俺を見て
アデルが泣くのは、決まって自室のベッドの中だった。
クレール商会から帰ってきたアデルは部屋に閉じこもり、しばらく泣いて過ごしたが、テオバルトが訪れる日になると部屋から出た。
少しばかり頬がこけ、肌荒れを薄化粧で隠しているアデルは、いつもより元気がなかった。屋敷へ来たテオバルトも一目で気付き、心配そうにアデルを見つめる。
「こんにちは、アデル嬢。もしかして、体調が悪いんじゃないかな? 今日は帰るから、ゆっくり休んでほしい」
「いえ、大丈夫です。まずはお茶をどうぞ」
温室へ案内したアデルは、サラも含めすべての使用人を下がらせた。
礼儀として一口でもお茶を飲むべきだろうが、それをせずアデルは口を開いた。テオバルトはきっと、ここでアデルの相手をしてお茶を飲むより、体を動かしたいだろうから。
「テオバルト様が不利になったり嫌味を言われたら、都合の悪いことはすべてアデル・クレールのせいだと言ってください。はっきり言わなくとも、におわせるだけで結構です」
「……そんなことはしない。オジサンは、嫌なことなんて言われていないよ」
オジサンという言葉に、アデルのやわらかい心がさらに抉られていく。
アデルを気遣う視線や微笑みを直視できず、アデルはさりげなく視線を外した。
「今までも、嫌なことをたくさん言われてきたでしょう。気付かなくて申し訳ありません。でも、これは私の作戦に必要なのです」
本当は、テオバルトの冤罪を晴らすのに必要なことではない。ただ、テオバルトの印象をよくするためだけのものだ。
アデルは、ずっと考えていた。
嫌われてなおテオバルトを救う意味があるのか? そのうちヒロインが助けてくれるのでは? 今離れれば、花祭りで死なずに済むんじゃないか?
そして何度でも、同じ結論にたどり着く。
(私はまだ、こんなにもテオバルト様が好きだわ……)
前世のアデルにとって、つらい受験勉強の中で唯一の救いがテオバルトだった。わずかな自由時間にはゲームをしてテオバルトに会い、明日はこのスチルを見よう、明後日はこのセリフを聞こうと命を繋いでいた。
今世でのアデルも同じだった。嫌われ者の悪役令嬢で毎日がつらかったアデルにとって、テオバルトに出会えたことはあまりにも僥倖だった。
毎日テオバルトが何をしたか知るだけで幸福になれた。絶対に出なければならないパーティーにも行くことができた。
アデルにとってテオバルトは光であり、なくてはならない存在だった。
たとえテオバルトに嫌われていようと、今テオバルトを救えるのは自分だけ。それだけがアデルを支えていた。
本当は、ヒロインと出会うのを待つべきだろう。
それなのに、テオバルトが冤罪だと証明されるには少しでも早いほうがいいと、ヒロインがテオバルトを選ばないかもしれないからと言い訳をして、形だけでも婚約者として過ごしていたいと願っている。
(我ながら醜悪ね。テオバルト様に嫌われるのも当たり前だわ……)
だから一層、決意を新たにする。ヒロインが現れたのなら、絶対に身を引く。二人が恋仲になるよう応援する。
そしてアデルは死なないように最善を尽くし、テオバルトとの思い出を胸にこの国から去るのだ。
「テオバルト様の時間を奪って申し訳ありません。どうぞ鍛錬をしてください」
「アデル嬢さえよければ、少しお茶を飲まないか?」
「あっ、そうですよね。使用人にはよく言い聞かせておきました。使用人が失礼な態度をとってしまい、本当に申し訳ございません。これからはテオバルト様が不快な思いをすることはありませんので、ご安心ください」
「使用人は関係ないよ。俺がアデル嬢と話したいんだ」
なぜ、と首を傾げてからハッとする。
「お父様とお兄様ですね! 二人は怒っておきますので、どうぞお気遣いなく」
「そうじゃないけど、アデル嬢が嫌なら、いいんだ」
「嫌ではありません!」
力強く否定したあとに、淑女らしくなかったと顔を赤らめる。
「なら、どうか俺に時間をくれないか?」
乞うように言われて、アデルの視線が激しく左右に動く。ごまかすためにお茶を飲むと、途端にのどの渇きを自覚した。緊張で自分の状態もよくわかっていなかったようだ。
「わかりました。何があったのでしょう?」
「何って……特になにもないよ。アデル嬢と話したいだけ」
「あっ、裁判について何もお知らせしていませんでしたわね! 申し訳ありません、まだあまり進んでいないのです」
「俺のためにありがとう、アデル嬢。だけど俺はただ、アデル嬢の話を聞きたいだけなんだ。鍛錬できるのは嬉しいけれど、あまり一緒にいられなかったから」
(それって、私に興味を持ったということ……?)
