ブレイクウォーター領のフィールドワーク

 馬車が揺れる音と共に、俺は目を覚ました。窓の外には見慣れない景色が広がっている。ブレイクウォーター領に到着したのだ。昨晩まで先々の注文を捌くためにクラフトを追い込んでいたからか、疲れが溜まっていたようだ。


 窓から見える風景は、なだらかな丘陵地帯が広がり、その間を縫うように大きな湖と複数の河川が走っている。湖畔には主要な住居地が築かれ、その周囲に広大な農地が広がっていた。かつては豊かな水資源を活かした農業が盛んだったという。


「着いたか」


 俺の呟きに、同行のリサが頷く。


「はい、予定より少し早く着いたようです」


 馬車が止まり、ドアが開く。そこには、若き女領主エリザベス・ブレイクウォーターの姿があった。


「ようこそ、ロアン殿。お待ちしておりました」


 エリザベスの歓迎の言葉に、俺は軽く会釈をする。彼女の背後には、ブレイクウォーター城が聳えていた。城は湖に面して建てられ、水と調和するように設計された美しい建築だ。その姿は、この領地の繁栄の象徴だったのだろう。


 街を歩くと、水路が縦横に走り、小さな橋がそれらを結んでいる。かつては、これらの水路を使って効率的に農作物を運んでいたという。街の至る所に水車が設置され、その動力を利用した工場や作業場が並んでいる。しかし、今はその多くが止まったままだった。


 ブレイクウォーター領の文化は、水と深く結びついている。年に一度開かれる水祭りは、領民たちの楽しみの一つだった。しかし、それが魔力汚染の影響で、その開催すら危ぶまれているという。


 エリザベスは、就任以来、領地の近代化を進めてきた。魔導具を積極的に導入し、農業の効率化や新産業の育成に力を入れてきたのだ。しかし、その政策が思わぬ形で裏目に出てしまった。


「早速ですが、領内の状況を見ていただきたいのです」


 エリザベスの声には切迫感が滲んでいた。


 一行は馬に乗り換え、領内を巡った。最初に訪れたのは、かつては肥沃だったという農地だ。しかし、目の前に広がる光景は、俺の想像を遥かに超えていた。


 枯れかけた作物、異常な成長を遂げた雑草。所々に魔力の結晶化が起きている。かつて美しかったはずの湖の水も、今は濁り、異様な色を呈していた。


「これは……」


 俺は言葉を失う。エリザベスが悲しげに説明を加える。


「昨年までは、ここで豊かな収穫があったのです。水と大地の恵みを受け、ブレイクウォーター領は王国の穀倉地帯として知られていました」


 俺は素早く行動を開始する。土壌のサンプルを採取し、持参した簡易的な魔力測定器で分析を始めた。水のサンプルも採取し、その場で簡単な検査を行う。


「なるほど……こういう質のものか。想像していたより、ずっとタチの悪い状況かもしれないな……」


 俺の声に、エリザベスの表情が曇る。


 農地を歩きながら、俺は地元の農民たちから直接話を聞いた。彼らの多くは、何世代にもわたってこの地で農業を営んできた家系だという。


「数ヶ月前まではこんなじゃなかったんです。突然、作物が奇形になり始めて」

「家畜も具合が悪いんだ。乳の出も少ない。これが続くようじゃ、生活ができんよ」


 農民たちの声は悲痛だった。俺は黙って頷きながら、メモを取り続ける。


 次に訪れたのは、小さな村だった。そこでは、住民たちの健康被害が顕著に現れていた。村の中心には、今は使われていない水車小屋がある。かつてはこの村の誇りだった、と村長は言った。


「最近、子供たちの具合が悪くなることが増えてきたんです。食べる物と遊ぶ場所の問題かとは思うのですが。かといって、お金もないものですから、他に選択肢もなく」

「なるほど。そうした問題は、今回のような根本原因の解明とは別に、国が臨時対策を取っていると思いたいですが……」


 視察は日没まで続いた。馬を走らせながら、俺は頭の中で情報を整理していく。状況は深刻だが、魔道具の浸透や魔石の大量消費は、何もいまに始まったことではないんだ。ダンジョンが多数出現したことによって生まれた問題が、どこかにあるはず。それを見つければ、解決の糸口が掴めるはずだ。


 城に戻ると、エリザベスが俺に向き直った。


「ロアン殿、どう思われましたか?」

「想像以上でした。私の力でどうにかなるか、断言は出来ません。ですが、やれることは全てやってみないと」

「本当ですか?」

「ええ。まずは、詳細な分析と実験から始めます」


 俺は、今日の視察で得た情報を元に、具体的な行動計画を頭で練っていた。


「明日から、テストフィールドの設置と実験装置の製作に取り掛かります。可能な限り早く、初期の結果を出したいと思います」

「わかりました。必要なものは何でも用意させます」


 俺は感謝の意を示し、領内に用意された自室に向かった。

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