罪がアデルの手で作り上げられたという噂を知る前だ。テオバルトがそれを信じているであろう今は、プレゼントするのは気が引けてしまう。
(テオバルト様はブローチをくださったわ。そのお礼だと言えば、不自然ではないかしら……)
実はアデルは、テオバルトに贈り物をしたことがなかった。落ち込んでいるテオバルトに贈るものが思いつかなかったからだ。
元気になった時に何か贈ろうと考えていたが、それは盛大な独りよがりだった。お茶会もおしゃべりも、したかったのはアデルだけなのだから。
婚約者でいられるうちに一度でいいからプレゼントを贈りたい。形に残るものや高価なものだとテオバルトは困るだろう。
「つまり、消え物……! テオバルト様がお好きなのは脂身が多めのお肉だわ。ヴァレリー家の皆様も食べられるよう、たっぷりお贈りしてくれる?」
「……かしこまりました」
リックも、後ろに控えているサラも次郎も同じ表情をしていたが、アデルは気づかなかった。
「お父様とお兄様に贈るハンカチと刺繍糸をいただくわ。上手ではないけれど、刺繍入りのハンカチを贈りたいの。あとはクレール商会のみんなが使えるようなものを見繕ってもらえる? ずっと見守ってくれていたみんなに何か贈りたいから」
「そのお気持ちだけで十分ですよ」
そう言われても、ずっと半引きこもり状態だったアデルを好いていてくれただけで嬉しい。
前回クレール商会へ行った時に購入したハンドクリームや整髪料などは、誰でも使えるように使用人部屋に置いてもらっている。かなり好評だと聞いて、少しばかり恩返しできたような気持ちになったものだ。
リックに必要なものを選んでもらうと、アデルはすっと背筋を伸ばした。
「では、報告をお願いするわ」
「かしこまりました。裁判で証言した人間ですが、全員行方不明です。騎士団員と、商人だったジャンは辞職し、それから目撃情報はありません。筆跡鑑定師と娼婦は、裁判に出かけたきり消えております」
「……消されたのね」
「おそらくは。生きている可能性は低いでしょうが、まだお探しになりますか?」
「いいえ、もういいわ。あなた達が探して見つからないということは、そういうことだから。騎士団に納品していたピエール商会はどうなっているの?」
「横領に関与していたのはジャン個人でピエール商会自体は関係ないと主張して認められましたが、騎士団への納品はなくなりました。クレール商会に契約の話が来ましたが、旦那様が断っております」
「お父様が? ……そうね、ここで騎士団へ納品するようになったら、私がテオバルト様を陥れたとさらに思われてしまうわ」
気遣うように見てくるリックに微笑んでみせ、アデルは報告書を読みながら考え込んだ。
ピエール商会は中規模だが信用されている商会だ。騎士団と契約できたのは、代々騎士団長を務めてきたレノー家の推薦があったからだ。シリル・レノーもピエール商会あるいはジャンと取り引きをしていたはず。
それが、この裁判でピエール商会との取り引きはなくなってしまった。ピエール商会からレノー家へあったであろうキックバックがなくなり、レノー家は使える手駒がひとつ減ってしまった。
「それで、次に契約した商会がブライアン・カンテの紹介なのね……」
財務署のトップ、ロボットのようなブライアン・カンテの推薦ならば間違いないだろう。金銭の横領があった後なので、商会は徹底的に調べ上げられたはずだ。
「ピエール商会を失ってまで、騎士団長の座をレノー家のものにしたかったということ……?」
「そうではないかと思っています。レノー家の栄光は過去のもの、騎士団にしがみつくしかないのです」
報告書をめくり、シリル・レノーとレノー家に関する箇所を読んでいく。
レノー家は代々武官を輩出しており、戦争で武功を上げて侯爵となった家だ。騎士団で実権を握っているレノー家だが、戦争が終わって和平が結ばれると、次第に権力を失っていった。
レノー家が騎士団に固執している状況で、一年前に騎士団長になったのがテオバルト・ヴァレリーだった。
ヴァレリー家は代々文官を輩出していて、レノー家とは折り合いが悪い。文官になれという圧力の中で見習いとして入団したテオバルト・ヴァレリーは、総当たり戦で優勝して団長となった。
優勝者には団長となる権利が与えられ、代々レノー家が優勝してきた。総当たり戦の翌日、騎士団長であったクレイグ・レノーは騎士団を辞めた。
プライドの高いクレイグ・レノーには耐えられなかったのだろう。ちなみにテオバルトは、クレイグとシリルの二人と戦っているが、どちらにも勝っている。
「クレイグ・レノーが計画してシリルが実行したのかしら」
ゲームではシリル・レノーがひとりで計画し実行したと自白したが、実際は違ったのではないだろうか。レノー家を守るため、シリル・レノーはすべての罪を被ったのだ。
「証拠さえあればいいのですが、すべて消されております。申し訳ございません」
「リックが謝ることはないわ。レノー家は用意万端にしてから裁判を起こしたはずだもの。何か見落としがないか、もう少し考えてみるわ。リックも、何かわかれば教えてちょうだい」
「すぐにお伝えいたします」
リックを見送ってから、部屋に戻って考え込む。
状況を知れば知るほど、テオバルトの冤罪はレノー家が作り上げたものだと思えてしまう。実際、ゲームではシリル・レノーが犯人だったのだから。
「そうだ、裁判に提出された証拠を実際に見に行ってみようかしら? 確か申請すれば見られたはず。あとは騎士団の方々が、テオバルト様の潔白を証明できる何かを知っていればいいけれど……」
うまくいかないかもしれないが、希望がないよりマシだ。今は昼前で、どこかへ行く時間は十分にある。
父と兄と昼食を一緒にする約束をしているので、ハンカチに刺繍をしながら昼食の時間になるのを待つことにした。アデルは刺繍が上手ではないが、それでもアランとベルナールならば喜んで受け取ってくれると確信していた。
家族そろっての和やかな昼食を終え、外出することを告げて支度を終えたアデルの元へ、三郎がやってきた。
「テオバルト・ヴァレリー様がお越しになりました」
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