アデルの顔が瞬く間に赤く染まる。それをお茶を飲んで隠しながら、アデルは必死に自分を戒めた。
優しいテオバルトの言葉を、好意があると勘違いしてはいけない。テオバルトは誰にでも優しくて、それゆえに人たらしなのだ。
「今度、アデル嬢が気になっていたパティスリーのケーキを持ってこようと思っていたんだ」
「……覚えていてくださったのですか?」
「もちろん、アデル嬢の話は覚えているよ。よく生クリームを使ったケーキとタルトを食べているから、そういうケーキを買ってくるね」
「あっ、ありがとうございます」
嬉しい。嬉しい。
テオバルトがアデルの話を覚えてくれていて、好みを把握していたなんて、想像もしていなかった。テオバルトの頭に少しでもアデルの情報が入っていることが、こんなにも嬉しい。
「シェフに伝えて、テオバルト様がお好きな軽食を用意してもらいますわ。運動の後はたんぱく質ですものね」
「クレール家の料理はいつもおいしいから、楽しみだよ。そうだ、鍛錬を見に来ない?」
「いえ、お邪魔になりますから」
「大丈夫、邪魔なんかじゃないよ。それに、たまに見ているよね?」
「あ、その、えっと……」
「護衛の方も、アデル嬢に特訓の成果を見てほしいと言っていたよ」
テオバルトが言う護衛とは、二年前に首になりかけた3人だ。
特訓が激しいあまり、途中で錯乱して「俺たちのことは1,2,3と呼んでください!」と言い出した時は、どうしようかと思ったものだ。親からもらった大事な名前なのだからとアデルが言うと、涙を流して平伏していた。
近頃は情緒も安定し、クレール商会へ行った時も護衛をしてくれていた。3人とも顔が整っており、それぞれ違う魅力を放っている。そろそろ結婚してもおかしくない年齢なので、錯乱が治って本当に良かった。
「……3人がいるのなら、見に行きますわ。きちんとテオバルト様のお相手をしていますか?」
しばらくしても返事がなく、ふっと目を上げたアデルは、テオバルトの笑顔が消えていることに気付いた。
アデルの前ではいつもやわらかな笑みを絶やさなかったテオバルトが真面目な顔をすると、それはもう格好いい……! じゃなくて!
「テオバルト様……?」
「3人とも、すごく強いよ。なかなか決着がつかないんだ」
不安そうに見つめるアデルの前で、テオバルトはいつもの笑みに戻った。
深く聞ける関係でもないアデルは、できるだけ口角を上げた。テオバルトがアデルを嫌っている空気を出されると、ダメージがすごい。すでに瀕死だ。
よろよろと鍛錬を見に行ったアデルは、意外とすぐに回復した。鍛錬用の動きやすい服に着替えたテオバルトはいつもと違った野性的な魅力が加わり、剣を握る真剣な瞳は鋭くて美しい。
「いつもは柔軟と体力づくりから始めるんだけど、せっかくアデル嬢が来てくれたから打ち合いから始めたんだよ」
はにかんで汗をぬぐうテオバルトの姿を、アデルは一生忘れないと誓った。
護衛の3人もアデルが来たことをとても喜んでくれ、話が弾んだ。部屋にこもっていたアデルが出てきたのが嬉しいようだ。
その後少しだけ鍛錬を見たアデルは、さすがに邪魔だろうと部屋に戻り、テオバルトとディナーを食べてから見送った。
(今日のテオバルト様は、いつもと少し違うような気がしたけれど……)
違和感の正体を掴めないまま部屋へ戻ったアデルは、一人になってからようやく気が付いた。
「テオバルト様から婚約破棄の書類を返していただいていないわ! 私を信用できないから渡せないのね! それなのに私ったら、お茶をして鍛錬を見て浮かれていたなんて……!」
ああああぁぁぁ、と叫びながら枕に顔をうずめる。
テオバルトは婚約破棄のことを言い出せずにいたに違いない。いや、冤罪が晴れるまで婚約破棄の書類を持っておきたいのかも。テオバルトにとっては、そちらのほうが安心できるはずだ。
「裁判が終わったら、テオバルト様に婚約破棄の書類を提出していただきましょう……」
浮かれてしまった自分を恥じながら、アデルはベッドにもぐりこんだ。
今晩も、なかなか眠れそうになかった。
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