衝撃の事実
「さあ、出かけるわよ! サラ!」
「玄関前に馬車を用意してあります」
やわらかなウェーブを描く髪をポニーテールにしたアデルは、気合いを入れて馬車に乗った。家からほど近い場所にあるクレール商会へ行くためだ。
久々の外出に心が弾む。友人のいないアデルはお茶会の招待も滅多に来ず、パーティーに出るのも最低限だった。
そう、アデルには友達がいない。一人もいない。悲しい事実である。
頼れるのは父アランと兄ベルナール、使用人のみんなとクレール商会。クレール商会はその名が表す通りクレール家が経営しているので、実質アデルの味方はクレール家のみだ。
「お嬢様、到着いたしました。お気をつけてお降りください」
「ありがとう。サラもね」
馬車からおりてクレール商会を見上げたアデルは、高級店なことに内心怯えた。前世では、こんな店に一度も入ったことはない。
アデルが尻込みしているあいだにドアが開けられ、中から高級そうなスーツを着た男性が出てきた。ぴっちりと撫でつけたオールバックに丸眼鏡はうさんくさい雰囲気だが、実際はとても優しいおじさんだ。
「お待ちしておりました、アデル様。どうぞ中へお入りください」
「今日はよろしくね、リック」
リックは、いくつもあるクレール商会の店舗の中で一番高級な店の支配人をしている。ちなみに貴族を相手にする時は家へ行くので、貴族向けの店舗は持っていない。
裕福な平民を相手にしているこの店の内装は、紫と柔らかな金をメインとしたシックなものだ。金色に薄紫を溶かしこんだアランとベルナールの美しい髪と、アデルの髪を彷彿とさせる紫色だ。
リックに案内されて、三階のVIPルームへと向かう。この部屋は誰でも入れる一階よりも濃い紫で彩られていて、インテリアも落ち着いたものが多い。
防音のドアが閉められると雑音が消え、部屋の中が一気に静かになった。ソファに座ったアデルの後ろにサラが控えると、アデルはリックにソファに座るようすすめた。
「今日はこの店の支配人のリックではなく、情報屋のリックに会いに来たの」
「かしこまりました。では、失礼いたします」
きらりと反射した眼鏡の中で、リックの細い目がさらに細められる。真面目な話をしに来たのに、アデルは思わず微笑んでしまった。
「リックってば、そんな顔をすると本当にうさんくさいわよ。悪徳商人みたい」
「ええっ、本当ですか!? せっかくアデルお嬢様が来てくださったのだからと、格好よくしたつもりだったのに!」
「リックはいつも格好良いわよ」
「ああもう、お嬢様には敵いませんね! お嬢様のために、精一杯やらせていただきます」
クレール商会の顧客は、金銭の代わりに有益な情報で支払うことができる。
他家の情報を売る貴族のおかげで、クレール家は多くの貴族の弱みを握っている。自分の弱みを握られて気分のいい人間はいないので、クレール家は恐れられると同時に忌み嫌われているのだ。
もともと商人は人と会うことが多く、たくさんの噂を得ることができる。それらを組み合わせれば、自然とほとんどの情報を手に入れることができた。
アランからの婚約祝いは、クレール家の者だけが活用できる情報だった。今までアデルはアランとベルナールに守られているばかりだったが、これからは自分で戦わなければならない。
「テオバルト・ヴァレリー様のことはご存じよね?」
「はい。お嬢様、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう、リック。お父様がテオバルト様の報告書をくださったのだけれど、調べたのはリックね?」
「はい。裁判で出された証言と証拠はすべて記してあります」
ゲームの中でも、シリル・レノーがテオバルトを陥れた証拠はない。
ヒロインの一所懸命で一途で純粋な性格にシリル・レノーが感化され、テオバルトを陥れたことを自白する。ヒロインとテオバルトの諦めない姿が、シリル・レノーを変えたのだ。
では、ヒロインではなくアデル・クレールが相手だとどうなるだろう?
