ダンジョン外の掘り出し物

 早朝の城下町の上空を、一羽のフクロウが横切った。羽音も立てずに飛んでいく姿は、まるで霧の中に溶けていくかのようだった。


 俺は窓辺に立ち、遠くに広がる湖を眺めていた。昨日までの議論で、魔相の根を使った魔力変換システムの基本設計は完成した。しかし、実用化にはまだ課題が残されている。


「どうすれば、理論上の効率を現実の装置で実現できるか……」


 呟きながら、机の上に広げられた設計図に目を落とす。複雑に入り組んだ魔力制御回路が、まるで生き物の血管のように紙面を埋め尽くしている。


 ノックの音が聞こえ、扉が開いた。


「失礼します、ロアンさん」


 入ってきたのは、リサだった。彼女の表情には、いつもの冷静さの中に、わずかな緊張が混じっている。


「どうした? そんな顔して」

「エリザベス様から緊急の連絡が入りました。ブレイクウォーター領の中央湖で、異変が起きているそうです」


 俺は眉をひそめた。中央湖は、この領地の生命線とも言える重要な水源だ。そこで何かが起これば、領地全体に影響が及ぶ。


「詳しい状況は?」

「水面が不自然に揺れ動いているとのことです。湖畔の住民たちが不安に駆られているようです」

「わかった。すぐに現地に向かおう」


 リサが頷いて部屋を出ていくと、俺は急いで必要な装備を用意し始めた。魔力測定器、浄化装置の試作品、そして念のため、護身用の剣も腰に下げた。


 準備を整えて城を出ると、エリザベスが待っていた。彼女の表情には、普段の冷静さが失われていた。


「ロアン殿、申し訳ありません。急にお呼びして」

「いえ、それで、状況は?」


 馬に跨がり、一行は湖に向けて走り出した。道中、エリザベスが状況を説明する。


「昨夜から、湖面の揺れが徐々に大きくなってきたのです。魚が大量に打ち上げられ、水辺の植物も枯れ始めています」


 話を聞きながら、俺は頭の中で可能性を探っていた。単なる自然現象とは考えにくい。魔力汚染が引き金になった可能性が高いが、それにしては急激すぎる変化だ。


 湖畔に到着すると、そこには異様な光景が広がっていた。穏やかであるはずの湖面が、まるで沸騰しているかのように波立っている。水際には無数の魚の死骸が打ち上げられ、鼻を突く悪臭が漂っていた。


「これは……」


 俺は持参した魔力測定器を取り出し、湖水のサンプルを採取した。測定結果を見て、俺は愕然とした。


「魔力濃度が尋常じゃない。これじゃ、生物が生きていられるはずがない。……というより、なんだ? ダンジョンみたいな数値だな……」


 しかし、それ以上に気になったのは、魔力の質だった。これは自然発生的な魔力汚染とは明らかに異なる。


「湖底に、何かがあるな」


 俺の言葉に、全員が顔を見合わせた。


「潜ってみるしかないか」


 そう言って、俺は上着を脱ぎ始めた。しかし、エリザベスが制止する。


「危険です! ロアン殿が何かあっては……」

「他に方法がありません」


 エリザベスは言葉に詰まった。今この場で湖底を調査できるのは俺しかいない。


「水中でも機能する魔力バリアは持っている」


 俺は首に魔力防御用のペンダントを下げた。以前に水属性ダンジョンを攻略した際に、やむを得ず作成したものの改良版だ。


 深く息を吸い、俺は湖に飛び込んだ。水の中は想像以上に濁っており、視界は極めて悪い。しかし、魔力の流れを感じ取ることはできた。その源を目指して、俺は泳ぎ続けた。


 湖底に近づくにつれ、巨大な影が見えてきた。近づいてみると、それは明らかに人工的な構造物だった。複雑な機械の一部が、泥の中から顔を覗かせている。俺たちが作成している魔導装置に似ていた。


 俺は装置の表面に手を触れた。すると、これまで使い続けてきた『ハイマテリアル』や『コピーメイク』の感覚から俺の神経に情報が伝わってきて、この装置の構造と目的が、頭の中に浮かび上がってきた。


 これは、かつて湖の水質を浄化する目的で作られた装置だった。おそらく、エリザベスが領主によりもっと以前に設置されていたもの。というより、これがあったからこそここが領地として栄えたとさえ思えるほどの代物だ。それが長い年月の間に制御系統が壊れ、今や逆に魔力汚染を引き起こす源となっていたのだ。


 俺は急いで水面に浮上した。肺の中の空気が尽きかけていた。


「どうでした?」


 岸辺で待っていたエリザベスが、すぐに声をかけてきた。


「原因はわかりました。湖底に眠っていた古い魔導装置が暴走している。周辺の影響もこれが関係しているかもしれない」


 俺は息を整えながら説明した。装置の存在、その本来の目的、そして現在の状況を。


「どうすれば……」


 エリザベスの声には焦りが滲んでいた。


「魔相の根を使ったシステムを応用すれば、改善できるかもしれない。だが……」


 俺は言葉を濁した。頭の中で計算を繰り返してみたが、結論は芳しくない。


「装置の規模が大きすぎる。今の技術では、完全な制御は難しい。部分的な適用で試してみます」


 俺たちは急いで、持参した浄化装置の試作品を組み立て始めた。魔相の根から抽出した機能を核に据え、その周囲に魔力制御回路を配置する。しかし、作業を進める中で、俺は自分の力不足を痛感していた。


「もっと高度な制御が必要だ。このままじゃ……」


 そのとき、リサが不意に声を上げた。


「あれ、見てください!」


 彼女が指さす先には、湖底から引き上げられた奇妙な結晶があった。俺はその結晶を手に取り、息を呑んだ。


「これは……魔界ダンジョンで拾った結晶と似ている。あのときほどの密度や脈動は感じないが……」


 結晶は、不思議な光を放っていた。その輝き方は、微弱ながらもかつて魔界ダンジョンで見た結晶と酷似している。これも応急処置をしたら調べなければ。装置の稼働に関係していたはず。


 俺は必死に作業を続けた。魔相の根を使ったシステムを、魔力生成の出力を下げるようにして、古の装置に接続する。徐々に、湖面の揺れが収まっていく。


「効果がありそうですか?」

「すぐにはなんとも。ひとまず、水を浄化しながら、こいつがマシな動作をすることを祈るしかありません」


 暫定的に状況は改善されたが、根本的な解決には至っていない。装置は、依然として看過できない量の魔力を放出し続けているのだ。状況の改善のためには、やはり当初のネットワークシステムが必要になる。これは変換処理の試験適用と割り切った方がよさそうだ。


「申し訳ありません。私の力ではここまでです」


 俺は厳しい表情でエリザベスに向き直った。


「いえ、十分すぎるほどです。ロアン殿のおかげで、最悪の事態は避けられました」


 エリザベスは感謝の言葉を述べたが、その目には依然として不安の色が残っていた。


 俺は湖面を見つめながら、強く握り締めた拳を見た。


「どうして俺のところで結晶が見つかる……?」


 それは偶然なのか、何かの導きなのか。もしこれが、工房で起こったときのようにダンジョン外でも反応するようなら、これに対処できるメンバーも呼んでおくべきかもしれない。

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