第三章:中村さくら

 朝日が寮の窓から差し込み、私の目を覚ました。中村さくら、17歳。聖アンジェリカ女学院の2年生。そして、クラスで一番の陽キャ……のはずだった。

 鏡の前で制服を整えながら、いつもの笑顔を作る。でも今日は、なんだかその笑顔が虚しく感じる。

「おはよう、さくらちゃん!」

 廊下で友達の美香が声をかけてきた。

「おはよう、美香ちゃん!」

 私は即座に明るい声で返す。

 これが私の日常。みんなの期待に応えなければならない。

 応えなければいけないんだ。

 教室に向かう途中、琴音の姿が目に入った。

 彼女は一人で歩いている。

 昨日の冷たい態度を思い出し、胸が締め付けられる。でも、諦めたくない。

「琴音さん、おはよう!」

 私は元気よく声をかけた。

 琴音は一瞬こちらを見たが、すぐに目をそらし、何も言わずに教室に入っていった。

(やっぱり難しいな……)

 教室に入ると、クラスメイトたちが次々と話しかけてくる。

「さくらちゃん、昨日の宿題やった?」

「ねえねえ、さっきの琴音さん、また無視したの?」

「さくらちゃん、今度の休みにみんなでカフェ行こうよ!」

 私は全ての質問に笑顔で答え、冗談を交えながら場を盛り上げる。でも心の中では、少しずつ疲れが溜まっていく。

 授業が始まり、山本先生が教室に入ってきた。

「皆さん、おはようございます。今日は少し変わった授業をしたいと思います」

 山本先生は優しく微笑んだ。

「二人一組になって、お互いの長所と短所を書き出してみましょう」

 クラス中がざわめいた。

 私は内心焦った。

 誰かに本当の自分を見られてしまうかもしれない。

「さくらちゃん、組もう!」

 美香が声をかけてきた。

「ごめん、美香ちゃん」

 私は咄嗟にそう、言葉にしていた。

「琴音さんと組むね。彼女、まだ友達いないみたいだから」

 美香は少し残念そうだったが、理解を示してくれた。

 私は深呼吸をして、琴音の席に向かった。

「琴音さん、一緒にやろう」

 琴音は不機嫌そうな顔をしたが、拒否はしなかった。

「じゃあ、私から書くね」

 私は用紙に向かって筆を進めた。

「琴音さんの長所は……静かで落ち着いているところかな。それに、きっと芯が強いんだと思う」

 琴音は少し驚いたような顔をした。

「短所は……うーん、もう少し周りに心を開いてくれたらいいな」

 琴音はため息をついた。

「あなたこそ、もう少し本音で話したらどう?」

 私は凍りついた。

 目の前の少女が私の奥底まで見通した気がしたからだ。

 なぜ? どうして? 今日も私は完璧だったはず……。

「それってどういう……」

「いつも笑顔で、みんなに合わせて……疲れないの?」

 琴音の目がまっすぐ私を見つめていた。

 その瞬間、私の中で何かが崩れた気がした。

 目に涙が溢れそうになる。

「琴音さん……」

 私は震える声で言った。

「私、本当は……」

 そのとき、山本先生の声が響いた。

「はい、時間です。感想を聞かせてください」

 私は慌てて涙をぬぐった。琴音は黙ったまま、窓の外を見ていた。

 授業が終わり、昼休みになった。私は屋上に一人で来ていた。ここなら誰にも見られずに泣ける。

「やっぱりここにいたか」

 振り返ると、そこに琴音が立っていた。

「琴音さん……」

 琴音は黙ったまま、私の隣に座った。

「さっきはごめん」

 琴音が静かに言った。

「でも、本当のあなたを見たかった」

 私は堰を切ったように泣き出した。

「私、もう疲れたの。いつも明るくて、みんなの人気者で……でも本当は、ただの普通の女の子なの、ただの、一人の、弱い……」

 琴音は黙って聞いていた。

「琴音さんは強いね」

 私は涙を拭きながら言った。

「自分の気持ちをはっきり示せて……」

 琴音は微苦笑した。

「強いんじゃないよ。ただ、傷つきたくないだけ……」

 私たちは沈黙の中、しばらく並んで座っていた。

「ねえ、琴音さん」

 私は恥ずかしかったが、勇気を出して言った。

「私たち、友達になれる?」

 琴音は少し考え込んだ後、小さく頷いた。

 その瞬間、私の心に小さな希望の光が灯った。

 これから、本当の自分を少しずつ見せていけるかもしれない。

 そして、琴音の心の壁も、少しずつ崩せるかもしれない。

 屋上から見える薔薇園が、今日は特に美しく輝いて見えた。

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