アデルが滅多に外に出ないのをいいことに、貴族社会では毒婦だの悪役令嬢だの、好き勝手に言われている。
遠まわしに嫌味を言われても、パーティーなどでさりげなく無視されても、アデルは全て受け入れていた。アデルに嫌な思いをさせていた貴族が、アランとベルナールの手によって軒並み没落していったからだ。
アデルはそれを喜ばない、繊細な心の持ち主だった。
(自分が我慢すればいいと思っていたのよね……。今は言い返しちゃうだろうけど)
本来のアデルがどうであれ、嫌われ者であることは変わりない。そんなアデルに、シリル・レノーが感化されるとは思えなかった。
(自白剤を使うと、裁判で証言が認められないのよね。そうでなければ、捕まえて自白させて終わりなのに)
「まずは、テオバルト様の裁判で証言した人を探してほしいの。筆跡鑑定師、騎士団員、娼婦、騎士団に出入りしていた商人。それと、シリル・レノーとレノー家について調べて」
「かしこまりました。次からはお屋敷にお伺いしてお伝えします」
「ええ、お願い。今日は初めて情報屋としてのリックに会うから、どうしてもここへ来て、顔を見て話したかったの」
「……お嬢様も、随分と大きくなりましたね。もう婚約なさる年だなんて……」
凜とした雰囲気をまとうアデルの成長に、リックが感極まって涙を浮かべる。
「リックにはいつも家に来て、ドレスを見立ててもらったわね。リックの目は確かだわ。頼んだことがわかったら、男性へのプレゼントをいくつか持ってきてくれる? テオバルト様へ贈りたいの」
「かしこまりました。わかり次第、お伺いいたします」
せっかくだからといくつか商品を買ったアデルが部屋を出ようとすると、リックに引き止められた。
「お嬢様には大変お伝えしづらいのですが、いつかお聞きになると思いますので、今お伝えいたします」
「なあに? そんなに深刻な顔をして」
「……アデルお嬢様がテオバルト・ヴァレリー様を手に入れるために、冤罪を作り上げて手に入れたという噂が広まっております」
「…………えっ?」
動きが止まったアデルの後ろで、サラの目が吊り上がった。
「アデル様はそんなことをいたしません! テオバルト様をお助けしただけです! テオバルト様が以前に婚約した時も何もせず、二年もストーカーをしていたんですよ!? テオバルト様がこれほどの窮地に陥らなければ、ずっとストーカーをしていたに違いありません!」
サラが感情を表に出すことは滅多にない。アデルのために怒ってくれるのは嬉しいが、今は素直に喜べなかった。
「私、そんなことしてないわ……」
「もちろん、私共はわかっております。ただ、テオバルト様のお耳にも入っているのではないかと……」
それがどういう意味かわかった瞬間、アデルの目の前が真っ暗になった。
いつもアデルに壁を作るテオバルト。愛想笑いをして、アデルの話に相槌を打つばかり。
(……私が陥れたと、そう思っていたのね……)
テオバルトからすれば、すべてを奪ったアデルが何食わぬ顔で手を差し伸べてきたように見えたはずだ。その時テオバルトはどんな気持ちだっただろう。きっと、侮辱されたと思っただろう。悔しくて眠れなかっただろう。
ヴァレリー家は侯爵だが、実際はクレール伯爵家のほうが権力を持っている。婚約の申し出を断ったらこれ以上のことをされると思い、アデルと婚約したのだ。
「そう……そうだったの……。テオバルト様が、好きになってくださらないのも当然ね……」
「そんなことはありません! アデル様を愛さないなど、あの男は無礼です!」
サラは憤ってくれるが、そういう態度が余計にテオバルトを追いつめていたのだと思う。
使用人がテオバルトに無礼を働くことはなかったが、アデルに愛されて同じだけ愛を返さないなんて、という不服に思う気持ちは透けていた。
テオバルトがどれだけ苦しかったのかという気持ちと、こんな噂を流されるほどアデルが家族以外から嫌われていたという事実、それをテオバルトが信じていた苦痛。
それらが一気に襲い掛かってきて、アデルの体がくらりと傾いた。
「お嬢様!」
サラに支えられてなんとか倒れ込まずに済んだアデルの目は、悲しいほどに渇いていた。
「教えてくれてありがとう、リック。屋敷で待っているわ」
「……はい」
「今日は帰るわね」
これでもまだテオバルトを救うつもりでいるのかという無言の問いには、気付かないふりをした。
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