私は悪役令嬢3

「お嬢様の髪は艶やかで、本当にお美しいです」



 サラの言葉に、はにかんでお礼を言ったアデルは鏡に映る自分の姿を見つめた。

 毒々しい紫色の髪は、クレール家特有のふわふわとした髪質だ。膨張しないように丁寧にオイルで整えられた髪はウェーブを描いて、華奢な背中を覆っている。

 つり目がちな瞳は髪よりも濃い紫だが、アデルを見るとすぐ目を逸らす者ばかりなので、知っているのは家族と使用人くらいだろう。

 きつい印象をうけるが、文句なしの美少女が鏡に映っていた。



「テオバルト様にいただいたブローチをつけていきますか?」



 銀と真珠の組み合わせをみるに、テオバルトはアデルの髪色と合わせて選んでくれたようだ。

 この上なく嬉しいのに、これをつけると自分が死ぬスチルが浮かんできてしまう。



「……今日は、やめておくわ」

「かしこまりました」



 まだ体力が戻っていない体でゆっくりと歩きながら、テオバルトの待つ温室へ向かう。緑の中に色とりどりの花が咲く温室は、外とは違い暖かかった。



「アデル嬢!」



 椅子から立ち上がったテオバルトに心配そうに見つめられ、アデルの心臓がぎゅんと跳ねた。

 タレ目がちな目と、すっと通った鼻。輝く小麦色の髪と目は、テオバルトの内面を表したように明るい。

 テオバルトの瞳に自分しか映っていないというだけで、アデルの心は簡単に喜びで満ち溢れる。できるだけ感情を出さないようにしながら、アデルは微笑んだ。



「ごきげんよう、テオバルト様。前回のお茶会では、倒れてしまい申し訳ありません」

「怪我は? 体調はもういいのかな?」

「はい、もう大丈夫ですわ。お父様とお兄様が失礼なことを言ったようで、大変失礼いたしました」

「アデル嬢がいきなり倒れたのだから、お二人が混乱するのも当然だ」



 否定しないあたり、やはりアランとベルナールはテオバルトに詰め寄っていたらしい。

 申し訳なく思いながら、テオバルトにエスコートされて椅子に座る。サラがお茶を淹れてくれ、お菓子をセッティングし、そっと下がる。

 お互いお茶を飲んでから、さっそく本題に入ることにした。



「私は今でも、テオバルト様の横領は冤罪だと思っております」

「……ありがとう、アデル嬢」



 記憶が戻る前のアデルも「あのテオバルト様が横領なんてするわけがない!」と主張して、アランに事件のことを調べてもらっていた。


(開廷を阻止できなかったことが、心底悔やまれるわ……)


 テオバルトの裁判は用意周到に隠し通され、テオバルトが横領した証拠が揃った状態で開廷された。

 アデルがテオバルトの危機を知ったのは、裁判の最中だった。クレール家の力をもってしても一度始まった裁判を中止にはできず、半狂乱になりながら裁判所へ駆け込んだその時、アデルの目の前でテオバルトの有罪が告げられたのだった。



「もう一度、開廷を要求します。テオバルト様が冤罪だという証拠をそろえて」

「……っ!」

「父と兄に頼んで裁判で提出された証拠を調べてもらい、もう一度確認しております。捏造されたのですから、絶対に、どこかに綻びがあるはずです。私は諦めません」

「アデル嬢……嬉しいが、オジサンのために無理はしないでほしいんだ」



 オジサンという言葉に、アデルは目を伏せて微笑んだ。そうしないと、泣いてしまいそうだったから。

 アデルとテオバルトは10歳離れているが、貴族同士の結婚では珍しくない年齢差だ。

 テオバルトは27歳で、まだオジサンという歳ではない。それなのに、アデルの前ではことあるごとに「自分はオジサンだ」と言い、壁を作る。


(本当に、私に好意がないのね……)


 恋でくもった視界がクリアになると、テオバルトの気持ちがよく伝わった。

 テオバルトは窮地を救ってくれたアデルに感謝して、一般的な令嬢に接するような丁寧な態度を決して崩さない。礼儀正しいが、それだけの……熱のこもっていない、義務的な態度。


