第五章:山本真理

 職員室の窓から、朝靄に包まれた校庭を眺めていると、聖アンジェリカ女学院の長い歴史が感じられる。私は着任してまだ半年の新米教師だ。この伝統ある学院で教鞭を執ることに、毎日緊張と興奮を覚える。

「山本先生、おはようございます」

 振り返ると、ベテランの國分先生が優しく微笑んでいた。

「おはようございます、國分先生」

 私は丁寧に挨拶を返した。

「新しいクラスには慣れましたか? 特に転入生の高橋琴音さんのことが気になっているのですが……」

 國分先生の表情に心配の色が浮かんだ。

 私は少し考えてから答えた。

「確かに難しい生徒です。でも、彼女なりの理由があるはずです。時間をかけて理解していきたいと思います」

 國分先生は安堵したように頷いた。

「そうですね。若い先生の新しい視点に期待しています」

 その言葉に勇気づけられ、私は教室へ向かった。

 教室に入ると、生徒たちの様子が気になった。琴音は相変わらず一人で窓際に座っている。しかし、中村さくらが時々彼女の方を見ているのが目に入った。

「おはようございます、皆さん」

 私は明るく挨拶した。

「おはようございます!」

 クラスの大半が元気に返事をする中、琴音だけが黙ったままだった。

 授業が始まり、私は生徒たちの反応を観察しながら進めていった。佐藤美咲は相変わらず完璧な解答を示し、中島杏奈も負けじと手を挙げる。しかし、さくらの様子が少し気になった。いつもの明るさが影を潜めているようだ。

「では、次の問題を解いてもらいます」

 私は黒板に新しい問題を書いた。「誰か解きたい人はいますか?」

 教室が静まり返る中、意外にも琴音が手を挙げた。

「はい、高橋さん。前に出て解いてください」

 琴音はゆっくりと立ち上がり、黒板に向かった。彼女の解答は正確で、しかも独創的なアプローチだった。

「素晴らしいわ、琴音さん」

 私は心からの称賛を込めて言った。

 琴音は少し照れたような表情を見せ、席に戻った。クラスメイトたちの間で小さなざわめきが起こり、琴音を見る目が少し変わったように感じた。

 授業が終わり、昼休みになった。私は琴音を呼び止めた。

「琴音さん、少し話せますか?」

 琴音は躊躇いがちに近づいてきた。

「今日の解答、本当に素晴らしかったわ」

 私は優しく言った。

「あなたには大きな可能性がある。もっと自信を持っていいのよ」

 琴音は俯いたまま、小さな声で言った。

「……でも、私には友達もいないし、みんな私のことを……」

「そんなことないわ」

 私は彼女の肩に軽く手を置いた。

「さくらさんがあなたに声をかけているのを見たわ。少しずつでいいから、心を開いてみては?」

 琴音は黙ったまま、でも少し考え込んでいるように見えた。

 その時、教室のドアが開き、さくらが顔を覗かせた。

「あの、琴音さん……」

 さくらは恥ずかしそうに言った。

「一緒にお昼食べない?」

 琴音は驚いたような顔をしたが、ゆっくりと頷いた。

 二人が教室を出ていく背中を見送りながら、私は小さな希望を感じた。

 放課後、職員室に戻ると、生徒会の美咲と杏奈が訪ねてきた。

「山本先生、週末に新入生歓迎会を兼ねた町への外出を計画しているのですが、許可していただけますか?」

 美咲が丁寧に説明した。

「いい考えね」

 私は笑顔で答えた。

「みんなの絆を深める良い機会になるでしょう」

 杏奈が少し控えめに付け加えた。

「琴音さんにも声をかけているんです」

 私は二人の成長を感じ、胸が温かくなった。

「素晴らしいわ。あなたたちの思いやりに感謝します」

 彼女たちが去った後、私は窓の外を見た。夕暮れの薔薇園が金色に輝いている。

 この学院には、まだ多くの課題がある。伝統と革新のバランス、個性の尊重と集団の調和、そして生徒一人一人の成長。

 でも、今日の出来事を思い返すと、確かな変化の兆しを感じる。琴音の一歩前進、さくらの優しさ、美咲と杏奈のリーダーシップ。

 私は深呼吸をした。明日への期待と、生徒たちと共に成長していく決意が胸に広がった。

 聖アンジェリカ女学院の新しい1ページが、今まさに始まろうとしている。

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