力への渇望

 遺跡の奥から現れたのは、これまでに見たこともないほど巨大な魔物だった。その姿は、まるで古代の神話に登場する魔神のようだ。全身が黒曜石のような光沢を放つ鱗で覆われ、複数の頭部が蛇のように蠢いている。それぞれの口からは青白い炎が漏れ、周囲の空気を焦がしていた。


「これは……」


 どう考えても、今の世の中にあっていいモンスターではなかった。シルヴィとミアも、その圧倒的な存在感に言葉を失っていた。


 しかし、ヴァルドの目は狂喜に満ちていた。


「来たか……! これこそ俺が求めていた敵だ!」


 ヴァルドは躊躇することなく、魔物に向かって突進した。その姿は、まさに死を恐れぬ戦士のそれだった。


「ヴァルド、ダメよ! 逃げて!」


 セラの制止の声も聞こえないかのように、ヴァルドは魔物と激突する。剣と爪がぶつかり合い、火花が散る。ヴァルドの剣さばきは鮮やかだったが、魔物の硬質な鱗を完全に切り裂くことはできない。


「くっ……! もっと力が……もっと力が欲しい!」


 ヴァルドの叫び声が響く。その瞬間、彼の体から異様な魔力が溢れ出した。周囲の空間が歪み、地面が揺れ始める。


「あれは……まさか」


 リックが驚愕の声を上げる。


「ヴァルド、やめろ! そんな力、制御できないぞ!」


 しかし、ヴァルドは聞く耳を持たない。彼の体は徐々に変貌を遂げ、人間離れした姿になっていく。筋肉が膨張し、皮膚が硬質化していく。その姿は、まるで人間と魔物の中間のようだった。


「俺は……最強だ!」


 変貌を遂げたヴァルドが、再び魔物に襲いかかる。今度はその攻撃に、確かな手応えがあった。魔物の鱗が砕け散り、黒い体液が噴き出す。強くはなったが、これまで幾体もの魔物を屠ってきた彼が魔の存在に近くなりつつあるのは皮肉のようでさえあった。


 しかし、魔物もただでは引かない。複数の頭部から青白い炎を吐き出し、ヴァルドを包み込む。


「ぐああああ!」


 ヴァルドの悲鳴が響く。しかし、その声には苦痛よりも昂揚感の方が強く感じられた。


 俺たちは、この異様な光景を呆然と見つめるしかなかった。


「なあ、ミア。シルヴィ」


 慌てるリックとセラとは対照的に、俺たちは不思議と冷静だった。あの魔界化ダンジョンをすでに経験していたからかもしれない。


「うん。これは、アレだね。ミア。なんとかできる?」

「そう言われると……なぜかできそうな気がするわ」


 ミアの瞳が、翠色の光を帯びる。その姿は、魔族というよりも、どこか神秘的な存在のように見えた。


「止まって」


 ミアが手をかざし、命令する。その相手は、ヴァルドではなく、その奥にいる魔神のような巨人だった。


 激戦を繰り広げていたはずの両者は、ミアの一言に止まった。片方は、ミアの声を聞いて動きを止めたからであり、もう片方は、戦う意志を失った敵を見て絶望していた。


「てっ……てめぇは……なんてことを……」


 殺意の目をミアに向ける。しかし、この空間においては、ミアに勝てる者はいなかった。というより、ミアがそれを自覚した時点で、ここはもう戦場ですらなくなっていた。


 ミアが拳を構え、ヴァルドの腹にパンチを見舞う。それは予定調和として定められていたことのように、避けようのなかった一発が、ヴァルドの意識を刈り取った。


 光に包まれ、ヴァルドの体が元の姿に戻っていく。同時に、魔物の姿も徐々に霧散していった。ダンジョンも溶け出すようにその景色を変容させ、扉を潜る前の草木が鬱蒼とした空間に俺たちは戻ってきたのだった。


「な……何が起きている……?」


 セラの声が震える。


 光が消えると、そこには倒れたヴァルドと、消え去った魔物の痕跡だけが残されていた。


「これは……」


 セラとリックが、倒れたヴァルドのもとへ駆け寄る。


「ヴァルド! しっかりしろ!」


 ヴァルドは意識を失っていたが、かすかに呼吸をしている。彼の体からは、先ほどまでの狂気の気配が消えていた。


 俺は結晶を握りしめる。これはダンジョンに反応して下層を古代遺跡化したんじゃない。俺たちを追いかけてきたヴァルドのほうに反応して、特殊な空間を作り出していたんだ。


 だとしたら、どこまでが幻で、どこまでが現実だったのか? 戦闘中に閃いた全てが使いこなせるようになったわけではない気がする。それでも、ミラージュリングや、フレイムエッセンスがエンチャントされた装備は、たしかに俺の手にある。


 この結晶は何で、どう使いこなされるべきなのか。ミアの記憶の回復を待ちながら、俺は少量ながらも手にした高級素材が残っていることの方に、意識が向いているのだった。

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