 ぐっと唇を噛む。

 アデルとヒロインは同い年の17歳だ。そのヒロインと恋に落ちるのだから、テオバルトがアデルに好意を持たないのは、年齢ではなくアデル自身に原因があるということだった。



 ゲームの中で、アデルという元婚約者のことを知ったヒロインとテオバルトがすれ違うイベントがある。そこでヒロインはテオバルトへの気持ちを自覚する。

 ヒロインを安心させるために、テオバルトはアデルのことは恋愛的な意味で好きではなかったとはっきり言っている。ボイス付きで。

 ボイス付きで!

 前世ではあれだけキュンキュンしたイベントでも、アデルとなった今ではただただ憎いイベントでしかない。


(人の死を! 恋の障害にするな!!)


 ふうっと息を吐いてできるだけ心を落ち着けたアデルは、噛みしめていた唇を笑みの形にし、顔を上げた。



「開廷するにあたって、テオバルト様にも何かお聞きすることがあるかと思います。お辛いでしょうから、無理にとは言いません」

「……いや。大丈夫だよ」



 やや固い表情のテオバルトは、アデルの真意を探るように見つめた。

 今までの態度とあまりに違うアデルを訝しんでいることが伝わってくる。


 テオバルトは、アデルを信用していない。だから壁を作る。アデルがテオバルトをどう扱うかわからないから警戒する。

 それは、アデルの今までの態度が原因だった。絶望で傷心しているテオバルトを気遣いながらも、自分を優先するべきだと主張し続けた。自分が望む婚約者像をテオバルトに押し付けた。

 テオバルトの気持ちを尊重し、寄り添っていれば、信頼関係を築けたかもしれないのに。


 前世の記憶がある今のアデルなら、テオバルトと上手に距離を取ることができるはずだ。



「これから寒くなってまいりますから、お茶会を室内でしても不思議に思われません。屋敷の一室を改造して、訓練ができるようにいたしました。これからお茶会の時間は、鍛錬に当ててくださいませ」



 目を見開いたテオバルトの体は、一か月前より少し痩せているように感じられた。

 かろうじて貴族のまま実家にいるものの、今までのように騎士の鍛錬は出来ていないのだろう。体の衰えを実感しているはずだ。



「私がわがままを言って夕食に招いたと言えば、遅くまで訓練していても誰も不審に思いません。毎日ではありませんが、思う存分体を動かしてください。テオバルト様の冤罪が晴れて騎士団長に戻れたなら、婚約破棄いたしましょう。もちろん、私有責です」

「婚約破棄!? しかもアデル嬢の有責だなんて……!」

「それが、私のためになるからです」



 きっぱりと言うと、テオバルトは不意を突かれたように黙り込んだ。


(テオバルト様が私のことを好きじゃないとわかっても……やっぱり好きだわ)


 テオバルトには幸せになってほしい。そのためにはアデルが身を引かなくては、テオバルトが本当に好きな人と結ばれない。

 無事にアデルの死を回避できてこの国から出た時に、ようやく自分のことについて考えられる気がした。テオバルトと物理的に離れれば思い出すことも少なくなって、やがて誰かをまた好きになる日が来るかもしれない。



「訓練場に案内します。我が家の護衛もつけますから、手合わせなどもご自由になさってください」



 立ち上がったアデルは先に温室から去ろうとして、足を止めた。振り返ってテオバルトに向き合い、しっかりと頭を下げる。



「……心ない振る舞いをしてテオバルト様を傷付け、束縛して申し訳ありませんでした。あと数か月は私の婚約者でいなければいけませんが、その間もテオバルト様は自由です。私を気遣う必要はありません。今まで本当に……本当に、ごめんなさい」



 なんとか声を震わせずに言いきり、テオバルトを見ずに立ち去る。

 心優しいテオバルトは心を痛めているかもしれないが、道端で転んで泣いている子供を心配するのと同じ程度だ。

 テオバルトは誰にでも優しい。アデルが勘違いするくらいに……。


 立ち去る細い背中をテオバルトが食い入るように見つめていることに、アデルだけが気付かなかった。


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