私は悪役令嬢2
アデルの高熱がだんだんと下がって平熱になった頃には、テオバルトとのお茶会から三日も経っていた。寝たきりだったので体は弱っているが、食欲もあり頭もすっきりしている。
「主治医に診せても原因不明だって言うから、本当に心配していたんだよ」
心底心配そうにアデルの顔を覗き込んでいるのは、父のアラン・クレールだった。やわらかな茶色の髪をふわふわさせながら、ゆっくりとアデルの頬をなでる。
「ごめんなさい、お父様。テオバルト様からプレゼントをいただいたことが嬉しくて、興奮しすぎてしまったみたい」
アデルが倒れたのは、そういうことにしておいた。
実際プレゼントをもらったのは初めてで、アデルが意識を失った瞬間を大勢の使用人が見ていたので誤魔化せなかった。
「うんうん、そうなんだね」
優しくアデルの言うことを肯定する父の笑顔は優しいが、どうにも寒気がする。
「婚約して一か月後に、ようやく贈られたプレゼントだからね」
(お、怒ってる……! 間違いなく怒ってるわ!)
子供が大好きな温厚な父だが、怒らせると怖いというのは王国中に知れ渡っている。
「テオバルト様にお怒りを向けないで、お父様。私がテオバルト様にプレゼントはいらないと伝えていたの。だって、ほら、実際こんなことになってしまったでしょう? 婚約直後に贈られていたら、きっと心臓発作で死んでいたわ。テオバルト様は私がプレゼントはいらないと言ったことを随分と気にしていらしたから、一か月経った今なら大丈夫だと思って贈ってくださったのよ」
アランは笑顔のまま、アデルの言葉に頷く。
「それでも愛らしいアデルには何か贈るべきだったと、私は思うけれどね」
「テオバルト様のお顔を近くで見るだけで死にそうになっていたのよ? プレゼントなんてもらったら即死していたの! これ以上テオバルト様のことを悪く言うのなら、お父様を嫌いになるから!」
「え"っ……!!?」
不思議な声を発して動きを止めたアランの手を、アデルはそっと握った。
「お父様だって気付いているでしょう? 私はテオバルト様に一目惚れしたのは、お父様に似ているからだってこと」
「そっ……そうなのかい?」
「もちろん」
もちろん、そんな事実はない。
父のアランとテオバルトの顔は似ても似つかず、性格もまるで違う。
二年前に街へ出たアデルは、悪事がバレて逃げる最中の強盗に、運悪く目をつけられた。
強盗は死に物狂いで刃物を振り回しながらアデルに突進してきた。お忍びで出かけていたために護衛が少なかったことが災いし、刃物が目前に迫った時、テオバルトがさっそうと現れてアデルを庇ってくれたのだ。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
帽子が落ちて、隠していたアデルの髪が零れ落ちる。
毒々しい紫色で、アデルの本性を表しているようだと、毒婦だと囁かれていた髪を見ても、テオバルトの態度は変わらなかった。
倒れ込むアデルに優しい笑みで手を差し伸べてくれて、恐る恐る手に触れても、嫌がる素振りを見せなかった。
その後少しだけ交わした言葉を、アデルは今でも鮮明に思い出せる。心の中心で今でも色あせることなく光り続ける、心の拠り所となっている思い出だった。
「アデルがそう言うのなら、彼にこれ以上何か言うのはやめておこう」
「……お父様? 何を言ったの?」
「アデルが倒れたから、その時のことを聴いていただけだよ。アデルが目を覚ましたと手紙を出しておくよ。心配していたから」
テオバルトが自分を心配していたと聞き、胸がきゅんと締め付けられる。
(……これからは、こういう感情も隠していかないといけないのね。テオバルト様の負担になるだけの恋だもの……)
これ以上アデルに睨まれる前にと、そそくさと部屋を出ていくアランと入れ違いに、兄のベルナールがやってきた。
「やあ、わが愛しの妹よ! 元気そうで何よりだ!」
「ええ、もうすっかり元気よ」
「うんうん、顔色もいいね! 父上が取り寄せたフルーツは食べたかい!?」
「おいしかったわ。お兄様も食べたの?」
「アデルが食べたのなら、私も食べるよ! アデルより先に食べるのは気が引けたからね!」
いちいち声が大きく、芝居がかった動作をする兄に、アデルは椅子をすすめた。
ふわふわの長い髪をひとつに結っているベルナールは、アラン同様に顔が整っている。父も兄も笑顔がデフォルトだが、ふたりに抱く印象は随分と違う。
いつも芝居がかった振る舞いをするベルナールの笑みは遠くから見れば素敵だが、近付くと誰もが気付くのだ。
その目が、ちっとも笑っていないことに。
身内以外には冷たい父と兄だが、アデルには優しく、あふれんばかりの愛を注いで育ててくれた。
アデルが小さなころに亡くなってしまった母親を恋しがらないようにと、アランはおままごとに付き合ってくれ、ベルナールはいつも手を繋いでくれていた。
「今はアデルの様子を見に来ただけだから、これでお暇するよ! アデルがもうひと眠りしたら、ここで一緒に食事をしようじゃないか! もちろん、父上も添えてね!」
「ふふっ、お父様は添え物なの?」
「我がクレール家の中心はアデル、いつだって愛しいお前だよ」
頬にひとつキスを落とし、ベルナールは靴を鳴らして出ていった。
それを見送ってから、アデルはベッドに横になった。少し会話しただけで疲れてしまうあたり、本調子ではないようだ。
「お父様もお兄様も、私を愛してくれているわ……」
前世では親の愛を感じられなかったアデルにとって、嬉しい再発見だった。
「これなら、テオバルト様と婚約破棄した後に他国に旅行に行ったりのんびりしたいと言っても、許されそうよね?」
死にかけたことを理由に王国を離れたいと言えば、アランもベルナールも否とは言わないはずだ。
それに、テオバルトがヒロインと結ばれるのならば、アデルは明らかに邪魔者だ。いくらアデルがいいと言い張ったって、社交界では悪意のある言葉がテオバルトを襲うだろう。
それならばアデルが、テオバルトに向けられる悪意を全て引き受けて、国外へと去りたい。
「出歩けるようになったら、死なないようにドレスの下に何か仕込もうかしら。このロケットペンダントが銃弾を受け止めてくれたんだ、みたいな。アデルがどうして死んだのかわからないままだから、薄い鎧のようなものがあればいいのだけど……。っと、そうだ」
枕元にあるベルを鳴らすと、すぐにドアが開いて二十代半ばの侍女がひとり入ってきた。綺麗な顔は、いつものように表情がない。
アデル専属の侍女のサラは、クレール家に雇われてはいるが、絶対的なアデルの味方だった。だからこそアランもベルナールも、専属の侍女としてアデルの側に置いている。
「婚約破棄の書類を用意してもらいたいの。お父様とお兄様には秘密で」
「かしこまりました。こちらに用意してあります」
「早いわね!?」
思わずツッコミながら、サラから書類を受け取る。
それは王国で使用されている正式な婚約破棄の書類で、すでにアデルとテオバルトの名前が書かれていた。きちんとアデルが有責になっており、思わずサラを見つめる。
「アデル様が高熱で寝込んで大声で叫ばれていた時に、婚約破棄という単語が聞こえてしまいました。申し訳ありません」
「聞いていたの!? あれを!?」
自分の行動を思い出して羞恥のあまり叫んでいたのを聞かれるなど、恥の上塗りだ。
ベッドの上で身もだえているアデルを見ながら、サラは続ける。
「アデル様の独り言は、ドア越しでも聞こえる大声の時だけ切れ切れに聞こえただけですので、ご安心ください」
「そ、そうなのね……」
「アデル様はテオバルト様がお好きですから、婚約破棄するにしてもアデル様の有責になさるかと思い、書類を取り寄せて最低限書いておきました。……差し出がましいと存じますが、アデル様がそこまでなさる必要はないのではありませんか? アデル様に救われて求愛されておいてあの態度は、好ましくありません」
サラの平坦な声に込められたアデルを案ずる気持ちに、ふっと微笑む。
嫌われ者のアデルだが、家では違う。家族にも使用人にも愛され、慈しまれている。
うちの愛するお嬢様を受け入れないなんて、というサラの思いが聞こえてきて、アデルの心がほっと温まった。
「テオバルト様は世界一素敵な方よ」
前世でも今世でも、その想いだけは揺らがない。
テオバルトを諦めるべきだとわかっているのに、この恋はどうしても消えなかった。
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